Google
WWWを検索 ひねもすを検索

春海の好きなおっちゃん2008年02月02日 09時53分08秒

春海の好きなおっちゃん
春海と一緒に写っているのは、あるバス停の交通整理のおっちゃんです。

なぜか、春海、このおっちゃんが大好きです。

風貌は・・・・かなりジャムおじさん系です。(←アンパンマンに出てくるおじちゃんです、わかるかな?)

ロータリーに出ると、その歩道を一目散に駆けて、このおっちゃんが待機している半畳ぐらいの待機ボックスに行き、扉の隙間から中を覗き声をかけているようです(ママはいつも置いて行かれています)。
すると、おっちゃんが扉を開いて春海の相手をしてくれます。

春海は「おねえちゃん」は好きですが、どちらかというと「おじちゃん」は苦手。なのに、このおっちゃんは大好きで、
「歯が抜けた」
とか、
「歯が生えてきた」
とか、交通整理のおっちゃんにはどうでもいいようなことをよく話しています。

バスが前の停留所を出るとおっちゃんの無線に連絡が入り、それからはおっちゃん、仕事です。
右から左からくる車をあっちに寄せ、こっちに寄せ、バスが通れるようにします。
(はっきり言って、あのおっちゃんがいなかったら、バスは通れないような道です)

雨の日も、寒い日も、毎日、ここで赤い棒を持って交通整理をしています。
ご苦労様です。

朝から泣かされました2008年02月02日 10時14分29秒

海軍飛行予科練習生
ある方から、とっても貴重な資料を教えていただきました。

詳しく書けないのですが、西澤飛曹長に関することです。

考古出身のママは資料収集癖が抜けず、以前、「西澤廣義の肉声」なる自分用の資料を作ったことがあります。出版されている戦記類から、西澤飛曹長が実際に発したと思われる会話を集めたものです。
(なので、小説と判断した書物からはとっていません)
「自分用」と言いながら、迷惑を顧みず、ガイ子さんには送りつけてしまったんですけどね(^_^;)

今回教えていただいた資料には、ママが集成した「西澤廣義の肉声」の何倍もの肉声が収録されていました。

そして、そのどれもが、かれの人間のすばらしさを伝えるものでした。
戦記で西澤さんのエピソードを読んで、いままでは、
「戦闘機乗りとしては立派な人だけど、近くにいたらきっと嫌なヤツ」
と思っていたのですが、ママはここできっぱりさっぱりと転びます。
「西澤さんは近くにいてもすばらしい、尊敬できる人間に違いありませんっ!」

かれの発したことばのひとつひとつに涙が止まりませんでした。
国のために命を賭けて戦うというのはこういうことなのか、と激しく感動しました(戦争を肯定しているわけではありませんよ)。
先日紹介した金井兵曹の日記に通じるところがあるかも・・・・。

それだけでも感動して涙、涙、だったのに、だめ押しで西澤さんが実際に書いた文章というものを初めて目にしました(活字ですが)。

これこそ、究極の「西澤廣義の肉声」です。

春海を幼稚園に送っていかないといけないのに、わーん(>_<)となってしまって、ぐちゃぐちゃになってしまいました。

これは、ママの資料収集能力ではとてもお目にかかれるものではありませんでした。
ありがとうございます、ありがとうございます、何度言っても言い足りないぐらいです。

二人の中尉2008年02月02日 21時13分53秒

朝は西澤飛曹長の知られざる一面を知り涙し、夜は深井中尉に涙、です。

最近、続いています。
数日前に、海兵72期のブログに、野中繁男中尉が海兵卒業時に書いた『征空萬里』という寄せ書きの写真が出ていました。
他の同期生数人の寄せ書きも掲載してあったのですが、わたしが名前を知っていたのは野中中尉だけでした。
野中中尉は深井中尉の同僚であり、親友であり、深井中尉の特攻戦死されるひと月ちょっと前の昭和20年4月6日に宇佐空の八幡護皇隊の指揮官の一人として特攻戦死されています。

ものにこだわらないさっぱりした明るい人だったようで、教え子の予備学生から次のように評されています。
もし、一緒に死ぬとしたら・・・・という仮定で、数人の上官の名前を挙げているのですが、
M大尉・・・・男らしく死ねるだろう
N中尉・・・・一緒に死にたくないと思って死ねるだろう
Y大尉・・・・夢中で死ねるだろう
そして、野中繁男中尉は、「愉快に死ねるだろう」です。

この野中中尉が兵学校卒業時に書いたという『征空萬里』。
当時はまだ特攻作戦が開始される1年以上も前。
おそらく、これから飛行機乗りになるということに夢や希望をたくさん抱いて、この文字を書いたのだと思うのですが、中尉の最期を思うと逆に悲しくなってしまうことばです。

そして、今日は深井中尉。
奉職履歴の最後の行にたった一行「20.5.11.戦死」と書かれてあるのを見て、無性にもの悲しくなりました。
22年。
海軍に入って5年。22歳で国のためにたった一つしかない命を捧げて、これなのか・・・・と。

深井中尉の所属するK501は飛行隊長が特攻反対を明言している隊でした。
特攻反対の飛行隊としては美濃部正隊長の彗星夜戦・芙蓉部隊(通称)が有名ですが、美濃部隊長以外にも特攻に堂々と反対し、特攻以外の正攻法を続けようとしていた隊長がいるのです。

深井中尉がどうして特攻に行かなければならなかったのか・・・・。
「20.5.11.戦死」、これだけですませてほしくないな・・・・。

※野中中尉の寄せ書きと深井中尉の奉職履歴は「なにわ会のブログ」に出ています。
http://naniwana.exblog.jp/