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梓特別攻撃隊12008年02月21日 19時26分21秒

吉野・如意輪寺に残る楠木正行の辞世の扉
かゑらじとかねておもへば梓弓 
      なき数に入る名をぞとどむる


南北朝時代の武将・楠木正行(正成の息子)が吉野・如意輪寺の扉に鏃で書きつけたといわれる辞世です。

それからおよそ600年の時を経て、再び、前途ある若者たちが「梓」の名のもと、二度と帰らない旅へと飛び立っていきました。

昭和20年2月20日、梓特別攻撃隊が正式に編成され、発令されました。
銀河(3人乗り、陸上爆撃機)による、ウルシー泊地に碇泊しているであろう米機動部隊への体当たり攻撃隊です。

762空の銀河24機(体当たり機)と、801空の二式飛行艇3機(天候偵察機1、誘導機2)です。

銀河は3人乗り、二式飛行艇は1ペア12人。

これだけの若者たちが、この日から、攻撃実施の日(未定)まで、地獄のような毎日を過ごさなければならなくなったのです。

攻撃実施は「米艦艇がウルシーに在泊しているとき」ということなので、相手次第の攻撃日になります。
明日かも知れない・・・・いや、10日後かもしれない・・・・もしかしたらひと月先かも知れない・・・・。
でも、確実に死ななければならないのです。
そんな状態でよく軍紀を保ち、士気を保ち、訓練に励めたと、かれらを尊敬します。
途中、訓練中の殉職者を出しながらも、それを乗り越え、かれらは1日、1日と攻撃実施日に近づいていきます・・・・。

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