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今日のプール2009年02月13日 19時13分48秒

今日は○子ちゃんと男児B(先日まで春海のことを”えどはるみ”と呼んでいた悪ガキンチョ)がお休みしてたので、春海と同じ8級の男児Aと2人でした。

板キックやって、クロールに入ったのですが、なぜか、途中から男児Aはビート板を持たされ、呼吸の練習。

その後、背面キックをして、背泳ぎ。
ママが計ったところ、40数秒ってところでした。

最後に、1コースの右に男児A、左に春海を配し、背泳ぎの競争。
春海、一人っ子でのんびりもんやけど、もしかしたら意外と負けず嫌いかも知れない。

2人並んで競争したら39秒でした。
男児Aもほぼ同時にタッチ。ママには微妙に春海が早かったように見えたけど(^o^)。

プールから上がってきた春海に聞いたら、先生は最後の1本は38秒と言っていたらしいです。
競争したら頑張るのね・・・・。

で、例によって例のごとく、
「こんな距離じゃあ、全然こたえねえんだよっ! でやんでえ!」
と言いながら歩いて帰りたがる春海。雨が降っているのに、歩いて帰ってきました(T_T)。

そのとき春海に、
「男児Aはなんで途中からクロールやめてビート板になったん?」
と聞いてみました。
「あの子なあ、息継ぎする時、鼻で吸っててん(^o^)。やから、呼吸の練習しなさい、ってなってん」
春海の解説によると、それは逆らしく(鼻で吐けってことっすか?)、かれは今日になってそれができていなかったことが発覚したらしいです(^_^;)。
ワッペンのレベルは8級ですよ。
コーチ、そこに行く前に、基本的な呼吸ができてないことに気づいてやれよwwwwwww

春海、泳ぎはヘボくても、呼吸には自信があるみたい。何といってもボビング女王やから。
かれはやっぱり、ボビングも苦手なんやね。
最後の最後に(競争した復路)同時にスタートしてボビング25メートルやったのですが、かれ、なんか溺れそうでした・・・・。春海は軽快にぴょんこぴょんこ跳ねて行って、先にゴール。かれがゴールするまでゴール地点でボビング自主練して待っていました。
(春海にとって、ボビングは休息、息抜き、リラックスタイム)

「Aくん、呼吸できてなかってん」
こんな生意気な口を利く春海も、ボビングし始めた頃は・・・・ぷっ。
たった3メートルか5メートルほどの距離が、跳んでも跳んでも縮まらない。同じ場所でずっと跳ねていたなあ・・・・。という意味では、当時から人より余計に跳んでいたことになります。
それより何より、頭のてっぺんまで水に浸かるのが異様に怖い子で、ぎゃーぎゃー泣いていたなあ。
2年も3年も経つと泳げるようになるのねえ・・・・。

戦闘機乗りの技倆とは?2009年02月13日 20時33分57秒

先日、新年会の時に、Kさんが戦闘301の集合写真を見ながらさかんに、
「技倆一番は佐藤精一郎上飛曹」
と言われていましたが。
そこで、
「”技倆”ってのはどこで判断するのですか?」
とママは質問してみたわけですが。
Kさんは、ちょっと困った顔をされて、
「何となくかな?」
と言われ、あとになって、離着陸なんかでもそれがわかる、というようなことを言われていました。

単純に「撃墜機数」というなら、客観的に数字で多い少ないは判断できると思うのですが、「技倆」となると、わかりづらい感じが。
(その「撃墜機数」だって、どの時期にどの方面の航空隊に配属されたかで、一概に多い少ないだけで評価できるものではないと思いますが・・・・)

あの後、チョコを渡した(←もう言わんでええって?)Oさんが、AとかBとかCとか、なにか、そんなことを言われていました。考課表がどうとか。
「聞くのに必死」でメモをとれなかったはずなのに、聞く方もおろそかになっていました・・・・(T_T)。すいません、ちょっと曖昧な話です。
このAとかBとかって、たぶん、搭乗員の技倆のランクだと思うんです。
搭乗員本人はわからないそうです。分隊長ぐらいの人が管理しているらしいです。

