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おススメの本2016年11月22日 12時55分32秒

イッチが大おじさんに近づくための、おススメの本を考えてみました。




武田信行編『ジュンちゃんへ・・・・戦争に行った兄さんより』
この本は、9期の松本勝正さんが家族に宛てた手紙を編んだ書簡集です。
若干・・・・若干・・・・解説に間違いがありますが(^^;)、松本さんは1学年時37分隊で大おじさんと同じ分隊だったので、同じ時間を共有しているはずです。

大おじさんの遺品、全部見切れていませんが、予科練の日記は14年15年の分しかなかったように思いました。
空白の13年の予科練時代は、松本さんの書簡である程度の雰囲気がわかると思います。


ちなみに松本さんはその後操縦に進み、中攻操縦専修生を経て戦闘機操縦員になりました。
19年10月26日、セブからマバラカットに戻るために乗った輸送機が敵戦闘機に襲われ戦死。同じ戦闘機隊の分隊士・西澤廣義飛曹長や本多慎吾上飛曹、馬場良治飛長も一緒でした。




本間猛『予科練の空』
9期の偵察員です。飛行艇→彩雲。予科練時代は石塚猛さん。
大おじさんとは博多飛練まで一緒でした。
予科練・飛練時代のことも書いているので、参考になるでしょう。
たまにテキトーに人名を挙げていることがあるので注意(^^;)





藤代護『海軍下駄ばき空戦記』

同じく9期偵察員。水上機。
博多まで一緒でした。
これまた予科練・飛練時代のことも書いています。


本間さんも藤代さんも戦後何十年も経ってから手記を書かれているので、勘違いなどがあるのはしかたがないです。気づいたらここで修正します。





森拾三『奇跡の雷撃隊』
真珠湾攻撃時、蒼龍艦攻隊(雷撃隊)。
操練38期出身の操縦員です。埼玉県出身。




大多和達也『予科練一代』

真珠湾攻撃時は蒼龍艦攻隊(水平爆撃)。
乙5期の先輩で操縦員です。


同じ艦に乗っていたので、読めばそのときの艦内の空気も伝わって来るのではないかと。





金沢秀利『空母雷撃隊』
真珠湾時飛龍の艦攻隊(雷撃隊)。
乙8期の先輩で、偵察(電信員)です。
上に挙げた蒼龍のお二人はお二人とも操縦員ですが、金沢さんは電信員です。電信員のお仕事や目線が描かれていて、参考になるのではないかと思います。
2航戦は帰途ウェーク島攻撃――ということで、そのときの様子も手記に描かれています。






ちょっと番外・・・・。

滝沢聖峰『海軍攻撃隊』
これ、コンビニで買ったマンガです。

短編がいくつか入っています。
最初の1編が『空母艦攻隊』です。これがめっちゃいい!!

昔、紹介しています


↑ネタばれ注意!


『空母艦攻隊』単独のマンガはどなたかご遺族の方に差し上げました。
いま『海軍攻撃隊』しか持っていないので、差し上げられませんが、貸すことは可能です。

他にも、上に挙げた本で、読んでみたいけど入手困難、ってのがあれば言ってください。
貸します。


軍艦瑞鶴慰霊祭2016年10月25日 18時12分13秒

今年も橿原神宮の軍艦瑞鶴慰霊祭に参列してきました。

この画像は終わってから撮ったので青空が見えていますが、慰霊祭の間は小雨が降っていました。



今年は例年と違って神楽の奉納や、元乗組員ご家族の歌手による歌の奉納などがありました。




記念のクリアファイルまでいただきました。
大きな封筒に入っていたのですが、慰霊祭の最後のあいさつで宮司さんが「記念に瑞鶴のクリアファイルをお配りしました」と言われるまで、その封筒にクリアファイルが入っていることに気づいておらず・・・・。

式次第が入っているのだと思って二つ折りにしてしまっていました(T_T)









今年は9期の森田守さんのご遺族の方々と一緒に参列させていただきました。
東京の弟さん、神奈川の妹さん、姪御さんとその娘さん、徳島の妹さんご家族の方々と。
弟さんも妹さんもご高齢です。遠方から来られた上に、雨に降られてたいへんだったと思います。
慰霊祭が終わってから、慰霊碑横の戦没者名録の守さんのお名前を見つけて写真に撮られている姿を近くで拝見していて胸がいっぱいになりました。

守さんのすぐ下の弟さんも海軍で戦死されているのですが、駆逐艦初月に勤務経験があるとかで。

瑞鶴の横には初月の名前が刻まれた慰霊碑も建っています。

戦没者名録と慰霊碑をバックに弟さんと妹さんと記念写真。
近くにいらした元海軍戦闘機搭乗員の息子さんに撮ってもらいました。
帰りの電車の中で見たのですが、とってもいい写真。ありがとうございました。


