Google
WWWを検索 ひねもすを検索

昭和16年10月1日、12月1日 宇佐空搭乗員配員表2017年01月10日 19時56分52秒

わたし、元艦攻操縦員の大澤昇次さんと文通をしています。

というわけでちょっと宣伝。

去年、大澤さんの手記『最後の雷撃機』が文庫化したそうです。

年賀状にちょろっと書いてありました(^^;)

わたしは単行本で持っています。


最初は「10年志願兵で、ブーゲンビル沖航空戦や台湾沖航空戦を経験された艦攻操縦員の方がまだ手記を書いてくださるのか!」とビックリ感激して買った本です。

終戦時ベテランになっていた9期生たちですら13年志願兵ですからね。
10年に海軍に入った人ってすごいですよ。

最初は本当にそういうことで入手した本ですが、読んでみたら9期生と交流があった事が判明。
・坂田清一さん・・・・同郷。18年夏に偶然厳島神社で再会し一緒に写真を撮る。
 これは坂田さん所有の写真です。大澤さんも同じ写真をお持ちです。


・萩谷幾久男さん・・・・攻撃252で同じ隊だった。


・佐々木隆寿さん・・・・攻撃256で同じ隊だった。
瑞鳳時代。



この手記を読んだときに、「読みました」って話を知人の戦史研究家さんにしたら、その人が「感想を送ってあげたら?」と大澤さんの連絡先を教えてくれました。

なのに、そのままになっていて・・・・。

大澤さんに連絡したのは坂田清一さんのご遺族の方から連絡をいただいてからでした。

それ以来、文通をしています。

9期生ではないのですが、知人の親戚の甲飛出身の艦攻操縦員が、大澤さんの列機だったことがわかったり、6期の山岸昌司さんと同じ時期に筑波で教員をしていたことがわかったり(しかも、山岸さんが下宿していた呉服屋さんで布団を作ってもらっていた!)・・・・。

「海軍はなんて狭い世界だろう!」

と、何度驚いたことか。



最近も、10期の久保伊勢市さんの宇佐空延長教育時代の集合写真に写っていた高松寿教員や清水政三教員、賀来準吾教員のことを聞いていました。
清水さんはあまりご存じないそうですが、高松さんと賀来さんはよく知っているとのこと。
今回の手紙にも高松さんに関して、おもしろいエピソードが書いてありました。

それはさておき。

今回の手紙に、この件に関連して「宇佐空搭乗員配員表 艦攻隊 昭和一六年一〇月一日」と書かれたコピーが入っていました。

「な、なんだこれは!?w( ̄Д ̄;)w」

大澤さんの知人の戦史研究家さん(わたしはその人とのお付き合いはありません)が作って送ってくれたみたいなんですが。

飛行隊長、分隊長、分隊士、教員とか書かれた中に「助手」って欄があったんです。

なんと!?
9期(飛練10期)の艦攻操縦員の何名かが、そこに名前を連ねているではないですか!?

いや、待て待て、16年の10月1日だったら、かれらはまだ教育中だろうに。
どうして助手を?


不思議に思って、攻撃隊に精通されているYさんに「こんな表に心当たりはないですか」ってメールで聞いてしまいました。

そのあとで、
「宇佐か・・・・もしかして、あれに載っているのか?」
と気づくおバカさん。

いついただいたのかも忘れているぐらい昔にKさんからいただいた宇佐空の資料があるんです。
宇佐で訓練をやった飛練10期の艦爆操縦専修生や艦攻操縦専修生たち、あるいは中攻偵察専修生、艦上機偵察専修生の一部の人たちの成績なんかが書いてあるんですが。

それを見たら、同じ配員表が載っていましたあ!( ̄□||||
※ただこちらでは「昭和16年10月1日、12月1日」という2通りの日付がありました。


それをよると、大澤さんがいた分隊で加藤哲夫さんと筒井富雄さんが助手をされているんです。
前に飛練10期の艦攻専修生のことを聞いたような気もするんですが・・・・。

10月末で飛練を終え、そのまま宇佐に残って助手になった人がいたんだな、と。
加藤哲夫さん、筒井富雄さん(けがで飛練12期(16年11月末卒))、亀山一郎さん、阿部芳包さん、吉屋清さんのお名前がありました。

配員表を見ると偵察教員が5~6人いるので、偵察専修生の担当だったのかなと思いました。

よし、もう一回聞いてみよう!



※画像は9期生ご遺族ご提供