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鹿島海軍航空隊2019年06月04日 15時20分10秒

小板橋さんと別れて、Yさん、山岸さん、谷川さんと4人で鹿島海軍航空隊跡に向かいました。

鹿島海軍航空隊は谷川澄男さんが水上機の飛練をやった航空隊です。

「鹿島」とついていますが稲敷郡です。



Yさんがヒトに尋ねてくれて記念碑にたどりつけました。
大きな道路から少し脇にそれたところにありました。


それから霞ヶ浦の湖岸へ。

車をとめたところにもスリップ(水上機を湖におろすための傾斜)があったのですが、そこだけじゃなく、カタパルトの台座跡を挟んで二方向(直角方向)にスリップが設けられていました。



カタパルトの台座跡。


ふらふらとそっちも見に行ってみました。
何か当時の痕跡が残っていないかなーとウロウロ。







この場所にたたずんでいると、ひっきりなしに飛行機が離陸して行くのが見えました。
成田かな?

わたしがここで飛行機を見上げていろんな思いに浸っている間、Yさんたちは、
「ママのヤツ、どこ行ったんだ!? (泳げないのに)湖に落ちたんじゃないか!?」
って心配して探し回ってくれていたようです(^^;)
スイマセン、ひとり行動してしまいました<(_ _)>



あと、道路を走っているときに車の中から、庁舎らしき建物や古い煙突が見えました。
あれも鹿島空の遺構らしいです。




先ほども書きましたが、9期は水上機操縦が一人もおらず、よって鹿島空で飛練をやった人は0です。
のちに教員で鹿島空勤務の人はいるんですけど(藤代護さん)。

というわけで、9期関係の鹿島空の写真はありません。

10期の久保さんのアルバムに、同期生・藤巻勘一さんの写真がありました。
たぶん鹿島空かと。

先日見せていただいた谷川澄男さんの写真の中に飛練時代の写真がありました。鹿島空。
谷川さんは中列真ん中。
Yさんに見てもらったところ、どちらも93式水上中間練習機だそうです。


谷川さんは飛練12期。
藤巻さんは飛練16期。
同じ時期に鹿島空で訓練していたんじゃないかなあ?
16年の夏頃。

袖の腕章と名札が同じ形式です。


かれらが訓練をしていたその場所に立てたって、なんか感慨深いですよね。
帰って来てからYさんとそんな話をしました。









※画像は谷川さんご家族、久保さんご提供

最近の元上司2019年06月04日 21時55分46秒

お菓子(特にビスコ)大好きなわたしの元上司。

最近よくマスコミに登場しています。

先月は新聞に載ったり、テレビに出たり。
昨日はラジオ出演していました。

出先で聞けなかったので、知人に録音してもらい、あとで聞きました。

おもしろかったです。

テレビはけっこうマジメに解説してはったんですが、ラジオは司会者とのやりとりもあってちょっとクスって話もありました。

週刊日本刀2019年06月04日 22時51分00秒

久しぶりに本?を買いました。


創刊号コレクター(笑)


ごっついバインダーがついていました。

創刊号しか買わんのやけど(^^;)

プチ9期会とか2019年06月05日 07時59分27秒

ビックリしたんですけどね。

土浦滞在中に9期の石田さんの息子さんから電話がかかってきました。

偶然です。

「いま土浦です。慰霊祭参列のために来ています」

って話したらめっちゃビックリしてはりました。

「行きたかった!」

って言われていました。
スイマセン、慰霊祭があること、話していませんでした<(_ _)>

特別な用事があったというよりは近況報告みたいな感じだったんですが。
いつも石田さんとお話すると楽しくて盛り上がっちゃいます(^^;)

電話ばかりでお目にかかったことはないのですが、そのうち会って話したいですねー、みたいな話になりました。


ご遺族の方々もそうなんですが、生存者のご家族の方々にもよくしていただいて・・・・ちょっと何か企画したい気分になりました。

出会い いろいろ2019年06月05日 08時31分00秒

慰霊祭の前日夜、宿泊したホテルで懇親会がありました。

慰霊祭とその後の直会だけでは交流の時間が足りない、というご遺族の方の希望で海原会さんが設けて下さっている懇親会です。

この場で、先輩7期のお嬢さんと感激の初対面!
いままで文通だけだったんです。
今回、クロちゃんの弟さんと同行、慰霊祭に参加されるとのことで、お目にかかれるのを心待ちにしていました。


懇親会のあとは階を移動して2次会。


2次会では新たな出会いがありました。
隣りに座った方が甲3期のご遺族の方。
いただいた名詞に「先祖研究家」って書いてありました。初めて見る肩書。
「この肩書はいい!!」
って心ひそかに感激しました。
控え目で、でも的確。
んー、翌日の慰霊祭でわたしの肩書が↓  ※座席に貼ってありました
身分詐称なのかネタなのかっちゅーぐらいありえない壮大な肩書・・・・。
いま「肩書なし」なのでたぶん主催者側の人が一生懸命考えて下さったんだろうと思うんですけど、わたし自身はヒトを欺いているみたいでめっちゃ後ろめたくって(^^;)

あ、話がそれました。
その甲3のご遺族の方の名刺の住所が、某戦闘機搭乗員の出身地と同じだったんですよ!!
ご本人の誕生年からすると某戦闘機搭乗員と同学年みたい。予科練に入った年も一緒。顔見知りだったんじゃないか、と思いました。いやー、ビックリしました。


他にも甲10期のご遺族の方がわざわざわたしのところに来てくださってちょっとお話しました。
山岸さんのご紹介。恐縮です。
わたしはこの方のことは以前山岸さんから聞いて少し調べたことがありました。
そのときに同期のK上飛曹にも尋ねました。甲10期は1000人ほどいるらしく、直接の面識はないような感じでした。同期生会誌にこう書いてあります、って教えてもらった記憶が・・・・。


池田さんに「来て、来て」と言われてそちらのテーブルに移動。
そこに甲13期のご家族の方がいらして、いろいろ話が盛り上がりました。
何が盛り上がったって、水泳帯(水泳のときに着用するふんどし)の話(笑)
池田さんの遺品の中に9期3組の水泳時の集合写真があるんですが、それを見ながら水泳帯談義(笑)
興味本位(!?)ではなく真剣に向き合っていると強調してきました(笑)


わたしは2次会までで部屋に戻ったのですが、一部の方々は日付変わって以降も向かいの居酒屋で懇親を続けられていたそうで(^^;)

翌日、操縦員のYさんが眠たがっていたので、
「じゃあ、わたしがYさんの後席に乗って危なそうなときは棍棒で起こしますね(笑)」
と使命感に燃えていたのですが、幸い、そんな状況にはなりませんでした。