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滝沢聖峰『空母艦攻隊』2009年05月01日 10時07分37秒

滝沢聖峰『空母艦攻隊』
コンビニや本屋のマンガコーナーで、海軍(航空隊)関係のマンガを見つけたらすぐに買ってしまうママ。

『特攻の島』ってマンガ、1巻だけ買ったんだけど、あれ、続きどうなっているんですかねー?
期待して待っていてもいいんですかねー?

『日露戦争物語』
日露戦争が始まる前に終わりやがって!!(-.-#)
”1部完”でしたっけ? 2部が始まりそうな気配はあるのでしょうか?

続きものではトラブル続きのママですが、短編や1巻完結モノでは結構いいマンガに出会えています。

そんな中で、ママいち押しの愛読マンガ!
滝沢聖峰『空母艦攻隊』
コンビニで買ったぺらぺら紙のマンガですが、内容はとってもよいです。

「艦攻」なんで3人で1ペア(操縦・偵察・電信)。
そのペア内でのいざこざや友情、違うペアとの競い合い、上官との心の通い合い、などなど・・・・。どっかで読んだことがあるなってエピソードもちりばめられていたりして、「マンガを読んで航空隊を知った気になれる」数少ない名作です。
(マンガって、結構、「それ、マンガやからって脚色しすぎっ!」ってのが多いですが)

内容を詳しく説明していると、またP氏に「ママの海軍ネタ、長すぎて読めん」とクレームをつけられるので、はしょりますが。

主人公は操縦員の下士官・雨宮兵曹です。
真珠湾攻撃・・・・猛訓練を重ねて来たにもかかわらず、かれが盲腸になってしまい出撃できませんでした。もちろん、ペアも出撃できず。
そこでちょっといざこざ→仲直り。

その後、別の作戦では・・・・。偵察員・秋沢兵曹が絶不調に陥ってしまい、爆撃照準がうまくいかないことが続きました。しかし、のちにかれの不調の原因がわかり解決(股間がかゆくて集中できなかった)。

ところがせっかくしっくりいきだしたペアだったのに、偵察員・秋沢兵曹が艦上作業中に骨折。代わりに”ベテランの”分隊士が偵察員に入ります。
年はとっているけれど、実戦経験のないことが引け目になっていた分隊士ですが、ある日、ペアの二人に告白して打ち解け合います。

母艦から下りて地上基地勤務になった3人。
そこでペアの編成替えが行われ、電信員・福島兵曹だけがよそのペアになってしまいます。
操縦員と偵察員がもめたときも、いつも間に入っていた電信員の福島兵曹。
かれはペアがかわってからも、いつも元のペアのことを気に掛け、何かと世話をしていました(新人の電信員に代わり、電信機の整備などをやってあげていた)

アシューシャン作戦に出撃。
主人公の操縦員は発艦をしくじってしまい、海にドボン。
気にかけた昔のペア・福島兵曹がなぐさめにきますが、そこで雨宮は言ってはいけないひと言を言ってしまいます。
「もう違うペアなんだからいちいち顔を見せるな。お前がいらいらさせるからあんなことになったんだ(発艦をしくじった)。操縦落っこちたバラスト野郎にパイロットの気持ちがわかるかよ」

いつもおとなしくて温厚だった福島兵曹が言い返します。
「私のことをそんなふうに思っていたのですか。私はペアは3人で一つだといつも思っていました。だからこそ、雨宮さんの操縦に命を托していたんです! 同じように、私の電鍵操作一つに3人の命がかかっていると一生懸命やってきました。そういう電信員の気持ちをわかってくれていなかったとしたら・・・・ペアが別れてよかったです!」
そう言い捨てて立ち去ってしまいました。
雨宮兵曹は、しまった・・・・と後悔しますが後の祭り。

もう、ママはここですでに(T_T)なのですが、このあと・・・・。

翌日の出撃はちゃんと発艦できました。
が、帰り、機位を失してしまい、クルシーで母艦に帰ることにしました。ふだん調子が悪いクルシーがちゃんと働きました。
実は、出撃前に、福島兵曹が「やっぱり気になるから」と、雨宮に内緒で見てくれていたのです。
おそらく、雨宮兵曹は、
「艦に戻ったら、あいつに昨日のことをちゃんと謝ろう」
と思ったはず。

