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笠井智一『最後の紫電改パイロット』潮書房光人社2016年09月27日 12時49分32秒

みなさん、この本、もう読まれましたか?




まだの方は本屋へGO!!



とかいって、かくいうわたしも入手したのは昨日です(^^;)



この本、笠井さんの直筆サイン入りです!
わたしの名前と、杉田区隊の例のことばと、笠井さんのお名前と、落款みたいなかっこいいハンコ、日付が!


もったいぶって見せません(笑)







笠井さんの生い立ちから海軍時代のいろんな話、あとがきでは関西人らしいオチまでついているという、なんとも贅沢な本です。


一見、
「ボリュームある?(^^;)」
とひるむかもしれませんが、たいへん読みやすく、また流れが軽快で、あっという間に読めてしまいました。
なんというか、途中で休憩するのが惜しいというか、それから!?と、あれよあれよと読み進んでしまうというか。

ご本人を知っている人なら、セリフなど、笠井さんの声で再現されますよ、たぶん。

表現も平易で、あまり海軍のことを知らない人でも読めるだろうし、逆に「自分、けっこう詳しいよ」って人でも満足される内容ではないかと思います。



わたしはけっこう笠井さんご本人からいろいろ聞いている方ではないかと思います。
「ああ、あの話だな」
と、そこはそこで文字で読むと新鮮だし、当然知らない話も書いてあったりして、
「こんなこともあったのか」
とあらためて驚いたり。




本文もいいのですが、わたしは今回、写真がねー、もうねー。泣きそうになった写真もありました。
戦友との写真など特に。



あと、以前ブログでちょっと触れたことのある写真も出ていました。話に聞いただけで、見たことなかったんですよ。

今回この本で初めて見て、

「この写真か!!」

って。

その写真の存在は笠井さんから聞いていました。が、目にしたのは今回が初めてです。

具体的に言うと、笠井さんの同期生、日光安治上飛曹の写真です。
本の方ではこの件に触れられていなかったので、余計なお世話かもしれませんがわたしの方からちょっと・・・・。

掲載されていた写真は日光さんの個人写真で、写真館撮影なのか、正面を向いて一人で写っている写真です。上半身だけ。
下士官の軍帽に、軍服は三種です。
右袖に善行章1線、階級章は上飛曹。

甲飛10期って、海軍入隊が昭和17年4月1日です。

日光さんは20年3月19日の松山上空の空戦で戦死されています。

いままで何度も書いていますが、善行章がつくのは海軍に3年間無事にお勤めしたときです。
つまり、日光さんの善行章1線目が付与されるのは20年4月1日予定だったんですよ。

その直前に亡くなっている日光さんが、善行章の入った軍服で写っている――。

笠井さんも、
「日光が善行章をつけて写っている写真がある、不思議やー」
と言われていました。その写真です。


この善行章に関しては笠井さんには他にもちょっとしたエピソードがあって。
同期生数人で、善行章がつく前の時点でニセ善行章をつけて外出し、それが菅野さんにばれてエライ叱られた、って話をされていたと思うんです。
そのとき一味に日光さんが含まれていたのかどうかは不明。
もしいたとしたら、ニセ善行章をつけて外出し、そのまま写真館で記念(!)撮影したのかもしれないですけどね。

でも、笠井さんがこの写真のことを不思議がっていたので、このときのメンバーに日光さんはいなかったのかな?

また今度お目にかかったとき、このことを話題にしてみます。

さらっと出してありましたが、そんな不思議な日光さんの写真です。




そうそう、どさくさに紛れて自分ブログの宣伝をしているようですが、ここに書いたことがある新田原基地での再会のことも触れられていました。




笠井さんと直接お話をしているといつも感じますが、つねに亡くなった同期生・戦友のことを思っておられます。
この本でもそれがわかると思います。

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