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Kさんと堀さん2008年06月15日 09時49分47秒

零戦21型 1/32
↑本文とは関係ありません、画像は零戦です。

さて、さて、忘れてしまわないうちに書いておきたい。

Kさんの「堀さんの思い出話」。

Kさん(343空戦闘301・甲飛10期)が初めて堀さんにお会いしたのは19年7月、群馬の中島飛行機らしいです。
Kさんは当時、フィリピンから(?)飛行機を取りに戻っていて、堀さんは台湾(たぶん当時教員をしていた高雄空)から飛行機を取りに来ていたらしいです。
19年夏ごろ、堀さんは高雄空の教官教員数名で雷電の講習を受けに内地に戻ってきています。なので、Kさんと堀さんの初対面はその時の話かもしれないですね。
初めて会った時は、「会った」というだけで、別に交流はなかったようです。

19年の年末、Kさんたちはフィリピンから引き揚げてきました。そして343空戦闘301が結成されるわけですが、そのとき台湾から転勤して来て戦闘301の先任搭乗員(下士官のリーダー)になったのが、堀光雄上飛曹でした。

源さんが、
「堀さんは怖い人でしたか?」
とわたしが一番聞きたかったことを・・・・。
人柄って、写真を見てもわからないので、同僚の方の話はとても聞きたかったです。
Kさん、
「いや、いや! ぜんっぜん、こわくないっ!!」
と。
堀さんはやさしー先任だったようです。ホッ。
Kさんいわく、
「自分達は騒動なんか一度も起こしたことはない」
と(たぶん戦闘301時代の話)。
戦闘301は暴れん坊の杉田兵曹を抱えていたし、堀さん自身も先任時代は「気苦労が多かった」と書かれていたので、気になっていたのですが、意外や意外、戦闘301は堀さんが爆発しないといけないような騒動はなかったそうです。隊長は暴れん坊なのにね(^_^;)。

松山時代、堀先任は下駄屋さんに下宿していたそうです。
Kさんもよくそこに遊びに行ったと言われていました。
みなさん、「どこに下宿しようがどうでもいいやん」と思われるかもしれませんが、こんな些細なことでもわかるとおもしろいじゃないですか。

堀さんは20年の5月に飛曹長に進級しました。准士官です。
隊の分隊士になったわけですが、Kさん、
「堀さんとか堀分隊士なんて呼ばへんっ」
と。
「堀分隊士」だから略して「ホリブン」と呼んでいたそうです。宮崎分隊士はミヤブン。
昨日、会場でもそういうことばが飛び交っていました。
隊員たちにどう呼ばれていたかもおもしろいですよね~。本には出てきませんよ。こういうところでしか聞けない裏話でした。
わたしも今後「堀さん」「堀飛曹長」はやめて「ホリブン」と呼ぶことにしますっ!

Kさん、最後に、
「まあ、これ以外にもいろいろあんねんけどな(ニヤッ)」

ああっ!! その「これ以外のいろいろ」っちゅうのが知りたいんですっ!!
次回はぜひ、その「これ以外のいろいろ」をおねがいしますっ!!

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