南日本新聞社『特攻 この地より』 ― 2016年10月20日 09時45分59秒
最近、このような本をいただきました。
『特攻 この地より』。
南日本新聞社という鹿児島の新聞社が連載していたものをまとめた本です。
『特攻 この地より』。
南日本新聞社という鹿児島の新聞社が連載していたものをまとめた本です。

鹿児島の特攻基地とその周辺、関わった人々を取り上げた本です。
いろんな角度から。
新聞掲載1回分ごとにまとめてあるので、たいへん読みやすいです。
写真も多いです。
よくこれだけ関係者に取材できたなあと思います。
陸軍海軍の生き残った搭乗員は当然として。
やはりこれは地方新聞の強みなのか、地元で勤労動員に駆り出された当時の中学生や女学生にまで取材しています。
特攻戦死された方々のご遺族にも丹念に取材されているようです。
特攻の当事者だけではなく、周辺からそれを見つめていた人、さらに時が経って現在のご遺族の方々の思い・・・・「特攻」を見つめる視点が多角的で、非常に引き込まれます。
にに たかし『東宝特殊美術部外伝上』 ― 2016年10月06日 09時00分49秒
本なので[読書]カテゴリー、中身は映画の特撮の裏話なので[映像作品]、『零戦燃ゆ』『大空のサムライ』『連合艦隊』などの裏話ありなので[海軍]にも入れています。
にに たかし(本名・長沼孝)さんの『東宝特殊美術部外伝』。
上なんで、そのうち下もでるんでしょう。
にに たかし(本名・長沼孝)さんの『東宝特殊美術部外伝』。
上なんで、そのうち下もでるんでしょう。

『台南海軍航空隊 ニューギニア戦線篇』や『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』などを出している大日本絵画の本です。 ↑決して宣伝しているわけではない
早く読みたいんですが、いまおうち仕事を抱えているんで、写真とキャプションをパラパラ見た段階です。
めっちゃおもしろそうです!
最近の・・・・『永遠の0』なんかはCG多用で当時の飛行機や戦闘を再現して見る人を唸らせていましたが、この時代は飛行機模型をつるしたり、艦船模型を池に浮かべて爆破・・・・とかですからね。
いまだったらDVD特典でメイキングが見れるのが当たり前のようになっていますが、この当時は、映画のパンフレットで1、2ページ触れられているだけでしょ?
それがまとめて見れるんだから!
わたしは塗装とかマーキングとかあまりわからんので、そこらへんは突っ込みません(笑)
とにかくスタッフのこだわりとか苦労とか、そういうのが読めてなかなか興味深いです。
自分が見たことがある映画だとなおさら、
「あのシーンは、こういうことだったのか!」
ってのがあるんでおもしろいと思います。
また『連合艦隊』『大空のサムライ』『零戦燃ゆ』が見たくなった!(;^ω^)
いや、先に仕事終わらす!(・ω・)ノ
筑波空の分隊 ― 2016年10月04日 17時49分15秒
分隊、分隊ってよく言うんですが、わたしももひとつよくつかんでいません。
で、大澤さんに「17年ごろ筑波空(操縦の練習機飛練)で教員をしていたときの分隊」について聞いてみました。
「ぼんやりとした記憶です」との註つきでしたが。
まず搭乗員分隊の構成員。
操縦員の分隊長、分隊士が各1名。
操縦員の下士官が7、8~10名程度。
それに偵察員の教員(下士官)が1名。
だったそうです。
偵察員の教員がいたというのが驚きでした。
そこに練習生が80名ほどいたと。
これが一つの分隊です。
搭乗員分隊は2分隊だったように思うとのことでした。
他に整備分隊2つ、主計科、警備などを担当する兵科、看護科が各1分隊あったように思う――。
そんなお話でした。
なんでこんなことを聞いたかというとですね。
当時、9期生で筑波で教員をしていた人が複数いたようなんです。
それで大澤さんがその人たちを覚えていないか聞いてみたんです。
みなさんよく「分隊が違うとわからない」と言われるので、ついでに筑波の分隊のことも聞いてみました。
大澤さんは9期生のことはまったく記憶にないそうです(お名前と顔写真を送ってみた)。
なので、分隊が違ったとか同じだったとかもわかりませんでした。
2つしかなかったみたいですが、少なくともわたしが見せてもらった大澤さんの筑波空教員時代の集合写真には9期生の教員は写っていませんでした。
もう70年以上前のことですからね。
海軍は転勤が多くて、たくさんの人と短期間の接触があっただろうし、しかたないですね。
で、大澤さんに「17年ごろ筑波空(操縦の練習機飛練)で教員をしていたときの分隊」について聞いてみました。
「ぼんやりとした記憶です」との註つきでしたが。
まず搭乗員分隊の構成員。
操縦員の分隊長、分隊士が各1名。
操縦員の下士官が7、8~10名程度。
それに偵察員の教員(下士官)が1名。
だったそうです。
偵察員の教員がいたというのが驚きでした。
そこに練習生が80名ほどいたと。
これが一つの分隊です。
搭乗員分隊は2分隊だったように思うとのことでした。
他に整備分隊2つ、主計科、警備などを担当する兵科、看護科が各1分隊あったように思う――。
そんなお話でした。
なんでこんなことを聞いたかというとですね。
当時、9期生で筑波で教員をしていた人が複数いたようなんです。
それで大澤さんがその人たちを覚えていないか聞いてみたんです。
みなさんよく「分隊が違うとわからない」と言われるので、ついでに筑波の分隊のことも聞いてみました。
大澤さんは9期生のことはまったく記憶にないそうです(お名前と顔写真を送ってみた)。
なので、分隊が違ったとか同じだったとかもわかりませんでした。
2つしかなかったみたいですが、少なくともわたしが見せてもらった大澤さんの筑波空教員時代の集合写真には9期生の教員は写っていませんでした。
もう70年以上前のことですからね。
海軍は転勤が多くて、たくさんの人と短期間の接触があっただろうし、しかたないですね。
笠井智一『最後の紫電改パイロット』潮書房光人社 ― 2016年09月27日 12時49分32秒
みなさん、この本、もう読まれましたか?

