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電車閉じ込め2017年02月02日 10時48分12秒

わたし、トイレのない場所恐怖症で、私鉄の急行とか快速急行によう乗らんのです。

基本的に各停で移動しています。

難波や京都に急ぎで行く必要があるときは特急券510円を余計に払って特急に乗っています。
座りたいからではなくて、トイレがついているから。
しかし、一度も特急のトイレを利用したことはありません(笑)

高速道路も無理で、自家用車での高速移動は恐怖です。
トイレのついている高速バスのみOKです。
が、特急と同じく、一度もトイレを利用したことはありません(笑)


自分で「気のもん」だってことはわかっています。




そういう理由で各停に乗っているのに、閉じ込められたら・・・・。

いや、実際、閉じ込められたんです。

その電車はひと駅の間がだいたい2分ぐらいで、仮にドアが閉まった瞬間にお腹が痛くなったとしても、まあ、なんとかなるやろという路線で、いつも安心して乗っています。






次の駅にもう着くってときになって車内アナウンスが・・・・。

「○○駅構内で人身事故が発生しました。電車の運行を見合わせます」

と、○○駅の手前で止まっちゃったんです。もうそこに駅が見えるぐらいの場所で。

いままでの遅延は、駅のホームで来ない電車を待たされる、とか、駅のホームに止まったままの電車の中で待たされる、というパターンだったので、トイレの心配をせずに済んでいたのですが・・・・。

(人身事故の処理って、どれぐらいかかるんやろ・・・・)

電車はすきすきで、わたしのシートにはわたし一人、向かいのシートも3人。他も同じような状況だったので、騒ぎにはなりませんでした。みんな静かに復旧を待つ・・・・って感じ。

車内で、何人か電話で連絡を入れる人が。

「人身事故で電車が止まってるんや。遅れるわ。40分ぐらいかかるんちゃうかな」

えええええっ!? 40分、閉じ込め?

急行の「10分停まらない」でも乗るのを避けているのに、40分!?

40分もトイレに行けない状況って、ここ十数年、ないですよ。

これはヤバいと思いました。

が、あの人の予想は40分やけど、もっと早く動くかもしれない。

それを期待して・・・・。



みなさん、スマホをいじりながらおとなしく待っていました。
ツイッターで実況をしている人もいたみたいです。
なんでわかったか?
あとでネットで検索したら、どうも同じ車両内から外の景色(道路上の緊急車両)を撮ったと思われる写真がツイッターにアップされていたので。



ときどき、車掌さんが、

「○○駅で人身事故が発生し警察や消防が入っているために運行を見合わせています。お客様にはご迷惑をおかけしております」

とアナウンスを入れていました。



電車が止まって30分ぐらい経ったとき、復旧予定時間のアナウンスがありました。

その時点からさらに1時間後!?


初めて車内がざわつきました。


わたしも向かいのシートに座っていた人と目が合って、二人で、「あーあ・・・・(ためいき)」みたいな無言のやりとりが・・・・。



時間を区切られると心的圧迫が。

(あと1時間、ここから出られへんのか。トイレに行きたくなったらどうしよう)

ネットでもして気を紛らわすか。 →バッテリーがもったいない

寝よう。 →逆に気になって目が冴える



しかたがないので窓の外、飛んでくる飛行機を見ていました。

わたしが乗っていた車両が、ちょうど障害物のない、よく空が見えるところで停車したので、飛行機がきれいに見えたのです。


どうせなら、撮るか。


と、撮り始め、2機撮ったところで運行再開しました。
復旧予定時刻のアナウンスがあってから10分後ぐらいでしょうか。


いやー、助かりました。


ああいう場合にトイレに行きたくなったらどうしたらいいんですかね?

車掌さんに言ったら、おろして、最寄り駅まで歩かせてくれるんでしょうか?




それとね、ふだんでも、

「おしっこしたいけど、ここのトイレより××駅のトイレの方がきれいやから、あっちに着いてから行こう、10分ぐらいやし♪」

なんて、我慢して乗っちゃうことがあるんですが、あれもやめた方がいいですね。

閉じ込めにあって、考えさせられました。

島田清守さんの宴会写真2017年02月02日 13時46分34秒

島田さんの遺品の中にこんな写真がありました。

おねーちゃんや徳利が写っているので、「宴会写真だな」と思いました。

宴会写真大好きなので、喜んじゃいました。

海軍宴会の常で、いろいろ取りかえっこっして、羽目を外しています。

階級章は大尉、でも軍帽は下士官帽。

軍服は下士官、軍帽は士官。

軍服は下士官、軍帽は兵。

おねーさんも下士官帽。

大尉さんがいるからか、さすがに脱ぎ過ぎの人はいません。




しかし、この写真、裏書がなく、肝心な「いつ」「どこで」「何の集団」かがまったくわからないのです。

この写真からはっきりわかるのは、
ご当人の島田清守さんは写っている。

さらに、
同期でウェーク島攻撃時ペアの佐々木隆寿さんも写っている。


兵から大尉さんまで写っていて、島田さんと佐々木さんが下士官服であることから、
「実施部隊なんだろうな」
とは思いました。


島田さんと佐々木さん。
やっかいなことに、お二人は蒼龍でも瑞鳳でも一緒なんです。
じゃあ、瑞鳳で一緒だった岡吉郎さんと関川文雄さんはどうだ?

