プチ9期会とか ― 2019年06月05日 07時59分27秒
ビックリしたんですけどね。
土浦滞在中に9期の石田さんの息子さんから電話がかかってきました。
偶然です。
「いま土浦です。慰霊祭参列のために来ています」
って話したらめっちゃビックリしてはりました。
「行きたかった!」
って言われていました。
スイマセン、慰霊祭があること、話していませんでした<(_ _)>
特別な用事があったというよりは近況報告みたいな感じだったんですが。
いつも石田さんとお話すると楽しくて盛り上がっちゃいます(^^;)
電話ばかりでお目にかかったことはないのですが、そのうち会って話したいですねー、みたいな話になりました。
ご遺族の方々もそうなんですが、生存者のご家族の方々にもよくしていただいて・・・・ちょっと何か企画したい気分になりました。
出会い いろいろ ― 2019年06月05日 08時31分00秒
慰霊祭の前日夜、宿泊したホテルで懇親会がありました。
慰霊祭とその後の直会だけでは交流の時間が足りない、というご遺族の方の希望で海原会さんが設けて下さっている懇親会です。

この場で、先輩7期のお嬢さんと感激の初対面!
いままで文通だけだったんです。
今回、クロちゃんの弟さんと同行、慰霊祭に参加されるとのことで、お目にかかれるのを心待ちにしていました。
懇親会のあとは階を移動して2次会。
2次会では新たな出会いがありました。
隣りに座った方が甲3期のご遺族の方。
いただいた名詞に「先祖研究家」って書いてありました。初めて見る肩書。
「この肩書はいい!!」
って心ひそかに感激しました。
控え目で、でも的確。
んー、翌日の慰霊祭でわたしの肩書が↓ ※座席に貼ってありました

身分詐称なのかネタなのかっちゅーぐらいありえない壮大な肩書・・・・。
いま「肩書なし」なのでたぶん主催者側の人が一生懸命考えて下さったんだろうと思うんですけど、わたし自身はヒトを欺いているみたいでめっちゃ後ろめたくって(^^;)
あ、話がそれました。
その甲3のご遺族の方の名刺の住所が、某戦闘機搭乗員の出身地と同じだったんですよ!!
ご本人の誕生年からすると某戦闘機搭乗員と同学年みたい。予科練に入った年も一緒。顔見知りだったんじゃないか、と思いました。いやー、ビックリしました。
他にも甲10期のご遺族の方がわざわざわたしのところに来てくださってちょっとお話しました。
山岸さんのご紹介。恐縮です。
わたしはこの方のことは以前山岸さんから聞いて少し調べたことがありました。
そのときに同期のK上飛曹にも尋ねました。甲10期は1000人ほどいるらしく、直接の面識はないような感じでした。同期生会誌にこう書いてあります、って教えてもらった記憶が・・・・。
池田さんに「来て、来て」と言われてそちらのテーブルに移動。
そこに甲13期のご家族の方がいらして、いろいろ話が盛り上がりました。
何が盛り上がったって、水泳帯(水泳のときに着用するふんどし)の話(笑)
池田さんの遺品の中に9期3組の水泳時の集合写真があるんですが、それを見ながら水泳帯談義(笑)
興味本位(!?)ではなく真剣に向き合っていると強調してきました(笑)
わたしは2次会までで部屋に戻ったのですが、一部の方々は日付変わって以降も向かいの居酒屋で懇親を続けられていたそうで(^^;)
翌日、操縦員のYさんが眠たがっていたので、
「じゃあ、わたしがYさんの後席に乗って危なそうなときは棍棒で起こしますね(笑)」
と使命感に燃えていたのですが、幸い、そんな状況にはなりませんでした。
予科練戦没者慰霊祭 ― 2019年06月05日 15時07分09秒
2日は、陸上自衛隊土浦駐屯地の武器学校内の雄翔園にて、予科練戦没者慰霊祭に参列してきました。