まだの方は本屋へGO!!
とかいって、かくいうわたしも入手したのは昨日です(^^;)
この本、笠井さんの直筆サイン入りです!
わたしの名前と、杉田区隊の例のことばと、笠井さんのお名前と、落款みたいなかっこいいハンコ、日付が!
もったいぶって見せません(笑)
笠井さんの生い立ちから海軍時代のいろんな話、あとがきでは関西人らしいオチまでついているという、なんとも贅沢な本です。
一見、
「ボリュームある?(^^;)」
とひるむかもしれませんが、たいへん読みやすく、また流れが軽快で、あっという間に読めてしまいました。
なんというか、途中で休憩するのが惜しいというか、それから!?と、あれよあれよと読み進んでしまうというか。
ご本人を知っている人なら、セリフなど、笠井さんの声で再現されますよ、たぶん。
表現も平易で、あまり海軍のことを知らない人でも読めるだろうし、逆に「自分、けっこう詳しいよ」って人でも満足される内容ではないかと思います。
わたしはけっこう笠井さんご本人からいろいろ聞いている方ではないかと思います。
「ああ、あの話だな」
と、そこはそこで文字で読むと新鮮だし、当然知らない話も書いてあったりして、
「こんなこともあったのか」
とあらためて驚いたり。
本文もいいのですが、わたしは今回、写真がねー、もうねー。泣きそうになった写真もありました。
戦友との写真など特に。
あと、以前ブログでちょっと触れたことのある写真も出ていました。話に聞いただけで、見たことなかったんですよ。
今回この本で初めて見て、
「この写真か!!」
って。
その写真の存在は笠井さんから聞いていました。が、目にしたのは今回が初めてです。
具体的に言うと、笠井さんの同期生、日光安治上飛曹の写真です。
本の方ではこの件に触れられていなかったので、余計なお世話かもしれませんがわたしの方からちょっと・・・・。
掲載されていた写真は日光さんの個人写真で、写真館撮影なのか、正面を向いて一人で写っている写真です。上半身だけ。
下士官の軍帽に、軍服は三種です。
右袖に善行章1線、階級章は上飛曹。
甲飛10期って、海軍入隊が昭和17年4月1日です。
日光さんは20年3月19日の松山上空の空戦で戦死されています。
いままで何度も書いていますが、善行章がつくのは海軍に3年間無事にお勤めしたときです。
つまり、日光さんの善行章1線目が付与されるのは20年4月1日予定だったんですよ。
その直前に亡くなっている日光さんが、善行章の入った軍服で写っている――。
笠井さんも、
「日光が善行章をつけて写っている写真がある、不思議やー」
と言われていました。その写真です。
この善行章に関しては笠井さんには他にもちょっとしたエピソードがあって。
同期生数人で、善行章がつく前の時点でニセ善行章をつけて外出し、それが菅野さんにばれてエライ叱られた、って話をされていたと思うんです。
そのとき一味に日光さんが含まれていたのかどうかは不明。
もしいたとしたら、ニセ善行章をつけて外出し、そのまま写真館で記念(!)撮影したのかもしれないですけどね。
でも、笠井さんがこの写真のことを不思議がっていたので、このときのメンバーに日光さんはいなかったのかな?
また今度お目にかかったとき、このことを話題にしてみます。
さらっと出してありましたが、そんな不思議な日光さんの写真です。
そうそう、どさくさに紛れて自分ブログの宣伝をしているようですが、ここに書いたことがある新田原基地での再会のことも触れられていました。
笠井さんと直接お話をしているといつも感じますが、つねに亡くなった同期生・戦友のことを思っておられます。
この本でもそれがわかると思います。
モンちゃんと谷水竹雄上飛曹 ― 2016年07月12日 16時47分59秒
以前に一度書いたんですが、戦闘303のペットのおサルさんのこと。