わたしは森田家の方々にお目にかかれただけで感激だったのですが、おみやげをいただいたり、その他もろもろ気を遣っていただいたようで、本当に恐縮です。ありがとうございました。

南日本新聞社『特攻 この地より』2016年10月20日 09時45分59秒

最近、このような本をいただきました。

『特攻 この地より』。

南日本新聞社という鹿児島の新聞社が連載していたものをまとめた本です。


鹿児島の特攻基地とその周辺、関わった人々を取り上げた本です。
いろんな角度から。





新聞掲載1回分ごとにまとめてあるので、たいへん読みやすいです。
写真も多いです。



よくこれだけ関係者に取材できたなあと思います。
陸軍海軍の生き残った搭乗員は当然として。
やはりこれは地方新聞の強みなのか、地元で勤労動員に駆り出された当時の中学生や女学生にまで取材しています。
特攻戦死された方々のご遺族にも丹念に取材されているようです。


特攻の当事者だけではなく、周辺からそれを見つめていた人、さらに時が経って現在のご遺族の方々の思い・・・・「特攻」を見つめる視点が多角的で、非常に引き込まれます。

にに たかし『東宝特殊美術部外伝上』2016年10月06日 09時00分49秒

本なので[読書]カテゴリー、中身は映画の特撮の裏話なので[映像作品]、『零戦燃ゆ』『大空のサムライ』『連合艦隊』などの裏話ありなので[海軍]にも入れています。



にに たかし(本名・長沼孝)さんの『東宝特殊美術部外伝』。
上なんで、そのうち下もでるんでしょう。

『台南海軍航空隊 ニューギニア戦線篇』や『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』などを出している大日本絵画の本です。  ↑決して宣伝しているわけではない



早く読みたいんですが、いまおうち仕事を抱えているんで、写真とキャプションをパラパラ見た段階です。

めっちゃおもしろそうです!

最近の・・・・『永遠の0』なんかはCG多用で当時の飛行機や戦闘を再現して見る人を唸らせていましたが、この時代は飛行機模型をつるしたり、艦船模型を池に浮かべて爆破・・・・とかですからね。

いまだったらDVD特典でメイキングが見れるのが当たり前のようになっていますが、この当時は、映画のパンフレットで1、2ページ触れられているだけでしょ?

それがまとめて見れるんだから!


わたしは塗装とかマーキングとかあまりわからんので、そこらへんは突っ込みません(笑)
とにかくスタッフのこだわりとか苦労とか、そういうのが読めてなかなか興味深いです。

自分が見たことがある映画だとなおさら、

「あのシーンは、こういうことだったのか!」

ってのがあるんでおもしろいと思います。



また『連合艦隊』『大空のサムライ』『零戦燃ゆ』が見たくなった!(;^ω^)


いや、先に仕事終わらす!(・ω・)ノ

筑波空の分隊2016年10月04日 17時49分15秒

分隊、分隊ってよく言うんですが、わたしももひとつよくつかんでいません。

で、大澤さんに「17年ごろ筑波空(操縦の練習機飛練)で教員をしていたときの分隊」について聞いてみました。



「ぼんやりとした記憶です」との註つきでしたが。

まず搭乗員分隊の構成員。
操縦員の分隊長、分隊士が各1名。
操縦員の下士官が7、8~10名程度。
それに偵察員の教員(下士官)が1名。

だったそうです。
偵察員の教員がいたというのが驚きでした。

そこに練習生が80名ほどいたと。

これが一つの分隊です。


搭乗員分隊は2分隊だったように思うとのことでした。

他に整備分隊2つ、主計科、警備などを担当する兵科、看護科が各1分隊あったように思う――。


そんなお話でした。




なんでこんなことを聞いたかというとですね。

当時、9期生で筑波で教員をしていた人が複数いたようなんです。
それで大澤さんがその人たちを覚えていないか聞いてみたんです。

みなさんよく「分隊が違うとわからない」と言われるので、ついでに筑波の分隊のことも聞いてみました。

大澤さんは9期生のことはまったく記憶にないそうです(お名前と顔写真を送ってみた)。

なので、分隊が違ったとか同じだったとかもわかりませんでした。
2つしかなかったみたいですが、少なくともわたしが見せてもらった大澤さんの筑波空教員時代の集合写真には9期生の教員は写っていませんでした。



もう70年以上前のことですからね。

海軍は転勤が多くて、たくさんの人と短期間の接触があっただろうし、しかたないですね。