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蒼龍艦攻隊 12分隊2022年04月20日 15時20分17秒

※修正版をアップしていますので、そちらをご覧ください。
修正前の記事(これ)も再度アップしますが、最新版はこちら




※さっそく申し訳ありません、ご指摘をいただき訂正したので搭乗員表を差し替えました
202204210015
訂正箇所は
「難波貫二(誤)→藤波貫二(正)」
「宮崎徳三郎」「一飛曹(誤)→一飛兵(正)」
「小川政次」「三飛曹(誤)→二飛曹(正)」に訂正し、12分隊搭乗員表の順番を入れ替えました
11分隊名簿にお名前があった「潮万之助」「三飛曹」の氏名階級を削除しました


何度かブログで取り上げている9期・島田清守さんの遺品の中にあった蒼龍艦攻隊の宴会写真。
いわゆる「12分隊」の宴会写真です。

昭和16年11月12日、鹿屋翠光園で行なわれた12分隊宴会写真だと判明しています。
真珠湾出撃前の壮行会といったところです。
※島田さん日記→本文右欄にリンクがあるので興味のある方はどうぞ


いままで「12分隊」の構成員がまったく把握できていなかったのですが、ここにきて急展開。
知人のOさんが、
「こんなんありました」
と超貴重情報を提供してくださいました。

昭和16年11月時点での蒼龍艦攻隊11分隊名簿!!

「う゛えええええええ!!!!(;゚Д゚)」

なんか急にわたしのブログのこと(「蒼龍艦攻隊12分隊がわからん!」)を思い出して送ってきてくださったみたいです。
搭乗員と整備員の下士官兵の名簿です。


この12分隊写真の中で、わたしが「写っているに違いない」とすでにほぼ確信しているのは、

ご当人の島田清守さん


島田さんと一緒に蒼龍に着任した同期の佐々木隆寿さん


割と早い時期に気づいた乙7期・石井利一さん


乙6期・小町齢さん


そして、去年末のBS1スペシャル「生きて 愛して、そして」に映ったお仏壇の遺影から推測した偵練35期の金井昇さん




あと、自信がない人が数人いるのですが、まずは答え合わせしましょうか。

真珠湾攻撃時の水平爆撃隊と雷撃隊別の編制表に、11分隊名簿にお名前のある人を書き込みました。
※色がついているのは以前作った出身別色分けの編制表を流用したからです



わたし、てっきり「真珠湾時の水平爆撃隊が12分隊で、雷撃隊が11分隊なんじゃないか」と思っていました。
よく考えたら、12分隊宴会写真に石井さん(雷撃隊)が写っているのだからそんなわけないのに。

で、こうして記入してみると、水平爆撃隊も雷撃隊も11分隊半分、12分隊半分から構成されていることがわかりました。
基本的にペア3人は同じ分隊ですね。
おそらく11分隊名簿に氏名のない准士官以上の人たちもその法則で分隊分けしてよいのだと思います。


つまり、こう↓


じつは、見せていただいた11分隊名簿は手書きで一部よく読み取れません。故意に消してあるのか、たまたま読み取りにくいのかは分かりません。
それが上の赤字の人たちです。
よく読み取れないのですが、ハワイ攻撃の道中(真珠湾攻撃、哨戒、ウェーク島攻撃)の蒼龍艦攻隊の編制表などと突き合せたらどなたが消えかかっているのかはわかります。※おひとりだけまったく読めない上に、編制表に該当者がいないようにある

田辺さん、新井さん、田村さんが11分隊であれば、人数配分的にはバランスはよいです。
判読不能のおひとりが11分隊であればなおバランスがよいです。ちょうど同数になります。
ハワイ攻撃の道中、一度も搭乗配置につかなかった搭乗員がいるんだろうか? いるとしたらたぶん操縦の一飛。
これは今日の本題からそれるのでひとまずおいておきます。