目を凝らして探したのですが、お二人が写っているようには思いませんでした。

しかし、「写っている」ことが「その集団に存在している」ことの証拠になっても、「写っていない」ことは「その集団にいない」ことの証拠にはなりません。たまたまトイレに行っていただけかもしれないし、風邪で宴会に出て来れなかっただけかもしれない。

「うーん(-_-;)」

とりあえず、自分の中では「蒼龍艦攻隊の可能性が高い」というところで止まっていました。



これは思い込みだったんですが、

「真珠湾のあと、宇佐に戻ってきてからの慰労会かな? 別府かな?」

と。


で、宇佐空に詳しい知人に見せたら、
・この座敷に見覚えはない
・後ろにかかっている馬の絵が特徴的なので、場所の決め手になるかも
ということで、今後写真を見るときには気に留めておいてあげるとのことでした。



お手上げ状態になって、

「あとは島田さんの日記だな。16年末、17年初に記述があれば」

日記待ち。


で、昨日、島田さんの日記の16年分活字が届きました。


いやー、おもしろい!
予科練の日記と違って、注意を受けたという記述がほとんどありません(笑)

訓練の様子や同期生に会った話、はたまた上陸した話。

宴会の話もありました。

真珠湾の前(16年11月12日)、

『十二分隊搭乗員ノ暮(「宴」と書こうとした?)會。
鹿屋ノ翠光園デ七時ヨリ分隊長、分隊士モ出席サレテ、酒ニ朗カナ氣分ニ成ッタ』


いるいる。分隊長に分隊士。いますよ、例の写真に。


こういう大きな宴会って、日記によると真珠湾前のこのときのみでした。

真珠湾から戻ってきてからは宇佐で同期生と少人数で会っているだけでした。
※宇佐の配員表に名前のあった同期生たちです。また別に書きます。


もし、蒼龍艦攻隊だとしたら、島田さんが日記に書いている11月12日の翠光園での12分隊宴会が最も可能性が高いです。

しかし、問題がありまして。

「蒼龍艦攻隊、12分隊」がどういうメンバーか、まったく把握できていません。
森拾三さんが自分の手記に自分は「11分隊」と書いているので、森さんは含まれていないのでしょう。
佐々木さんが写っているので、佐々木さんは12分隊メンバーなのでしょう。
あとの人たちがさっぱりわかりません。


蒼龍艦攻隊で顔写真が手元にある人。
長井彊大尉(『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』)
中嶋巽大尉(『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』)
金井昇1飛曹(知人提供)
大多和達也1飛曹(ご自身の手記)
森拾三1飛曹(ご自身の手記)→11分隊
細田喜代人2飛曹(乙8期、島田直さんの辻堂演習宿舎写真に記名があった)
小松崎照夫1飛(ご自身の手記)→島田さん、佐々木さんとペアなので12分隊か?

顔写真があるけどはっきりわからない人。
太田五郎1飛曹(乙6期、長野県出身者集合写真に写っている人ではないかと推定)
花田芳一2飛曹(乙8期、新潟県出身者集合写真に写っているはず)
根食貞憲2飛曹(乙8期、茨城県出身者集合写真に写っているはず)
小川政次2飛曹(乙8期、茨城県出身者集合写真に写っているはず)

この人たちが集合写真に写っていないか探すのですが、よくわからんのです。
まじめに写っている写真を1枚2枚見たぐらいで、宴会写真からその人を探すのは至難の業です。
室内(フラッシュ)、真正面からではない、顔面ふやけまくっている等々の理由で。

長井大尉は写っていないと思います。
太田さんでは?と思っている人に似ている人は写っています。でも自信がない。ペアの長井大尉が写っていないので、太田さんはここにはいないのかなあという気もしています。
小松崎さんに似ている人もいますが、これも自信がない。小松崎さんは島田さん・佐々木さんとペアなので写っている可能性大。

12分隊構成員が誰なのか、この写真には誰が写っているのか、に関しては今後の課題ということで。





で、ここからは話半分で聞いてください。

実はここまでがこの投稿の五合目ぐらいです(笑)


