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黒木さん2008年09月27日 16時26分46秒

ネットのニュースを見ていたら、
「宮崎県の名字1位は黒木」
なんてのが載っていました。

ああーーー、なつかしー。
たしかに、宮崎は黒木、多いです。日高も。
それぞれ、クラスに2、3人はいるんじゃないかな?
(ママ御用達のお菓子屋さんも「お菓子の日高」)

「黒木」とか「日高」って聞くとすぐに、宮崎県人か?と思ってしまうぐらい多いですね~。

回天の創始者・黒木博司大尉(機51期)もはじめ名前を見たときは、
「宮崎出身の人だろう」
と思ったのですが、どうも、岐阜の方だそうで。

わたしはこの人にはちょっと忘れられない思い出があります。

まだ靖国神社の遊蹴館が古い建物だったころ・・・・。
特別展か何か・・・・戦死された方の遺書がたくさん展示されていました。
その中には「素子・・・・」の植村眞久少尉(予13期)の遺書もありましたが、同じぐらい印象に残っているのが回天の訓練中、事故で殉職したこの黒木大尉の遺書というか、事故報告書というか・・・・。

19年9月6日夕方(「報告書」によると1812らしい)、黒木大尉は樋口孝大尉(兵70期)と回天に同乗訓練中、海底に突き刺さってしまい、動けなくなってしまいます。翌7日朝9時頃発見され、引き上げられたときには2人とも亡くなっていました。
2人が死の直前まで書き続けていた「報告書」によると、7日朝6時過ぎまで、酸欠で朦朧としながらも2人は生きていました。

事故の原因や対策などを細かく記述し、だんだん息苦しくなってくる様子も書かれてあります。その報告書の締めくくりは「万歳」です。

平成の世でガラスケース越しに読んでいるこちらまで息苦しくなってくるような「報告書」です。

・・・・あれから「回天」には近寄らないようにしていたような気がします。

最近、回天の本を読んでいて、久しぶりに2人の遺書を読み返しました。
息苦しさはかわらないです。
ただ、あのときは感じなかったかれらの「国を思う気持ち」や「後に続く者たちへの思い」のようなものが伝わってきて、もっと、回天のこと勉強しなきゃ・・・・という気持ちになっています

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