上のことから推測した蒼龍12分隊構成員です。
先任順に並べようとしているのですが、わからない人もいるのでそこらへんは適当になっています。


准士官以上が6人です。
写真に写っているのも6人じゃないかと思います。
「思います」とあいまいにしているのは、かれらがコスプレお楽しみ中だからです。
長髪の人は高確率で准士官以上だと思います。
しかし士官の上着を着ている人が本当に准士官以上かどうかはわかりません。ましてや軍帽は簡単に取り換えっこできるので、もっとわかりません(現に大尉の階級章の上着に下士官の軍帽の人がいる)。
軍帽は無視して、長髪と軍服の上着で数えた結果、たぶん6人。
でもわからんなー。
下士官でも上着を脱いでシャツ一枚になっている人がいます。酔っぱらってふざけてそこら辺に掛けてあった士官の上着をひょいと着込んで写真に写った可能性もありますからね。

大尉の階級章の上着に下士官の軍帽の人がいると書いていますが、わたしの12分隊推測が正しければ、大尉は阿部平次郎大尉と中島巽大尉しかいないのだからその上着はお二人のうちどちらかの上着ということになります。中の人が阿部大尉か中島大尉かどうかまではわかりません。
中島大尉の写真を見る限りでは、かれではないような気がしますが・・・・。


兵はジョンベラの人だと思うのですが、人数が合わないんですよ(T_T)
写っている兵の人が少ない気がします。
もしかしたら、下士官の上着を着ている人の中に、じつは中はジョンベラ、って人がいるのかな?



乙2の中村さんや乙8の花田さん、根食さん、小川さんがいるみたいなんですよね、あの中に。
花田さんと根食さんは「もしかしてこの人かな?」という人がいるのですが、他の人はほぼわかりません。他にもお顔を把握している人が何人かいるのですが、いくら見比べてもわかりません(T_T)
宴会写真、みなさん、めっちゃ上機嫌で笑顔なので難易度高いです。しかもフラッシュだし。


そうそう、これまた貴重情報なのですが、金井さんも翠光園宴会のことを日記に書いているらしいです。
しかも、島田さんが日記に書いていない12分隊ウラ情報が!(;゚Д゚)(;゚Д゚)(;゚Д゚)
正直、知らなくていい情報でした。いや、知らなくても予想はできた情報でした。
「あー、やっぱりー( ;∀;) そーか、だからみんな上機嫌なのかー( ;∀;)」







というわけで、蒼龍艦攻隊12分隊でした。




※画像は9期生ご遺族ご提供。Oさん、ご教示ありがとうございます。

教員の川崎助男さん2022年04月19日 20時59分27秒

先日見せていただいた海軍のふたごの搭乗員のアルバムにこんな写真がありました。

お兄さんの方、飛練29期戦闘機・大分海軍航空隊での修業記念集合写真。
18年9月末でしょうか。

その教員列に9期の川崎助男さんが写っていました。

いま、川崎さんのところを見返してみると、10年前に書いていてほとんど何も書いていないですね。

ちょっと出しておきます。
入隊時氏名入り班写真の川崎さん。
13年6月。


これは正確な時期はわからないのですが、17年の5月ごろかなあと思っています。
戦闘機5人(安達繁信さん、大正谷宗市さん、松本勝正さん、川崎助男さん、柴田勉さん)に偵察の遠藤秋章さん(花束)が混じっています。

川崎さん

飛練卒業後は台南空、22航戦司、大分空、飛鷹。








飛練29期大分の集合写真に話を戻します。
ふたごのお兄さんの方。


幹部列に、
相生高秀さん(兵59)かな?
飛行隊長。

スイマセン、他の方はどなたかわかりません。
教員方々も戦闘機の方でしょうし、名前は聞いたことがある、って人がいるのかもしれませんが・・・・。


※画像は9期生ご遺族・ご家族、知人ご提供

たぶん瑞鶴派遣艦攻隊 その22022年04月14日 11時07分28秒

18年12月~19年1月ごろにかけてラバウル周辺で撮られたと思われる瑞鶴派遣艦攻隊の集合写真。

昨日、この写真に関してブログに書いたところKさんから新たな情報をいただくことができました。

「集合写真に乙6期の山野一郎さんもいるんじゃないか?」

探してみました。

イス列のこの人かな?