気温も日照具合も、数日前に比べるとずいぶん過ごしやすい気候でした。
日の丸飛行隊の慰霊飛行や陸海自衛隊による厳粛な慰霊行為、来賓・ご遺族代表によるあいさつ、地元婦人会の舞踊などを経て、最後はひとりずつ献花して滞りなく終わりました。
座席表に、わたしがいままで交流がなかった9期のご遺族の方のお名前があったので、お話をうかがえないものかと待っていたのですが、結局参列されませんでした。
8期のご遺族の方も。座席表にお名前があったのでぜひ写真をお渡ししたいと思っていたのですが欠席でした。
どちらもご高齢の方だと思うので、1年に一度の機会を待っていずにこちらから動いた方がいいだろうか?
今年初参列のご遺族の方が言われていたのですが、ここで予科練戦没者の慰霊祭が執り行われていることを知らなかった――と。
他にもそういう遺族がいるかもしれないからぜひブログでアナウンスしてほしいと言われました。
慰霊祭を主催している公益財団法人海原会のサイトがありますので、ご遺族の方で慰霊祭参列ご希望の方はぜひ連絡してみてください。
毎年5月下旬の日曜日が多いですね。
今年は6月初でしたが。
慰霊祭のあとは会場を移して直会。

指定席でした。「歴史研究家」某女はご遺族の方々とは離れてしまいました。
が、向かいはよく知っている○さんでした。
関東の方なのですが1年に2回ぐらいは会っている・・・・。つい先月も会ったばかりで(^^;)
前日懇親会に参加されていなかったご遺族の方とお話をしたかったので、食べてから移動しました。
あまりたくさんの話も出来なかったので、あらためてゆっくり話をする機会があるとよいなと思いますが。
二日間、お世話になりました。
ありがとうございました。
帰ります ― 2019年06月05日 15時53分15秒
といっても、6月2日の話です。


Yさんがご遺族のみなさんを駅に送って行っている間、わたしは予科練平和記念館に残り着替え&休憩。
残っていた人たちとしばしお話しました。
小板橋さんや○さん、宇佐の方、甲飛生のことを調べている女性の方・・・・
わたしはYさんが戻って来てからYさん号に便乗してチーバまで送ってもらいました。
なんでチーバ?(^^;)
いや、ただたんにYさんとおしゃべりしたかっただけなんですよ(笑)
口では「Yさんを(棍棒で)起こす係の偵察員」とか言って乗り込みましたが、ナビついていたし、ウトッともされていなかったので、まったく出番なしでした。
以前、チーバを徘徊していたのには理由がありました。
じつはですね。
いまだから言いますが、パパが5年間単身赴任していたんですよ!(驚愕)
あ? 知っていました?(;^ω^)
もうとっくにこっちに帰ってきているので、チーバに行く理由はないんですが、Yさんとおしゃべりしたくてチーバまわりで帰って来ました。
めっちゃ接続がよくてですね。
Yさんがおろしてくれた駅で新幹線の座席もとったので、窓側の電源席がとれてすんごいスムーズに帰って来れました。
ただ、みどりの窓口の人がわたしの田舎者ぶりを見破ったのか、
「京葉線と新幹線改札の移動は大丈夫ですか?」
と心配してくれました。
そりゃ、一時期、あのへんを頻繁にうろついていたので京葉線がめっちゃ離れたところにあるのは知っていました。たぶん、ヒトの流れに乗って歩けば新幹線改札の方に行けるだろうとは思ったのですが、せっかく心配してくれたので、乗り換え20分の余裕をもって新幹線をとってもらいました。
みどりの窓口の人が想定していた京葉線電車より一本早いのに乗ってしまい、結局は乗り換え時間30分取れました。
まず、新幹線改札口の位置を確認してから、買い物に取りかかりました。
「おみやげ、おみやげ」ってうるさいのがいるんで(笑)
東海道新幹線乗車券の窓口を見たら長い行列できていました。
チーバで買っておいてよかった~、と思いました。
晩ごはんのサンドイッチを買ったり、はーへのおみやげを物色したりしているうちにあっという間に10分前に。
また来年来ます、ということで東京を離れました。

もちろん帰りもアレ(笑)
宿題がいくつかあって、ひとつひとつこなしている状態です。
大事なことを忘れていそうでコワい・・・・(^^;)