最期の地 ― 2017年08月13日 20時45分10秒
戦没9期生の最期の地というのはほとんどわかっていません。
「●●島」、「☓☓方面」、「△△海上(海面)」・・・・こんな感じの人がほとんどです。
そんな中でお一人、亡くなった場所の住所が小字までわかっている人がいます。

松沢正二さん。艦爆の偵察員です。
ブログの戦没者名簿には、
19年1月25日 523空 空輸中紀伊半島上空で事故殉職
九期生名簿の方は、状況としては「大阪ヨリ三重に空輸中墜落」と書いてあります。
自分の調査能力では場所としては「紀伊半島」というところまでしかわからなかったのですが、Kさんが松沢さん殉職の地の小字までご存知でした。
九期生名簿に「大阪ヨリ三重に空輸中墜落」と書いてあったので、「紀伊半島」というのは奈良県内の可能性もあるんだろうなとは思っていました。
松沢さんの遭難場所は奈良県東吉野村でした。

任務としては松山基地から三重基地への転進。
※この場合の「三重基地」は鈴鹿海軍航空隊のことだそうです。
途中、天候不良のため、大阪第二飛行場(伊丹)に不時着。
その後、再び三重基地に向かって大阪第二飛行場を離陸。
東吉野村で天候不良のため遭難。
遭難場所の住所も松沢さんの受傷状況もわかっていることから、遭難機・遭難したペア(操縦:木村武雄飛曹長)は海軍に収容されたのではないかと思います。
昨日、談山神社に行ったのですが、本来の目的地は別にありました。
松沢さん遭難の地です。
しかし、のんびりしすぎて時間切れになったので、今日は最初からそこに行くことを目的に家を出ました。
ここだけの話、Kさんから松沢さん遭難の地を聞くまでは奈良に「東吉野村」という村があることを知りませんでした。
「吉野」=「近鉄特急の終点」みたいな?(^^;)
桜が有名な吉野、あっちの方しか頭にありませんでした。
地図で調べたのも初めて。
なので、足を踏み入れるのは今日が初めてでした。
車で順調に走って、まあ、2時間はかからないかな?という場所でした。

ほとんど2車線ある快適な道を走って行けたのですが、最後の最後がちょっとつらかったです。

このまま進んで大丈夫か?
みたいなところに入ってしまい。

高見山。
この美しい頂を目の前にして、まっちゃんも見たかなあ・・・・と一瞬感慨に浸るも、当日の視界「四○~五○米」、高見山は見えていなかったか・・・・。
すれ違いできるのか?
と心配になるような細い曲がりくねった山道に誘導され(←ナビに)、コワくなって、Uターンして別道を探すことに。
Uターンもドキドキもんでした。三叉路までバックしてようやくUターン。

そのとき道路から撮った周辺の様子。
ルートをかえてウロウロしながら写真だけ撮ってきました。あまりにきれいだったので。



まっちゃんが遭難したのは1月の悪天候時。
今日は真夏の晴天。
場所はこのあたりかもしれませんが、空気も匂いも見えている景色もきっと違いますよね。
それでも行ってみたかったので。
じつはですね。
小字までわかっているといいながら、その小字がどこなのかがわからないという・・・・。
ネットで見れる地図では小字までわからなかったんです。
とにかく大字の場所まで行けばなんとかなるんじゃないかとナビを合わせて行ってみたのですが御覧の通り、道や住所を聞けそうな人の姿がまったくないという・・・・orz
人はいたんですよ。
ルートをかえてすれ違い可能な道幅のところまで出たら、川遊びをしている人たちがいました。
ただ、道路わきに止まっている車が他府県ナンバーだったので、川で遊んでいる人たちに聞いても松ちゃん遭難の地は知らないだろうと思って聞きませんでした。
今日は日曜ですよね。
平日だったら村役場(この場所からかなり遠い(^^;))に行って聞けばわかったんじゃないかという気もします。
あるいは村の歴史に詳しい古老(!?)を紹介してもらうとか、何か手段はあったような気もしますが、今日はとにかく、まっちゃんの最期の地の近くに行ってみたいという、それだけでよかったので、パパに行ってもらいました。
※松沢さん画像は9期生ご遺族ご提供