あのときはデジカメやスマホで撮影してしまって・・・・いまから思えばよく見えていませんでした(汗)
今回、スキャナで再チャレンジさせていただき、いままで見えていなかったものがはっきりと見えるようになりました。山口浜茂飛曹長の無精ヒゲとか(笑)
冗談はさておき。
モンちゃんのこと。
わたし、このモンちゃんのことは安部正治さんに聞いたんです。
・隊でマスコットが欲しいということになり、鴨池動物園に交渉してもらってサルをもらうことになった。
・自分が行って、直接サルの檻の中に入り補虫網でつかまえて帰った。
・名前はモンちゃん。
・隊のマスコットのはずだったのに、いつの間にか谷水先任のもののようになっていた。
なんだかそんなお話でした(^^;)
今回、谷水さんの息子さんのお話では、久住武分隊長(予学13)も、自分がサルをもらいに行ったと言われていたとか。
ということは、久住さんが指揮して若い搭乗員を連れてサルをもらい受けに行った・・・・ということなんでしょうかね。
先日、谷水さんの生前のインタビューDVDを見せてもらいました。
ある戦史研究家の方がビデオがまわっている前で谷水さんに戦時中のことをいろいろ尋ねられていました。
最後の方で、なんと! モンちゃんの話題が!!(´▽`*)
やはり、この戦史研究家の方も谷水さんがモンちゃんを大変かわいがっていたことをご存じだったようで、そのことを尋ねていました。
「名前はついていたんですか?」
と聞いたら、谷水さん、
「モン、モン」
とまるでそこにいる子に呼びかけるように答えておられました。
そのとき春海と一緒に見ていたんですが、彼女、すかさずそれに反応!
「モンって、モンキーのモンやろうか?」
ママ「そやろ」
春海「戦時中は英語禁止やろ。歴史で習ったで」
ママ「(待ってました!! そこはママに語らせろ!)ところがどっこーい!! 海軍はなー( ̄▽ ̄)」
以下略(笑)
とにかくそういうわけで、知る人ぞ知る戦闘303のマスコット、モンちゃん♪
今回、スキャンして新たなモンちゃん写真を見つけました。
「こんなところに写っていたっ!!w( ̄▽ ̄;)w」
って写真もありました。
その前に、前回出さなかったモンちゃん写真です。
今回、スキャナで再チャレンジさせていただき、いままで見えていなかったものがはっきりと見えるようになりました。山口浜茂飛曹長の無精ヒゲとか(笑)
冗談はさておき。
モンちゃんのこと。
わたし、このモンちゃんのことは安部正治さんに聞いたんです。
・隊でマスコットが欲しいということになり、鴨池動物園に交渉してもらってサルをもらうことになった。
・自分が行って、直接サルの檻の中に入り補虫網でつかまえて帰った。
・名前はモンちゃん。
・隊のマスコットのはずだったのに、いつの間にか谷水先任のもののようになっていた。
なんだかそんなお話でした(^^;)
今回、谷水さんの息子さんのお話では、久住武分隊長(予学13)も、自分がサルをもらいに行ったと言われていたとか。
ということは、久住さんが指揮して若い搭乗員を連れてサルをもらい受けに行った・・・・ということなんでしょうかね。
先日、谷水さんの生前のインタビューDVDを見せてもらいました。
ある戦史研究家の方がビデオがまわっている前で谷水さんに戦時中のことをいろいろ尋ねられていました。
最後の方で、なんと! モンちゃんの話題が!!(´▽`*)
やはり、この戦史研究家の方も谷水さんがモンちゃんを大変かわいがっていたことをご存じだったようで、そのことを尋ねていました。
「名前はついていたんですか?」
と聞いたら、谷水さん、
「モン、モン」
とまるでそこにいる子に呼びかけるように答えておられました。
そのとき春海と一緒に見ていたんですが、彼女、すかさずそれに反応!
「モンって、モンキーのモンやろうか?」
ママ「そやろ」
春海「戦時中は英語禁止やろ。歴史で習ったで」
ママ「(待ってました!! そこはママに語らせろ!)ところがどっこーい!! 海軍はなー( ̄▽ ̄)」
以下略(笑)
とにかくそういうわけで、知る人ぞ知る戦闘303のマスコット、モンちゃん♪
今回、スキャンして新たなモンちゃん写真を見つけました。
「こんなところに写っていたっ!!w( ̄▽ ̄;)w」
って写真もありました。
その前に、前回出さなかったモンちゃん写真です。