予科練時代の山野さん。
目元がわかりにくいですが、顔の下半分と耳は同一人物のように見えます。

編成表に山野一郎さんのお名前はあったのですが、わたしはそれが乙6期の方だとわかっていませんでしたorz



わたしなんかは編制表を見ても、
「あ、この人、名前見たことある」
とか、その程度しかわからないんですが、Kさんは「〇期の誰誰さん、戦没状況は・・・・」まで頭に浮かんでくる人です。
何か虎の巻を持っていてその都度それで調べているとかではなく、道を歩きながら話していても同じ情報が出てきます。いつも「記憶容量どうなっているんかな」と思います。

Yさんもそうです。
以前、電車でご一緒したり、車でご一緒したり、ファミレスでご一緒したりの機会があったのですが、搭乗員や隊のエピソードをたくさん聞かせてもらえました。とても有意義な時間でした。

おふたりとも0から自分の足で調べられている人たちです。

そういう方々からご教示いただいて(文章まで考えてもらい)、自分のブログに書く――たいへん申し訳なく思っています。

が、今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>とも思っています。スイマセン、ホンマにスイマセン💦



※画像は6期生ご家族、知人ご提供

たぶん瑞鶴派遣艦攻隊2022年04月13日 14時54分08秒

いつもお世話になっている知人の方から、乙15、飛練29期(筑波空)の搭乗員の写真を見せていただきました。

いまから思うとすごい不思議な話なのですが、最初聞いたときは、
「乙15は知っている搭乗員さんはいないけど、もしかしたら飛練の教員に9期生がいるかもしれないので見せていただきたいです」
という感じで返事をしました。

その後で、写真の主の名前を教えてもらいました。
その名前を見たとき、我が目を疑いました。
「あっ!?(;゚Д゚)」
マジで声出ました。

ウソやろ、と思ったんです。

数ヶ月前に、いつものKさんとメールをしていました。
話題は9期生のことです。そのとき、どういうわけかKさんが、
「海軍の搭乗員でふたごがいる」
みたいな話題を出して、おふたりのことを教えてくださったんです。
9期生とはまったく無関係の人たち。

今回の写真の主・乙15出身の搭乗員の方がまさにそのふたごのお兄さんの方だったんです。


いやあ、もうびっくりしたのなんのって。

こんなことある!?って思いました。

Kさん情報ではお二人とも戦死されているとかで。

今日はとりあえず名前は出しません。
(出すかどうかは今後考えます)
「お兄さん」「弟さん」で説明しますね。

知人の方が写真を送ってきてくださいました。
お兄さんのお名前のあるアルバムです。
ふたごのツーショットはあるかなと思って探しましたが、見当たりませんでした。
本人のお顔はほぼつかめました。

9期生も写っていました。
お兄さんは戦闘機なのですが、大分空の飛練修業記念写真らしき集合写真の教員列に川崎助男さんが写っていました。
「助さん!( ;∀;)」
9期生を見つけるとうれしいです。知っている人と再会したみたいで。
今日はそれが本題ではないので、川崎さんはまた今度。


今日の本題はこれです↓。
実施部隊らしき集合写真。

本人は?
わたしの認識が間違っていなければたぶん、これ。

前に藤本速雄さんの写真で、マリアナ沖海戦前の訓練地での集合写真を見たのですが、同じような雰囲気でした。
「601空か!?」
と思って、戦闘機搭乗員に詳しい知人に見てもらいました。具体的には、
「これ、〇〇さんじゃないですか?」
と601空のベテラン搭乗員を名指しで聞いたのですが、
「違うようにある」
との返事。
「(仕事なので)夜ゆっくり見ますね」
みたいな感じで今日の日中に突入。

「そうだ。Yさんにも聞いてみよう」
こういうのにめちゃ詳しいと思われるYさんにも写真を見てもらおうと送ってみました。

「この写真、見たことないですか?」


送った後で、弟さんの方も気になり始めて、弟さんが所属していた18年11月ごろの瑞鶴の行動調書を見始めました。

「あれ?」

18年末から19年初の瑞鶴って、先日ブログに書いたばかりの8期の根食貞憲さんや偵練38期の森本敬司さんがいらしたみたいなんですよね。
もっというと、7期の大迫留彦さんや大江道大さんのお名前もありました。
「みんないるやん」
と思い、集合写真を見返してみたところ・・・・。

いらっしゃるんですがっ!?(;゚Д゚)




