操練24期 髙橋利男さん ― 2022年04月06日 22時09分30秒
昨日、佐保川沿いに桜を見に行ったのは、もちろん花見目的も大きかったのですが、ほかにもいくつか目的がありました。
クリームパンを食べたい→定休日だった
天平庵のソフトクリーム食べたい→販売終了
(´・ω・`)
花見以外で達成できた目的はこれだけでした。


髙橋神社!
全国の髙橋さんを代表してわたしがお参りに行ってきました。
というのは、冗談――ではなく、けっこう本気で言っています。
ここのところ、ちょっとこの写真の「髙橋氏」について考えていました。

前に一度書いているんですが、下がこの写真のネガ袋の記名。

てっきり左から平塚氏、髙橋氏、金子氏、古俣氏だと思っていましたが、いろいろ検討した結果、左から古俣氏(確定)、金子氏(確定)、髙橋氏(推定)、平塚氏(推定)ではないかと。
髙橋氏についてはKさんから操練24期の高橋利男さんではないかとご教示いただいていました。
あれからいくつか写真を見つけたので追加します。

操練46期、教員列にいる髙橋さん。

これは9期が操偵検査でお世話になったときの百里原の教員さんたち集合写真。


9期、前の分隊の操偵検査集合写真の教員列の髙橋さん。

9期、後ろの分隊の操偵検査集合写真の教員列の髙橋さん。

操練49期教員列の髙橋さん。
浅川さんのところにこんなオフショットがありまして。

ちょっと拡大↓

無帽の人は乙4の小林正さん。その右に座るのが髙橋さんだと思います。3空曹の階級章が見えています。
二人に肘をかけているのが乙3の徳永有さん。

同じときに撮られたと思われる写真。
拡大したら↓

小林くんは無帽のまま座っています。
たぶん、その右の3空曹が髙橋さんだろうと。
徳永さんは見当たりません。
一人おいて(←ホントはこれ書きたくない)、一番手前が浅川さんのようです。
前に、後ろに写っている練習生の中に中仮屋さんに似ている人がいる、8期飛練かもって書いた記憶があるのですが、教員側から検討すると、小林くん、髙橋さん、徳永さん、浅川さんが揃っているのって、浅川さんのところに残っていた集合写真からすると操練46期だけなんですよね。
これと、髙橋さんの階級章が3空曹であることを考えると、やっぱ8期ではないなという気がしています。
何期の訓練中かはちょっと保留。
そして、最近になって、16年夏ごろ?の飛龍艦攻隊の集合写真に、髙橋さんらしき人が写っているのに気づきました。

どうですかね?
17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ海戦
髙橋さんは艦攻の操縦員です。
真珠湾時は、
操・髙橋利男1飛曹 偵・中島政時1飛曹 電・金沢秀利2飛曹
と、乙7の偵察員と乙8の電信員を乗せて出撃しています。
が、金沢さんは自分の手記『空母雷撃隊』(光人社NF文庫)に「操縦員笠島上飛」(実際は2飛)と書いています。
戦後に書かれた手記なので、いろんな記憶がごっちゃになってしまったのかもしれません。しかし、手記に書かれている艦攻の動きはあきらかに髙橋さんが操縦しているもの。頭の中で「笠島上飛」を「髙橋1飛曹」に置き換えて読んだらいいかと思います。
ミッドウェーの1回目の攻撃時は、
操・髙橋利男1飛曹 偵・赤松作飛曹長 電・小山富雄3飛曹
で出撃し、エンジン不調で引き返し。
※20220605追記 赤松さんは特務少尉
2回目、
操・高橋利男1飛曹 偵・橋本敏男大尉 電・小山富雄3飛曹
で出撃。
この2回目の出撃は、隊長の友永丈市大尉のペアと偵察員を入れ替えているんですよね。赤松さんが友永機に乗り、友永機の偵察員だった橋本大尉が髙橋機に乗って出撃しています。
友永大尉が第1中隊を、橋本大尉が第2中隊を指揮するためにこういう配置になったように『飛龍天に在り』(碇義朗 光人社NF文庫)には書かれています。
赤松さんは乙1期出身で、加賀・15空時代は浅川さんのほぼ固定のペア。浅川さんの写真にもたくさん写っています。

この人です(15空明治節集合写真)。
赤松さんは友永大尉と戦死されてしまったのですが、髙橋さんは2回目の出撃も無事帰艦。
しかし、その後、艦と運命を共にされてしまったようです。
※画像は9期生ご遺族、飛龍艦攻隊搭乗員ご遺族、浅川さんご家族ご提供