でも、たぶん、はっきりとはわからなくても、搭乗員同士で、「あいつはうまい」「あいつは下手」ぐらいの感じはわかるのでしょうね。一緒に飛んでいれば。

もちろん、訓練で飛行機をバンバン壊すような人は「A」ランクはもらえないんでしょう。

戦闘機乗りなので、射撃の腕前はやはり一番に評価対象になるのでしょうねえ。

Kさんが、佐藤兵曹が技倆一番、と言われていたことがずっと気になっていました。
佐藤兵曹は比島時代から隊長列機に選ばれるほどの人なので、技倆がいいのはもちろんそうなのでしょうが、きっと「何となく」ではない、明確な何かがあるはずだ、と。

今日、『源田の剣』を読んでいて、見つけましたよ(^o^)。
佐藤兵曹、すごいっ!!てのを。

20年5月11日。
碇義朗さんの『最後の撃墜王』にもこの時のことが出ています。
五島列島沖に敵哨戒機2機(PBM)が現れ、松村正二大尉指揮の4機が出撃した、という話です。4機のうち2機がロケット弾、2機が3号爆弾装備だったそうです(兵器には詳しくないので、ママには質問しないでね)。
要約すると、このとき、せっかく会敵したにもかかわらず、手持ちの兵器の使い方を熟知していなかったために取り逃がしてしまい、そのあたふたした状況を基地で聞いていた(無線交信)菅野大尉にあとでさんざん罵られた、という話です。

『最後の撃墜王』には松村さんが連れて行った列機が誰かまでは出ていませんが、『源田の剣』によると佐藤精一郎上飛曹、宮本芳一上飛曹、吉原真人1飛曹。
こちらでは松村大尉、佐藤上飛曹、宮本上飛曹機がロケット弾を積んでいたことになっています。
さて、このロケット弾、新兵器だったらしく、隊中の誰も空中で発射してみたことがないというシロモノ。こんなものを積んで敵を迎え撃ちに行こうというのだから、それだけでもすごいですねえ。
松村大尉のロケット弾は『最後の撃墜王』の通り、不発。というか、発射スイッチが折れて足元に転がった、とあるのですが・・・・(^_^;)。操縦席の中で目が点状態の(?)松村大尉が想像できそうです。
結局、松村大尉は翼下にロケット弾をつけたまま、機銃で戦ったらしい。
(『最後の撃墜王』では、松村大尉のロケット弾は前に飛んで行かず、下にポロッと落ちたことになっています。両翼に吊せるらしいので、各機2発ずつ持っていたということになるのでしょうか。ここら辺の話の食い違いがよくわからない・・・・)

で、佐藤上飛曹ですが。
佐藤上飛曹ももちろんロケット弾は初めて。
たぶん当てずっぽうで発射したのでしょう。1発目は敵機のかなり後方で炸裂したそうです。
「技倆一番」と言われるだけの腕を発揮したのは2発目。
1発目の失敗から何事かを得て、見事に修正してきたのです。
ご本人にはわずかに外れたように見えたらしいのですが、この2発目は見事に敵機に命中していました。大きな被害を与えたということですが、この1発で撃墜、というところまでは至りませんでした。

その後、紫電改4機は敵のPBMに20ミリ機銃で攻撃を加えたものの、2機とも撃墜までにはいたらず、松村大尉以下4機は大村に帰投。
そこで、墜とせなかったことを菅野隊長に責められるわけですが。

佐藤兵曹がロケット弾を命中させたPBMとは別の一機、これが20ミリの被害で飛行できなくなり、海上に不時着水。搭乗員はボートに乗り移ったのち、助けに来てくれた別のPBMにすくい上げられたそうです。

佐藤兵曹のロケット弾命中も、PBM1機撃墜も戦後にわかったことらしいですが、いやあ、さすが技倆一番、佐藤兵曹です。

初使用のロケット弾、1発目で当たっていたら「まぐれかな?」と思うのですが、1発目外して2発目当ててくるというのは、佐藤兵曹、ただ者ではないな、という感じがしますよねー(^O^)。

レストランごっこ2009年02月13日 20時55分49秒

レストランごっこメニュー
春海、学校でレストランごっこをして遊んでいるらしいです。

↑春海が作ったレストランメニュー。クリックしたら拡大します。

値段設定が、す、すごい・・・・(^_^;)。

カレーうどん0円とか、ビール1円とか。
これ、携帯端末の商法と一緒か?

ジュースが4円なのにドリンクバーが200円の意味がわからない(>_<)。

マックポテト500円、お茶200円、高すぎるwwwwwww(>_<)

春海がみなさんに誉めてもらいたいらしいので、コメントどしどしお待ちしております↓