島田さんのこの宴会写真を見たとき、実は搭乗員より先に目が行ったところがありまして・・・・。
あ、馬じゃないですよ。


おねーさんです。

この人。
えーっと、集合写真でいうと後列の右から2人目です。
体の大きな下士官の横に立っているおねーちゃんです。


「この人、あの人に似てるやろ!」


あの人。
忘れもしません、あの人です。

藤原国雄さんの遺品の中にあった17年5月1日の「鹿屋空同期会」写真。
誰とは言いませんが脱ぎ過ぎの人がいる宴会写真。
後列中央で鹿島長重郎さんがさわやかな笑顔を寄せているなんともうらや・・・・いや、何でもないです。

他人の空似?(^^;)


島田さんの日記に「鹿屋の翠光園」と書いてあるのを見て、例の宴会写真とつながって、さらに、
「何っ!? 鹿屋!?」
ですよ。

ぶっちゃけると、「鹿屋空同期会」も正確には場所はわかりません。
4月の終わりごろ木更津から鹿屋に移動しているようなので、
「鹿屋かなあ????」
ぐらいの感じで思っていました。



おねーちゃんが同じ人なら鹿屋の可能性が高まらんかな?
時期は違うけど蒼龍艦攻隊と鹿屋空中攻隊の接点、鹿屋。



ちなみに着物の柄。帯のちょっと上のあたり。


蒼龍艦攻隊?写真。

鹿屋空同期会写真。




無理矢理してますかね!?(^^;)

蒼龍艦攻隊?の方は上の葉がはっきり見えています。
鹿屋空同期会の方は下の葉がはっきり見えています。
直接比較できないのが残念ですが、葉の表現とか似ていませんかね?
葉の周囲と真ん中の葉脈を薄い色で描いている点とか。
同じ着物じゃないかな?


あと、髪型ね。
蒼龍。

鹿屋空同期会。

「流行っとったんじゃ!」
と言われたらそれまでですが。


同じ子に見えてしょーがないんですよね。





あと、もう一人。
蒼龍写真で左端で膝立ちしているおねーちゃんが、

鹿屋空同期会で木下光三さんに肩を抱かれているおねーちゃんに似ているような?




ま、でも、これは話半分で(^^;)



スイマセン、マジメに蒼龍艦攻隊12分隊の研究をします。



※画像は9期生ご遺族ご提供

マムシの銀太2017年02月03日 14時23分39秒

『”マムシの銀太”を自称し、抜群の操縦技量で知られた中攻隊の勇士である』


これは、『日本陸海軍航空英雄列伝』(光人社、押尾一彦・野原茂)の「小林銀太郎飛曹長」の項の冒頭の一文です。


小林飛曹長の写真が添えられています。

「秋桜(?)を手にする小林銀太郎飛曹長」

というキャプションがついています。うつむき加減の横顔で、花を見つめています。


「へえ、”マムシの銀太”に似つかわしくない写真・・・・」

と印象に残っていました。

この本によると大正8年生まれ。埼玉出身。昭和12年に海軍に入り、14年に操練44期を卒業して艦攻操縦員になったんだとか。
赤城勤務ののち、中攻操縦員に転科。
本には出撃記録も併記されていますが、本当に歴戦の勇士です。
雷撃に行って被弾、エンジン発火、片舷飛行のままスコールの中を基地に帰還、数えてみたら被弾80発におよんでいた・・・・ということもあったそうです。



秋桜(?)の小林飛曹長の写真、横顔でうつむいているので、お顔がよくわからないんです。


まあ、でも、”マムシの銀太”でわたしの中では勝手にイメージが出来ていました。
任侠やくざ映画に出てくるような・・・・何というか・・・・(^^;)











先日、島田清守さんの遺品を見せてもらいに行ったとき、小林銀太郎さんの写真があったのでビックリしました。
アルバムに貼られていました。

「海ノ荒鷲 小林銀太郎さん」というシールが左下に貼ってあり、これが小林銀太郎さんだということがわかりました。
階級章は2等航空兵か1等航空兵。


「なんか、イメージ(マムシの銀太)と違う・・・・」



歳は島田さんより2つ上ですが、同郷です。

島田さんの日記にも出てきます。14年3月12日。
小林様ヨリノ二度目ノ入隊以来ノ御便リダ。操縦練ヲ卒業シタ様ナ話ダ。全ク羨シイ。実施部隊デ最早九ヶ月デ一人前ノ飛行機搭乗員ダ。飛行機ノ操縦ハムヅカシイト書イテアッタ。モウ三回死ニソウナッタ(死にそうになった?)ト!! ダガヨク行ッタ。
(館山海軍航空隊第一分隊第四班)



この頃はまだ艦攻操縦員だった小林さん。
「実施部隊で最早九か月」と書いてありますが、操練44期生に採用されたのが13年6月らしいので、14年3月はそこからちょうど9ヶ月ですね。飛行機に乗り始めて9ヶ月・・・・ぐらいの意味で書いたのでしょうか。

