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谷水竹雄上飛曹機2009年03月09日 08時27分56秒

谷水竹雄上飛曹機
1/100、塗装済みの谷水竹雄上飛曹機。

プラモを作り始める前はこのタイプのヤツを結構買っていました。

パーツも少なく、既に色が塗ってあって、切り離してくっつけるだけ、という手軽なヤツです。
飾り台がついています。
中には↑これのように整備員がついているモノも。

1シリーズで6種類ぐらいの機体が用意されているのですが、開封するまで箱の中身はわからない、というものです。
ですから、この谷水機はたまたま引き当てたようなものです。

海軍機プラモに熱中する前に作った機体なので、真正面からはお見せできないぐらいひどいできあがりになっています。
この機体だけではないのですが、1/100の零戦を作ると、必ず脚が失敗します。谷水機は脚が左右とも同じ方向に傾いて平行四辺形みたいになっています(T_T)。関行男大尉機はハの字に開いています(>_<)。もう1機、片脚が折れて翼が傾いている機体もあります(-_-;)。

というわけで、まともに組めたことがない。

先日、Oさんとのお食事会に誘って下さった方が、これとは別の谷水上飛曹機1/100をプレゼントしてくださったのですが、超貴重なモノで、いまだ開封できずに置いてあります。
これは「中の機体は誰の機体か、開けてのお楽しみ~」というものではなく、中身は谷水機とわかっているものです。箱に、谷水上飛曹のかっこいい写真がついて、いまのところ、時々それをぼっーと眺めているだけ、という状態です。

「リベンジだ」と作ってみたい気持ち半分、きっと脚が失敗するに違いないから開封しないで取っておいた方がいいだろうという気持ち半分・・・・。
たぶん、当分は開封しないだろうなあ・・・・。

↑これは戦闘303時代(20年春以降)の乗機らしいのですが、谷水さん、19年夏頃には台湾の台南空で先任教員をされていました。

19年8月31日、1人で夜間待機中に、高雄方面を空襲に来たB24を撃墜されているのですが、Oさん(当時戦闘401)、高雄基地におられて地上からその戦闘をご覧になられていたそうです。

谷水さんの手記によると、基地からもさかんに高角砲、高射機銃で撃ち上げていたらしく、それをぬっての攻撃。谷水さんは、
「敵に当たらんのだから、おれにも当たらんだろう」
とタカをくくっておられたようですが。

夜空で、B24、零戦、それぞれの機銃、基地の対空砲、探照灯が入り乱れてすごいことになっていたのだろうなあ・・・・。
Oさん、まさかそのときは、B24に食らいついているのが谷水さんとは思わずに見とれていたそうで、あとで知って驚いたということでした。

「えーっと・・・・その当時、ホリブンも高雄にいたと思うんですが、お会いにならなかったですか?」
「堀さん? いやあ・・・・気づかなかったなあ」
「高雄で先任教員をされていたはずなんですが」
「おったんかなあ? 記憶にないな」
(Oさんは高雄空の教員、というわけではありません。たまたま高雄におられたような話しぶりだったような・・・・)

このとき、高雄空からは邀撃に上がらなかったんですかねえ? 上がらなかったみたいですねえ。谷水さんが台南から単機駆けつけているぐらいなんで・・・・(^_^;)。

素人的に考えても、空襲中の基地からは上がれないですもんねえ。フツー上がれないよね? ね?
(ときには空襲中でも上がっちゃう猛者もいるようですが)



参考:光人社『零戦搭乗員空戦記』「愛機零戦で戦った千二百日」谷水竹雄、Oさんの体験談(ママの聞き間違いがあるかもしれません)

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