お義父さんに3月10日のことを聞いてみた ― 2009年03月10日 07時36分55秒
ママは搭乗員さんが書かれた戦記物はよく読むのですが、原爆関係や空襲関係の本はほとんど、というか、まったく読みません。
自分で明確に理由がわかっているわけではないのですが、おそらく、「もしそこにいれば自分も巻き込まれた可能性のあること」だから、避けているのではないかと思います。
子供や女性が無差別に犠牲になっている話って、よう読みません。
搭乗員さんの体験記は、おそらく自分がその時代にいても、絶対に経験できないことだろうと思いながら読んでいるような気がします。
空戦においては子供や女性どころか、敵ですらやられるときの生々しさを感じないこともあって、読むのに抵抗がないのだと思います。
(実際はそんなものではないはずですが)
そんなことで、ママは東京大空襲に関しては、テレビで特集をやっていても、ドラマをやっていても、ほとんど見たことはありません。
悪く言えば、「目を背けてきました」。
去年、パパの東京の実家に泊まりに行った時、お義父さんとお義母さんに、
「東京大空襲の時って、どうしていたんですか?」
と初めて聞いてみました。
お義父さんもお義母さんも、東京下町の人。もう70代半ばなので、戦争体験があるはずなのです。
お義母さんは長野に疎開していた、というようなことを言われたと思います。
お義父さんは3月10日は疎開先の埼玉から江東区の家に帰るつもりにしていたのに、急に取りやめて翌日に延期したらしい。そしたら、その晩に・・・・。
疎開先から、東京の空が真っ赤になっているのが見えたそうです。
日曜日、薬師寺に行った時に、お坊さんにありがたーいお話をたくさんうかがったわけですが、そのときに、
「ここにいるみなさん、当たり前のように座っておられるけど、みんなポッと沸いてでてきたわけではありません。自分1人がここに存在するためにはどれだけのご先祖さまがおられたと思いますか」
と、そういう話をされていました。
例に出されていたのは25代前、だいたい鎌倉時代までさかのぼったと考えたら、ご先祖さま何人が存在するのか。具体的に数字を挙げて言われましたが、莫大な人数でした(たしか何千万だったと思う)。
自分1人でいま生きているわけではない、ということを、途中、笑いをとりながらも一生懸命力説されていました。
お義父さんの話を聞いたとき、いま、当たり前に生きている人間の命が風前の灯火だった瞬間を感じて、愕然としました。
もし、お義父さんが予定通り、3月10日に江東区の家に帰っていたら・・・・。
お義父さんとお義母さんのどちらか1人でも欠けていたらパパは生まれていないわけだし、そうなると当然、わたしと出会うこともなく、春海も生まれていなかった、ということです。
ふだんは忘れて過ごしていますが、こんな日ぐらいは、犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご先祖さまの「運」に感謝する気持ちも思い出さないといけない、ということですね。
自分で明確に理由がわかっているわけではないのですが、おそらく、「もしそこにいれば自分も巻き込まれた可能性のあること」だから、避けているのではないかと思います。
子供や女性が無差別に犠牲になっている話って、よう読みません。
搭乗員さんの体験記は、おそらく自分がその時代にいても、絶対に経験できないことだろうと思いながら読んでいるような気がします。
空戦においては子供や女性どころか、敵ですらやられるときの生々しさを感じないこともあって、読むのに抵抗がないのだと思います。
(実際はそんなものではないはずですが)
そんなことで、ママは東京大空襲に関しては、テレビで特集をやっていても、ドラマをやっていても、ほとんど見たことはありません。
悪く言えば、「目を背けてきました」。
去年、パパの東京の実家に泊まりに行った時、お義父さんとお義母さんに、
「東京大空襲の時って、どうしていたんですか?」
と初めて聞いてみました。
お義父さんもお義母さんも、東京下町の人。もう70代半ばなので、戦争体験があるはずなのです。
お義母さんは長野に疎開していた、というようなことを言われたと思います。
お義父さんは3月10日は疎開先の埼玉から江東区の家に帰るつもりにしていたのに、急に取りやめて翌日に延期したらしい。そしたら、その晩に・・・・。
疎開先から、東京の空が真っ赤になっているのが見えたそうです。
日曜日、薬師寺に行った時に、お坊さんにありがたーいお話をたくさんうかがったわけですが、そのときに、
「ここにいるみなさん、当たり前のように座っておられるけど、みんなポッと沸いてでてきたわけではありません。自分1人がここに存在するためにはどれだけのご先祖さまがおられたと思いますか」
と、そういう話をされていました。
例に出されていたのは25代前、だいたい鎌倉時代までさかのぼったと考えたら、ご先祖さま何人が存在するのか。具体的に数字を挙げて言われましたが、莫大な人数でした(たしか何千万だったと思う)。
自分1人でいま生きているわけではない、ということを、途中、笑いをとりながらも一生懸命力説されていました。
お義父さんの話を聞いたとき、いま、当たり前に生きている人間の命が風前の灯火だった瞬間を感じて、愕然としました。
もし、お義父さんが予定通り、3月10日に江東区の家に帰っていたら・・・・。
お義父さんとお義母さんのどちらか1人でも欠けていたらパパは生まれていないわけだし、そうなると当然、わたしと出会うこともなく、春海も生まれていなかった、ということです。
ふだんは忘れて過ごしていますが、こんな日ぐらいは、犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご先祖さまの「運」に感謝する気持ちも思い出さないといけない、ということですね。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。