やはり飛行機の操縦は命がけです。
「もう3回死にそうになった」
しかし、小林さんの戦歴を見るに、搭乗員になりたての「死にそうになった」と、雷撃行での「死にそうになった」とは別物だったのではないかと想像したり・・・・。


この手紙、とっても読んでみたいですが、先日の訪問時には小林さんからの手紙現物はなかったように思いました。


小林さんは無事に終戦を迎えられたそうです。


※画像は9期生ご遺族ご提供

島田清守さんのアルバム写真 作業服の同期生2017年02月03日 19時49分38秒

島田さんのアルバムに、作業服姿の同期生たちの写真がまとめて貼られていました。


暗い中で撮ってもらったので、スキャンに比べるとちょっと判別しづらいです。

添え書きなしです。

作業服なので階級章はついていません。
名札(学年がわかる)もちょっと見えないですね・・・・。
あと、決め手になるのは隊内帽ですか。隊内帽が写っている分は15年5月以降かな?

同じ趣の写真は同じときの撮影かも知れません。同じ校舎?の前で、さらに同じつっかえ棒の前で撮られている分とか・・・・。





植田竹治郎さんかな?
偵察専修、のち中攻搭乗員です。



国見新太郎さん
病気で卒業は11期と一緒に。のち、中攻偵察員。



藤井国男さん
偵察専修、のち飛行艇搭乗員。

この写真、なんか見たことあるなあ、と思ったら、藤原国雄さんのアルバムに貼られていた「サイン入り藤井さん写真」と同じもののようです。
こちらは斜めにカットしてあったんですね。
3学年の名札をつけています。



北村彰男さん
北村さんの写真は他にもありました。
リンク先に出してある飛行服の写真と、あと、高島巌さんと北村彰男さんのツーショット写真もありました。二人は島田さんとは1学年時同班(4班)です。
偵察専修、のち中攻搭乗員。



※2017年11月5日訂正
笠井繁雄さん
名札が読めました。

偵察専修、のち水上機搭乗員。



中尾鶴蔵さん
偵察専修、のち水上機搭乗員。



遠藤桝秋さん
のち、戦闘機搭乗員。
島田さんとは1学年時同組(1~4班、遠藤さん3班)です。
遠藤さんの写真があったの、ちょっと驚きました。

遠藤さんの写真、けっこうあるんですが、頭のてっぺんからつま先まで写っている写真って、初めて見たような気がします。
脚長いし、小顔やし。そりゃもてますわ。

何年も前に、「もう遠藤さんの写真はここには出ないです」とかなんとか書いたような気がするんですが、あれからも出し続けていますね(^^;) うれしい誤算。
島田さんのアルバムの中にもう1枚、遠藤さんの個人写真が貼ってありました。また今度。



※2017年11月5日訂正
井上春男さんかも?


アルバムの写真は交友関係がわかっておもしろいです。




※画像は9期生ご遺族ご提供

島田清守さんのアルバム写真 1学年4班2017年02月03日 21時38分30秒

アルバムに、1学年4班の集合写真がありました!


これも暗い中で撮ってもらったので、スキャンほどは撮れていません。


いままで、4班写真は入隊時の氏名入り班写真しかありませんでした。
11名。

いや、最低でも1班12名はいるんじゃないか?
どこにも写っていない山田一作さんが4班なんじゃないかと「推定」していました。


今回の集合写真で裏がとれました!

4班員の詳細は上のリンク元で見てください。


4班集合写真、前列左から、
横山孝さん

大石芳男さん

岸本正好さん

熊谷班長

北村彰男さん

山田一作さん

井上常夫さん


後列左から
杉本栄さん

島田清守さん

桑島武一さん

鶴見堅三さん

高島巌さん

藤島光夫さん

この写真、添え書きがあって氏名や出身地が書かれているのですが、写真では判読が困難です。
熊谷班長のことを「我等ノ班長(海軍一等整備兵曹)」と書いて、転勤(転出)の記念に撮ったようなことを記しているのか? また確認しに行きたいと思っています。
ここには撮影時期は書かれていないのではないか?
ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊のようです。
で、1学年時の班で写っているので、たぶん、14年3月~5月ごろの撮影ではないかと想像します。


熊谷班長のお顔、初めて認識しましたが、男前ですな~
9期生の「おもいで」に熊谷四班長が美男だと書かれていたので、ぜひご尊顔を拝したいと思っていました。念願かなってうれしいです。
今度から島田さんの日記のお小言も、この方がおっしゃっていると思い、心して聞きます。



添え書きがあると書きましたが、9期生名簿では兵庫の出身になっている高島さんと北村さんのことを「大阪」と書いています。興味深い。
たしかに、お二人の出身地を大阪と書いたものもあります(『予科練外史』)。本籍が兵庫で現住所は大阪だったのか。


※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供