偵練38期 森本敬司さん


7期 大迫留彦さん

大迫さん飛練時代


7期 大江道大さん

大江さん予科練時代



「待て待てー! 瑞鶴の艦攻隊ということは写っているのは兄じゃなく弟の方か!」
どうやら艦攻操縦員の弟さんの方らしい。

で、アルバムを見返してみたんですが。どうも、兄と弟の写真が書き込みなしでバラバラに貼られているっぽい(^^;)
しかも、激似。
わたしはよく「他人の空似」をやらかしてしまうのですが、これは他人ではなくふたご。
空似ではなく、本当に瓜二つなんですよ。

わたし、高校のときに同じクラスに一卵性のふたごの男子がいましたが、ちゃんと区別はついていました。どっちかに好意を持っていて特別じろじろ見ていたとか、そういうわけじゃありません。
ふたごといっても何となく違うもの。
しかしね。今回のふたごさんたち、めっちゃ似ているんですよ。
どこで見分ければいいのっ!?

とりあえず、見分けるポイントを見つけたので(顔ではない)、それが写っているものに関しては「これはお兄さん」「これは弟さん」とフォルダーにわけています。別々にじっくり見て顔で見分けれられるようにします。




そうこうしているうちにYさんから返事がきました。

「拙著(『流星戦記』)の42ページに掲載している写真です」

「あああっー!?(;゚Д゚)」ですよ、ホントにもう。
その本、持っています。
すぐに見ました。ありました。穴があったら入りたいですorz
よりによってYさんに聞いてしまうなんて。
いや、Yさんに聞いてよかったです。

Yさん(イニシャルの必要はあるのか?)は、写真提供者の方から二航戦の集合写真と聞かれていたみたいですが、Yさん的には再考の必要ありと思われていたようで。
「ママさんの見解は?」
と聞かれたので、じつは瑞鶴の行動調書に・・・・という話をしたところ、今日のタイトルの返事が来た、と(^^;)
「たぶん瑞鶴派遣艦攻隊」
Yさん曰く、”謎の組織”らしいですよ(; ・`д・´)

わたしが「謎の組織だったらブログに書けない」って言ったら、ちゃんと考えてくださいました。

「ろ号作戦後、第1航空戦隊飛行機隊が第601海軍航空隊の編成準備に入った際に、選抜されてラバウルへ進出した兵力」

らしいです(Yさんご教示)。


Yさんの本にお名前があった搭乗員の方。
普電練55期 村上則明さん

普電練55期 橋本真二さん


場所はどこでしょうね?
ラバウルかブーゲンビルかも、という話でしたが。
行動調書を見たらブナカナウと書かれているものもあったので、まあ、あの周辺なのでしょう。



搭乗員さんの写真などを見ていると、本当に不思議なことがたびたび起こります。
写真を見せてくださった知人の方も、KさんもMさんもYさんも、ありがとうございます。
そしていつも頼ってばかりでスイマセン(汗)



※画像は7期生ご遺族、浅川さんご家族、知人ご提供

『予科練外史』1巻2022年03月02日 16時01分47秒

『予科練外史』(倉町秋次)の1巻を入手しました。

Kさんが「重複しているから」とくださったものもあるので、欠けている巻をバラで探していました。



6巻揃いはけっこう見かけるのですが、「1巻」というのがなかなかなくて、先日ようやく発見。
「やったー! あったー!\(^o^)/」
書店の案内に初版本で謹呈本であることが書かれていましたが、特に気にせず求めました。
※安価だったことが大きい



昨日届きました。
きれいな本でした。


「そういえば謹呈本だって書いてあったな」
と思って表紙の内側を見たら、

贈られた方のフルネームが毛筆で「〇〇様」と書き込まれていました。

「まさかな」
と思いつつ、予科練名簿で検索したら同姓同名の方がいました。
もしかしたら、倉町先生が教え子に贈った本なのか?
まったく予科練無関係の同姓同名の方か?。

ふつう、謹呈本って、著者がお世話になった人などに贈る本ですよね?
倉町先生、いろんな人に贈られているのだろうか?
Kさんからいただいていた中にも「呈上」の朱印が押してある本がありました(お名前はなし)。


今回の本、どういう事情があって持ち主の手を離れたのかわかりませんが、縁あってわたしのところに来たので、大切に使わせていただこうと思います。