ところが、その福島の機は戻っていませんでした。無線室に行ってみると・・・・。
受信機に被弾して、母艦からの信号を受信できなくなっているらしいのです。一方的に飛行機からの通信だけが入ってきます。
探し回っているのに母艦が見つけられない福島機。そのうち燃料が危なくなってきました。そして最後の通信は、
「ワレ自爆ス 皆様ノゴ好意ニ感謝ス 天皇陛下バンザイ」

中略

その後、南太平洋海戦に出撃することになったペアですが、偵察の分隊士が発熱して、ペアごと搭乗割から外されてしまいました。
仲間が出撃していくのを悔しい思いで見送る雨宮兵曹。
しばらくして、傷付いた他艦の艦攻が降着してきました。操縦員がやられていました。
見ると、偵察員は、真珠湾時にペアを組み、その後骨折して戦列をはなれた秋沢兵曹でした。
そこで急遽、熱を出した分隊士の代わりに秋沢がペアに入り出撃することになりました。

一緒に敵空母に魚雷をぶちこもう―それが夢だった二人が再び一緒に出撃する機会を得たのです。

操偵呼吸を合わせ、見事にホーネットに魚雷を命中させました。
その後の避退行動中に被弾して機上戦死した秋沢兵曹を乗せたまま母艦に戻ってきたところで、おわり・・・・です。

すいません、はしょったつもりで、これです。

春海、まあちゃんと遊ぶ→ママ、元気になる2009年05月01日 18時18分29秒

ローラースケート初体験
ここ数日、とっても嫌なことがあって気分は急降下・・・・。

春海の交友関係です。

以前、ここに1回書いたことがあって。そんなことを書く自分がとっても嫌になって数日後に記事を削除してしまったので、読まれていない方もおられると思います。

それの続き、ってわけではないのですが、同じ子とのトラブルです。

また書いちゃうと、自分がとっても嫌な人間になってしまうので、詳細は書かんときますが、なんか憤死してしまうんじゃないかと思うぐらい、嫌なことがありました。

でも、ブログは更新するんですけどね(^_^;)。

全然解決はしていないのですが、でも、今日はいいことがあったので、ちょっと気分がいいです。

春海は子供の頃からあまり外で遊ばせておらず、幼稚園や小学校から帰ってきても、友だちの家に遊びに行ったり、友だちに家に来てもらったりはしていません。

そんな子なので、トラブルになったときに、向こうの親から、春海の方に問題があるように言われました。友だちとうまく関われないんじゃないか、って。
悪気はないんだと思うのですが、ママは激しく傷つきました。

でも、まあ、そうかもしれません。
学校の友だちの名前も、数えるほどしか言いませんし。

今日、幼稚園時代の友だち・まあちゃんが遊びに来ました。
最初は、向こうから「遊びに来ませんか」というメールだったのですが、気づいたのが遅く、こちらから連絡したときにはまあちゃんのお兄ちゃんを病院に連れて行く直前でした。
「病院に行ってくるのでまあちゃんを預かってもらっていいですか?」
ということだったので、預かって、うちのマンション内の公園でまあちゃんと春海を遊ばせました。その様子をずっとベンチで数独をしながら聞いていました。

まったく、何の問題もありません。

何かしようというときも、必ずしも同じ意見ではないのですが。
「○○したいなあ」
「はーちゃん、××」
「うん、いいよ。じゃあ、あとで交代な」
「うん、いいよ」

「○○ごっこしよう」
「うん、いいよ。どっちがお母さんで、どっちが子供?」
「無理無理。ふたごにしよう」
「わー、いいよ~」

こんな調子で主張するところは主張し、譲るところは譲って、ずっと二人仲良く遊んでいました。
特に、どちらか一人が無茶を言って、どちらかが嫌々ながら折れているという様子ではありませんでした。

一度もぶつかりませんでした。

お兄ちゃんの病院がすんだら、今度はまあちゃんちに移動して、ローラースケートしたり、自転車に乗らせてもらったり。

春海はローラースケート初体験で、靴を履くのも、ヘルメットのベルトを締めるのも、立ち上がる介助をするのも、全部まあちゃんがしてくれました。

二人が仲良く遊んでいる姿を見て、ずいぶん元気が出てきました。



親は、自分ちの子は正しい、まっすぐ育っている、とみんな思っているでしょうからね・・・・。