搭乗員と戯れるモンちゃんをやさしいまなざしで見つめる長田延義飛曹長(操35)。
ちなみにサルは2匹いますが、どちらがモンちゃんなのか? あるいは両方”モンちゃん”なのか、わたしは知りません。
なんと!! 戦闘303下士官集合写真だと思っていたこの写真にもモンちゃんが!
ちなみにサルは2匹いますが、どちらがモンちゃんなのか? あるいは両方”モンちゃん”なのか、わたしは知りません。
なんと!! 戦闘303下士官集合写真だと思っていたこの写真にもモンちゃんが!

↑赤丸のところ。

今回見つけたとっておき!
息子さんに公開許可をいただきましたので、公開します。

谷水夫人に抱っこされるモンちゃん!

夫人の袖をつかんで抱かれているモンちゃん♪
デジカメ写真ではまったく気づきませんでしたー(;^ω^)
さらに、
デジカメ写真ではまったく気づきませんでしたー(;^ω^)
さらに、

若い搭乗員夫婦の写真・・・・と思っていたこの写真にも!∑( ̄ロ ̄|||)
なんか甘えているモンちゃん!(笑)
なんか甘えているモンちゃん!(笑)

谷水さん、モンちゃんを家(下宿)にまで連れ帰っていましたぞ!!(笑)
どう見てもこれは隊内ではなく新婚家庭の様子。
谷水さんが飛行服でしょう?
他にも飛行服の谷水さんと奥さんが写っている写真がありました。
実はこれ、重要です。
余談ですが♥
モンちゃんを抱っこした奥さんが一人で写っている写真。
下の、二人で写っている画像を見てもらったらわかるんですが、たぶん谷水さんが撮ったんでしょうね~。
※画像は谷水さんご提供