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ホリブンの話2008年11月12日 10時03分31秒

階級章は「飛曹長」、救命胴衣も「堀飛曹長」。もうええって?
軍人さん、しかも飛行機乗りなので、「死」はいつでも覚悟していたと思います。

・・・・思いますが、それでもいつも「自分はいまから死ぬ、死ぬ」と思いながら戦っているわけではないでしょう。

ママはホリブンが搭乗員だった全期間の経験を余さず知っているというわけではありませんが(逆にほとんど知らない)、それでもホリブンが死を覚悟した瞬間が最低2度はあったように思われます。

以前に、ホリブンがラバウルの582空時代、被弾撃墜され、落下傘降下して、海上を19時間漂流した話は書いたと思いますが、あのときは不思議と絶望感はなかったそうです。ご本人いわく、
「あるいはそう感じるだけの余裕がなかったのかも知れない」

当時の堀さんはちょっとやんちゃなところがあって、「やられたら潔く死ねばいい」と思っていたようで、普段は落下傘も携帯していなかったとのこと。この日は「味方上空だから」ということで、司令から落下傘を携帯するように言われてたまたま装着していました。

もうダメだとは感じなかった―と言いながらも、海上をウロウロしながらご両親や故郷のことを思い浮かべたらしいので、本人の自覚はともかく、心のどこかで「このまま死ぬのか」という思いはあったかもしれないですね。

19年秋、当時台湾で練習航空隊の先任教員をしていた堀上飛曹。突然「特攻」ということを目の前に突きつけられます。

9月中旬のある日、全搭乗員が道場に集められ、司令から、
「妻子のあるものはここから出よ」
「長男、許婚者あるもの、及び一人息子も同じく退場せよ」
と言われます。
堀さんはこのどれにも該当せず、当然その場に残りました。
司令から現状やそれに対する克服方法に関する話があり、自分の考えに同調するものは後刻氏名を申し出るようにと言われたそうです。
司令は「特攻」とか「体当たり」ということばは使わなかったそうですが、意図するところは明らかにそれだとわかったそうです。

このとき、堀さんがどう思ったのか、手記には具体的に書かれていません。

ただ、堀さんは落下傘降下で右腕を骨折して以来、ずっと練習航空隊の教員勤務ばかりで、同期や先輩後輩の活躍を聞くたびに焦燥を感じていました。上官の斎藤順大尉に「前線に出してほしい」と何度もお願いもしていました。

そんな状態の時にこの特攻の話を聞いたのですから、なんとなく堀さんの心情は想像はできます。

解散になり、道場を出ようとしたとき、斎藤分隊長に呼び止められます。
「おれと一緒に行ってくれるか」
「はい、喜んで一緒に参ります」
「そうか、頼む」
斎藤分隊長は堀さんの手を両手で握り、何度も上下に打ち振ったそうです。

堀さんはたぶん、斎藤大尉に声をかけられなくても志願していたんじゃないかな、と思います(手記を読んで、なんとなくママがそう感じる、というだけの根拠のない話ですが)

一方の斎藤大尉は苦渋の決断だったろうな、つらかったろうなと思います。
誰か部下を連れて行かないといけないとすれば、やはり信用している、一番かわいい部下を連れて行くのでしょうか・・・・。
いくら信頼関係があっても、部下を「特攻」に誘うのはつらかったろうと思います。

結局、堀さんのこの特攻志願は、343空への転勤によってうやむやになってしまいました。(斎藤大尉も他隊へ転出)

堀さんはその後343空で紫電改に乗り、内地の防空戦に活躍されます。
そして、生きて8月15日を迎えることができました。

ところが、その直後、司令から准士官以上に対して「おれは自決するから、一緒に自決するヤツ、ついてこい」と非情なお達しが・・・。

5月に飛曹長になっていたホリブンは当然「ついてこい」の対象です。

343空にいったい何人の准士官以上がいたのかわからないのですが、中には「戦って死ぬのならともかく、自決は嫌だ」と呼び出しに応じなかった搭乗員や、呼び出しに応じてその場に出向いたものの「妻子のある者は帰れ」と言われ思いとどまった人もいたようです。

ホリブンはこのときのことは、自分の手記の中ではまったく触れていません。
なので、その時のホリブンの心境はまったく不明なのですが、事実だけ書くと、ホリブンは最終的に自決を決行するとして残った20数名のうちの1人でした。

結局、この自決話も、司令が秘密作戦を遂行するための仲間を得るための狂言(?)でした。
自決決行直前に「待て」がかかり、実はこれこれしかじかで・・・・ということで、自決はせずに済んだのです。

今回はホリブンのこととして取り上げましたが、当時の搭乗員は多かれ少なかれ、自分の命のことを鴻毛ほどに思っていないようなフシがあり・・・・。
いや、特攻にしても自決にしても決断するまでにはいろいろな葛藤や懊悩があったかもしれませんが、決断してしまったら意外とさらっとしているというか・・・・。表面、さらっとしているようにふるまわないとやっていられなかったのでしょうか・・・・。

艦名を間違えたらしい(笑)2008年11月12日 11時37分49秒

ネットのニュースを見ていたら、某国の某大統領が、戦艦大和を戦艦「ヤマモト」と言い間違えたとか?

わかる、わかる~(^o^)
んなわけないっ!

