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17年8月7日ラバウル東飛行場2009年05月23日 21時24分00秒

坂井さん帰投直後
↑あんまりきちんとトレースしていないのですが、この17年8月7日ガ島戦初日に怪我をした坂井さんの写真、ご覧になったことがある方も多いと思います(『歴史街道』2008年1月号より)。

真ん中、飛行帽に飛行眼鏡、マフラーを巻いてうつむき加減に歩いているのが大怪我をしながら無事ラバウルに生還した坂井さんです。

じゃあ、その他、周囲をくっついて歩いている搭乗員たちはいったいだれなのか?
それが今日の話題です。

まず、顔から判別。
①坂井さんのすぐ右を心配そうに寄り添いながら歩いているのは、このシャツ姿から言わずとしれた笹井醇一中尉、ですよね?

②そして、左少し後ろをこれまた心配そうに歩いている飛行帽・飛行服・何かメモらしきものを手にしているのが太田敏夫1飛曹、ですよね?

この2人は文末”問いかけ”系になっていますが、ママはかなり自信があります。

笹井中尉のすぐ右側、飛行帽・飛行服・マフラーの搭乗員、この人、顔が結構はっきり写っているのですが、どなたかわかりません。

③左端を大股で歩いている小柄な搭乗員、これ、ママは羽藤兵曹じゃないかと想像しているのですが。
根拠はただ単に「小柄だから」っちゅうだけです(^_^;)。
ずいぶん前に、台南空の出撃前風景の写真のことを話題にしたことがあって、写っている最前列の搭乗員(小隊長)の氏名から出撃日時を推定、その日の搭乗割から2列目以降の搭乗員を推定したことがあります。
http://papamama.asablo.jp/blog/2008/10/04/3800576
あのとき、羽藤兵曹だ!と推定した搭乗員、他の搭乗員と比べてもかなり小柄でした。
この、坂井さん帰投後の写真に写っている小柄な搭乗員も他の搭乗員と比べてかなり小柄です。

それに、この日、羽藤兵曹は坂井さんの3番機(2番機・柿本円次兵曹)。
列機の目の前で坂井さんは蜂の巣になってしまいました。きっと、もだえるほど心配して待っていたと思うんですよねえ。いや、半分は諦めていたかもしれない。そんな坂井先任が戻ってきたのだから、羽藤兵曹が駆け寄っていったのは容易に想像できます。

さらにもう1人、この写真の中で、ママが氏名を特定した人がいます。
④笹井中尉の向こう、体の一部がちょっとだけ見えている顔も写っていない飛行服の搭乗員!
これ、西澤さんですよね!(^O^)

坂井さんの手記によると、このとき着陸した坂井機のそばに駆け寄ってきたのは、
『笹井中尉と中島少佐とが、私を抱えて降ろしてくれた』
そして、指揮所に行こうとした坂井さんに対して、
『西澤1飛曹と太田1飛曹が肩を貸してくれた』
ことになっています。

↑この写真では坂井さん、しっかりと1人で歩いておられますが。
でも、近くに西澤さんと太田さんがいたことは間違いありません。
位置的に見て、坂井さんの右肩を太田さんが、左肩を西澤さんが支えて歩いた区間もあったのだろうな、と思います。
(160センチの人が180センチの人に肩を貸してもらっても、迷惑なだけでは・・・・?)

②と③の間に写っている坊主頭の搭乗員?
この人、台南空の写真にいっぱい写っているのですが、ママはどなたか把握していません。ご存じの方、おられませんか?
結構目立つ人です。

この写真を見ていつも感じること。
本当に坂井さんは笹井中尉の愛を独り占めしていると思う。

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