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松本勝正さんと10期・藤田保さん2017年07月17日 21時54分39秒

松本さんのアルバムに、10期の藤田保さんと二人で写った写真がありました。

横須賀海軍航空隊。
松本さんは3等航空兵の階級章をつけています。藤田さんは・・・・階級章、見えません(スキャン失敗して、ピンボケ)。
藤田さんたち10期が入隊したのが13年11月なので、13年11月~14年2月まで(←3月に霞空に移転するので)の撮影です。
もし、藤田さんが階級章をつけていなければ(4空)13年11月12月、もし、階級章がついていれば(3空)14年1月2月の撮影です。



松本さんの書簡(武田信行編『ジュンちゃんへ・・・・ 戦争に行った兄さんより』)にも藤田さんのことが出てきます。
藤田さん入隊直後の13年11月13日付実家宛書簡。
『藤田君は十三日に東京行軍で喜んでゐる。自分は酒保の汁粉と菓子で横んでゐる』


実は藤田さんと撮った写真を送っているらしい内容の書簡もあるのですが、差出地・日付が不明です。
日付けのヒントになりそうなのが、ボーナス。
生れて初めてボーナスがもらえるらしい、という話題を出しています。
初ボーナスがいつだったかわかると手紙を出した期間もある程度限定されるのではないかと思っています。島田清守さんの出納帳を解析中。
もしかしたら、冒頭の写真がこのとき送った写真かも知れません。また今度。




藤田さんと松本さんは西条中学の同級生らしいです。

前述の書簡集、松本さんの妹さんがあとがきに次のように書かれています。
『兄の中学校の同級生の藤田保氏はやはり航空兵で戦死なさったと、兄の戦死よりもずっと以前に報じられていました。ところが戦後になって思いがけなく生還されて私の父母の許へ挨拶に来てくださったのです。南方で戦闘中に小島に不時着し、島民に助けられたとのお話でした。それ以来、南方のどこかで兄も生きているかもしれないと、ずーっと一縷の望みを捨てず、奇跡を願っていたのでした』





松本さんの妹さんが語られている藤田さんの戦死。

17年10月18日のガ島攻撃のことです。
当時、藤田さんは鹿屋空が改称した751空の戦闘機隊。
ガ島飛行場攻撃の上空制圧任務の際、グラマンの奇襲を受けて交戦、戦死。
正確に言うと、行方不明になって後に戦死認定です。


が、生存されていました。
会誌に詳しいことが書かれていないのでわたしは知りませんが、その間のことは、松本家を訪れて語ったような事情なのでしょうか。
戦後21年2月に復員。







9期には、わたしが知る限りは捕虜生還の人はいません。
が、10期は複数人います。
藤田さんもそうだし、中攻操縦の桑折さんもそうだし、水上機の操縦の方でわたしが奥様から話を聞けた方がいるのですが、その人も捕虜生還の方でした(本人は故人)。





※画像は9期生ご遺族ご提供、Kさんご教示

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