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深井中尉と○○中尉2009年03月07日 08時40分55秒

深井中尉とおそらく同僚の方
去年の年末頃に、「この人は誰だ!?」シリーズをやっていて、そのときに一度この写真(深井紳一氏提供)についてここに書いたのですが、書いてからいろいろと思うところが沸いてきて、すぐに削除しました。

削除した内容。
深井良中尉(右)と一緒に写っているこの中尉さん(襟の階級章から)、いったい、誰だろう?というところから始まって、結局、誰かわからないけど、深井中尉が勤務していた宇佐空で仲がよかった予備学生出身の士官かなー?みたいなことを書きました。

あれから3ヶ月。結局、この人がどなたなのか、まだはっきりしていないのですが、わたしの中では9割確定しました。残り1割がちょっとあやしいのですが、調査が行き詰まってしまっているので、もう、書いちゃいます。

海兵71期の瀬島基太郎中尉(撮影当時)ではないかと思うのです。

年末にこの写真について書いた時は、
・2人は同じ中尉の階級章をつけている。
・深井中尉が相手の腰に手を回している。
といったことから、深井中尉が中尉に進級した19年9月以降、宇佐か762空で、兵学校の同期生かコレス、あるいは予備士官・・・・
という推理をして、該当する人を探してみたのですが。
兵学校の同期生かコレスという線が一番に消えたので、結局、予学出身の教官仲間かな?ってところで終わっていたのです。

その後で、今戸公徳『宇佐海軍航空隊始末記』光人社 に出ていた「瀬島基太郎中尉」という写真を見つけ、
「あっ! この人、良さんと一緒に写ってる人やんっ!」
とびっくり。
写真は飛行服に飛行帽姿の瀬島中尉のお顔部分がアップで写っているわかりやすい写真。
ママには、どう見ても、深井中尉の左の人と同一人物に見える。

瀬島中尉に関して調べてみたところ、神戸出身で海兵71期出身。搭乗員ではあるようですが、ママ調べでは操縦ではなく偵察だったような・・・・。
深井中尉と同じ時期に宇佐空で教官をされていて「14期指導官付」という肩書きになっているものもありました。
当時宇佐で訓練を受けていた14期予備学生の人が書かれた日記にも、瀬島中尉のお名前は時々出てきます。

71期ということなので、19年12月1日に大尉に進級されています。ということは、この写真は深井中尉が中尉に進級してから、瀬島中尉が大尉になるまでの19年9月、10月、11月ぐらいの撮影ってことですね。

深井中尉と瀬島中尉は宇佐空で結構縁があったのか、これ以外にも相撲写真や、予備学生や練習生の卒業写真などにも一緒に写っています。
http://papamama.asablo.jp/blog/2009/01/03/4040491

深井中尉は20年3月末に宇佐空から762空攻撃501に転勤になり、5月、第9銀河隊として特攻出撃してしまうのですが、瀬島大尉の方は宇佐空に残り、4月、八幡護皇隊としての集合写真はあるものの、実際には特攻出撃して戦死はされていないようです(この間の事情は不明)。終戦時、百里空。

ママは『宇佐海軍航空隊始末記』の写真から、この人↑は瀬島基太郎中尉、とほぼ確信しているのですが、ところがどっこい、そう簡単にはいかなくて、実際に瀬島中尉をご存じの方が、この写真も、『宇佐海軍・・・・』の写真も、「瀬島さんには見えない」と・・・・。

「ええっーーーー!!! そんなあーーーー!!!(>_<)」

いま、ここ↑。
・・・・行き詰まっております。

この写真、72期の深井中尉が、71期の瀬島中尉(?)の腰に手を回しているという、なんとなく不思議な写真です。
「仲のいい同期生」みたいなポジションで写っていると思いません?
本当にこれは瀬島中尉なのか、それとも違うのか、そこがとっても知りたいのです。

どなたか、瀬島さんのことをご存知の方、おられないかなあー?

瀬島基太郎中尉らしい2009年03月07日 10時46分09秒

瀬島中尉らしい
1つ前の話のつづき。

『宇佐海軍航空隊始末記』に出ていた、瀬島中尉単独の写真てのは「こんな感じ」です。

目元に結構特徴のある方なのですが、このトレースではそれが表現できていません。
というわけで、お顔はあまり似ていない、ということで(^_^;)。

ママの主観を激しくまじえた解説を加えておくと、別府ではエスにエムエムケーだったろうなあ・・・・と想像させるような、ちょーイケメン中尉さんです。

深井中尉と一緒に写っている人と、同一人物だと思うんだけどなー。