日本人なら絶対に間違えるはずのない戦艦名。
そもそも日本の戦艦には人名はつけないですよね。

でもあの国は艦に人名を平気でつけるよね~。あの国だけではないけど。
余計なお世話ながら、いつもママは、
「この艦が轟沈されたら縁起わりーーー(>_<)」
と心配しちゃいます。

たとえば本当に戦艦「ヤマモト」という戦艦が日本にあったとしましょう。
もし、それが撃沈されたら、山本権兵衛さんや山本五十六さんだけではなく、全国津々浦々のヤマモトさんが気い悪いよね~。

あっちの人たちはそういう感情的なものってないのでしょうか。
自分ところの偉大な王様や偉大な大統領の名前の付いた艦が沈められたらめっちゃショックやと思うけど・・・・。

やっぱり、川の名前や山の名前、旧国名ぐらいが無難ですよね~。

話は全く変わりますが、最近ニュースを見ていると、よく「歴史観」、「歴史認識」ということばを目にします。
このことば、いったい、何?
「歴史」というのは事実を探求するものではなく、「観念」的なもの、個人や国家で「認識」するもの、ってことでしょうか?
最近フツーに使われているんですけど、なんかひどく違和感のあることば・・・・。

たしかに、歴史的事実というのはタイムマシンにでも乗ってその場を覗いて見ない限りわからないこと(と、ママは思っている)。
「事実」というものが1つあったとしても、そこに人の目、口、筆が加わればどうにでも解釈できるもの。

「歴史観」とか「歴史認識」ってことばは、「事実」ではなく「解釈」だって認めているってことでしょうか・・・・?

(すいません、これは全部ひとりごとです。特に後半、ひとりごとです。お気になさらずに・・・・)

今日のプール2008年11月12日 19時23分24秒

今日はプールにシノ先生とたかだ先生が来てくれました。

”わざわざ”春海を見にきたというより、自分たちのトレーニングの後”ついでに”春海の泳ぎも見ておくか、って感じでしょうか(笑)。

春海は着替えに入った更衣室で、泳ぎ終わって着替えていたシノ先生とたかだ先生に会ったようですが、たかだ先生の話によると春海はどうもたかだ先生のことがわからないような雰囲気だったとか?
最後に会ったのはいつでしたっけ?
たぶん、春休み頃にN研究所に女子大生のおねえちゃんを伴って行った時・・・・あのときですよね。
春海は半年もあれば十分に人の顔は忘れます!(きっぱり)

でもたぶんたかだ先生がフツーの格好だったからだと思います。
キャップかぶってゴーグルしてスイムスーツを着ていたら、
「あ、たかだ先生だ♪」
とすぐにわかったことでしょう。
(春海、たかだ先生と一緒に泳ぎたいって言っていました)

春海は今日もいつもと同じでした。
クロールの手回しはもうずいぶんよくなってきました。
でも、「キックが弱い」とコーチにまだまだ言われ続けている(場外コーチたちにも)。
背泳ぎはキックが悪い&弱くて全然進まない状態。

コーチの指導を見ていたら、どうも、1か月で背泳ぎ25メートルの認定は出さない方針のようですね。25メートル通しで泳がせることもなくなりました。
春海はいつも12.5メートル地点で止められ、ゆうなちゃんが指導を受けている間、見学席の方を向いて、いまの泳ぎ「○」か「×」か、こちらに聞いてきます。暇を持て余しているようです。

なので、今日はプールが終わった後、フロントのおねえさんに「要望」と称して、
「12.5メートルしか泳がせてもらえないので、プールの真ん中で遊んでいます。もういっそのこと向こうまで泳がせてください。多少目を離しても溺れるようなことはないと思うので」
と言っておきました。
他の子供が泳いでいて春海の泳ぐ場所がないとか、そもそも25メートル泳ぐ泳力がない、というのなら諦めますが、コーチの目がちょっと離れるから、ということなら、泳がせてもらっても大丈夫だと思うんですよねえ・・・・。金曜日はコンスタントに25メートル泳がせてもらっているのだし。わたしが目を離さず見ているので、万が一、溺れそうになったら、ゴンゴンゴン!!!とガラス窓を叩いて知らせますから。

それと今日はプールが終わってから、歌舞伎コーチとお話をしましたよっ!

春海がいつものようにフロントのそばの長いすで青汁を飲んでいたところ、授業を終えた歌舞伎コーチが横を通りかかりました。

「この子、どうですか?」
と聞いてみました。
(ここのスイミングは担当コーチと一切話できません。水曜日のYコーチは5月から見てもらっているけれど、春海の泳ぎについて話をしたことは一度もありません。以前通っていたところは授業終了後やテスト終了後にコーチが更衣室までやってきて保護者に「お宅のお子さんは・・・・」と、ここが上手とか、ここが克服できていない、という話をしてくれたのですが・・・・)

すると歌舞伎コーチ、
「ぼくはこの子、金曜日に見ているんですけどね」
と前置きして、(知っているわい、そんなこと。だから聞いたんでしょうが)
「キックがちょっと弱いですねー。手回しをつけるとそっちに神経が行ってしまうのか、足がおろそかになるようです」
と。

ああ・・・・誰に聞いても、やっぱり同じなのね・・・・。

「でも、まだ習い始めたばかりなので、慣れてきてリズムも取れるようになってきたら自然に足もついてくると思いますよ」

・・・・歌舞伎コーチに見てもらいだしたのは11月からだけど、実は背泳ぎ、3月から練習しているんだよねえ・・・・。
半年やってこれだよ・・・・。

「まだ小さいから体力的なこともあるだろうし」

ありがとう、歌舞伎コーチ・・・・(T_T)
体力つけるために、またシノ先生に週末の水中格闘をお願いしておきます!!