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9期 中攻偵察の4人2015年06月10日 23時15分37秒

少し前のことですが。

この写真のことで、戦史人物経歴研究家のKさんにずいぶんしつこくしました(^^;)
雄翔館の写真で、


前列左・蒲田栄作さん

前列右・本間秀人さん

後列左・鶴見堅三さん

後列右・鈴木俊夫さん


この写真のどこに引っ掛かったかというと・・・・。

善行章(1線)と階級章(3飛曹)は右袖にはっきりと見えるのですが、左袖に特技章が見えません。いくら目を凝らしても、特技章が見えません。

「鶴見堅三さんは実用機飛練は博多。他の3人は博多写真に見当たらないし、宇佐名簿にもお名前がない・・・・ということは大村?」


『(博多での爆撃練習場面)最初に中尾の直撃が出ると、柄本先輩は
「そうか、中尾が直撃を出したか。パイン罐第一号か、お目出とう」と、鷹揚にかまえていた。つづいて、鶴見練習生が直撃をだした。
「直撃第二号か、お前たちのクラスは、爆撃の方も相当なもんだな。思ったより上手らしい」と、まだ余裕があった』(本間猛『予科練の空』光人社)
その後も直撃を出し続け、結局、
「爆撃で、お前たちに教えることは何もない、すきにやれ」となるのですが・・・・(;^ω^)


博多集合写真にお顔は見つけられなかったのですが、この記述からわたしは「鶴見さんは実用機飛練は博多」だと判断しました。




この4人が下士官一種軍装で一緒に写っているということは、飛練卒業後、大型機講習時代(木更津)か実施部隊に出てから、ということになります。


「なら、どうして特技章がついていない?」

そこに引っ掛かってKさんにしつこくしてしまいました(^^;)

「操縦専修生は実用機飛練を卒業したときに特技章をもらっているみたいなんですが、偵察専修は違うんですか?」

ってことです。

いろいろやりとりがあって、Kさんからは、

「実用機飛練を卒業したときにもらっているはず」

みたいなお返事をいただきました。


おかしいなあ~、何か事情があって特技章だけ外していたんだろうか?


モヤモヤしつつ解決しないままだったのですが、藤原さんの写真の中にこれの答えがありました!(^o^)

Kさん! 解決しましたよ!ヽ(^。^)ノ


この写真です。

飛練十期偵察専修生の修業写真です。
大村での実用機教程。
※のちにこの場所は大分空であると判明しました。以下、「大村→大分」で。


要するに、偵察専修生総員から博多飛練写真に写っている人たちと宇佐実用機飛練名簿の人たちを差し引いたメンバーです。

まだ検討中です。
下士官に任官後なので、どの人が練習生でどの人が下士官教員かまだ判別できていません。なので、人数も不明。

ですが!

冒頭の写真の4人を見つけました!

蒲田栄作さん

本間秀人さん

鶴見堅三さん

鈴木俊夫さん


鶴見堅三さん!

鶴見堅三さん!!


大村じゃないですか~。

本間さんはきっと鈴鹿時代の思い出と混同したか、別の誰かと混同したか?



ということは、冒頭の写真は下士官任官記念写真かな?
かれらは16年10月1日に下士官(3飛曹)に任官しました。

大村実用機飛練の卒業が「16年10月31日」と写真に書かれているので、3飛曹任官から特技章がつく卒業までの間、16年10月1日~30日に大村で撮られた写真なのでしょう。

※実用機飛練の卒業日時に関して。
羽藤さん(戦闘機操縦・大分)は30日卒業で特技章もその日に授与。井原さん(艦爆操縦・宇佐)も30日卒業(のち戦闘機に転科)。
坂田さん(偵察・博多)は31日卒業。
操縦が30日で、偵察が31日なのか? それとも練習航空隊によって違ったのか?
各練習航空隊卒業の人の履歴を見ないと卒業が30日なのか31日なのかわかりません。
木更津(中攻操縦)の卒業が30か31日かは現時点で不明です。



※画像は雄翔館、藤原さんご遺族ご提供

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