宇佐空相撲大会 ― 2009年01月03日 10時18分54秒
深井さんから、宇佐空相撲大会時の深井中尉の写真がある、と聞いたときは、つい、
「深井中尉のまわし姿かっ!!」
と不覚にも興奮しかけたママですが、実際は、↑こんな写真でした。
深井中尉は教官なので、実際にまわし姿になって相撲を取る立場にはなかったようです(^_^;)。
このときの相撲大会のことは、生徒であった14期予備学生にとっては忘れられない出来事だったらしく、どこかしこに、このときの記述が出ています。
東大出身予備学生・艦攻専攻の大石政則少尉の日記(西日本新聞社『ペンを剣に代えて』)によると、これは19年11月14日のことらしく、
『待望且気がかりな相撲競技の日となった。飛行学生と予備学生の対抗競技は因縁付きのもの、且背後には兵学校出と予備学生とは暗黙の対立抗争を控えているだけに、いよいよ負けてはなら悲壮なものである。
1245、分隊対抗競技始め。一分隊(艦爆の練習生)が優勝。最後に飛行学生と予備学生との対抗競技となるや、一場しんとして今まで盛んに叫ばれていた拍手も笑声もぴたりと鳴りを沈め、本当に殺気が充ち充ちていた。互に名乗り合う声も相手を投げ殺してやるぞという様にさえ感じられた。勝ってくれ勝ってくれと私は祈った。
二組ずつ(7×2)で競技をやるのであるが、一組は四対三にて勝ち、二組は五対二にて負け、我の一組と彼の二組と戦い、四対三にて予備学生に凱歌は上った。まことに村瀬、白崎両選手のお陰と言う他はない。勝った、本当に手の舞い、足の踏む所もしらなかった。敗れなば、飛行学生は以前にも増して圧倒して来るだろうし、指導官の方からもどんどん締められるであろう。夕食は祝宴となった。瀬島中尉、井岡大尉、中村少尉、上大迫少尉他、整備の少尉二名来られた。優勝賞品としてビール多数あり、楽しき夕べであった』
大石少尉の日記によると分隊対抗では1分隊(艦爆練習生)が優勝した、となっています。
深井中尉の相撲大会写真には「1分隊優勝」というタイトルとついていて(すいません、どなたがつけたタイトルか確認していません)、最前列に座っている選手らしい7人の真ん中の一人が賞状のようなものを持っていることから、やはり、この写真のメンバーが優勝した1分隊(艦爆練習生)と思われます。「練習生」ということは予科練の人たちということになります。
この相撲大会のことは須崎勝彌『カミカゼの真実』の中にも出てきます。大石少尉の日記にも出てくる、早大出身の村瀬少尉が大活躍をしたんだとか。
大石少尉の日記も、『カミカゼの真実』もそうですが、1分隊優勝より、予備学生(14期)が飛行学生(兵73期)に勝ったということが何より印象に残っているようです。
まあ、そのことの背景に関しては今日の趣旨ではないので書きません。
で、すっかり、影が薄くなってしまった「1分隊優勝」ですが。
深井中尉の教え子・練習生たちの詳細は現在不明ですが(すいません、真剣に調べていません。いや、まだ手が回っていません)、椅子席中央に座っている教官たちの詳細はやや判明しています。
第一種軍装姿の4人のうち、一番右が深井良中尉(兵72期・艦爆操)、その左、艦爆隊隊長、宮内安則大尉(兵66期)、その左、瀬島基太郎中尉(兵71期・ママ調べでは偵察員ということなのですが・・・・)。一番左の方、わかりません。
深井中尉以外の宮内大尉と瀬島中尉はママが推測したのですが、深井さんが元宇佐空の教官の方に確認してくださった所、そうでしょうということでしたんで、たぶん、そうでしょう。
瀬島中尉は大石日記に出てくる、祝宴に顔を出した「瀬島中尉」と同一人物と思われます。瀬島中尉は14期指導官附らしいです(←具体的にどういうお仕事なんでしょうねー?)。
この瀬島中尉なんですけどねえ・・・・。
また後日話題にすると思うので、みなさん、お顔を忘れずに憶えておいてください。
いま、写真眺めていて気がついたんですが、瀬島中尉、右手の薬指を負傷されていますねー。どうしたんでしょうねえ?
ちょっとした切り傷程度には見えませんが。
ママ、こういうの、気になってしょーがないんですよねー。
まあ、怪我のことは今後の宿題ということにして・・・・。
今日は別に相撲の話がしたかったわけではなく、みなさんに瀬島中尉の顔を見ていただきたかったということです、はい。
「深井中尉のまわし姿かっ!!」
と不覚にも興奮しかけたママですが、実際は、↑こんな写真でした。
深井中尉は教官なので、実際にまわし姿になって相撲を取る立場にはなかったようです(^_^;)。
このときの相撲大会のことは、生徒であった14期予備学生にとっては忘れられない出来事だったらしく、どこかしこに、このときの記述が出ています。
東大出身予備学生・艦攻専攻の大石政則少尉の日記(西日本新聞社『ペンを剣に代えて』)によると、これは19年11月14日のことらしく、
『待望且気がかりな相撲競技の日となった。飛行学生と予備学生の対抗競技は因縁付きのもの、且背後には兵学校出と予備学生とは暗黙の対立抗争を控えているだけに、いよいよ負けてはなら悲壮なものである。
1245、分隊対抗競技始め。一分隊(艦爆の練習生)が優勝。最後に飛行学生と予備学生との対抗競技となるや、一場しんとして今まで盛んに叫ばれていた拍手も笑声もぴたりと鳴りを沈め、本当に殺気が充ち充ちていた。互に名乗り合う声も相手を投げ殺してやるぞという様にさえ感じられた。勝ってくれ勝ってくれと私は祈った。
二組ずつ(7×2)で競技をやるのであるが、一組は四対三にて勝ち、二組は五対二にて負け、我の一組と彼の二組と戦い、四対三にて予備学生に凱歌は上った。まことに村瀬、白崎両選手のお陰と言う他はない。勝った、本当に手の舞い、足の踏む所もしらなかった。敗れなば、飛行学生は以前にも増して圧倒して来るだろうし、指導官の方からもどんどん締められるであろう。夕食は祝宴となった。瀬島中尉、井岡大尉、中村少尉、上大迫少尉他、整備の少尉二名来られた。優勝賞品としてビール多数あり、楽しき夕べであった』
大石少尉の日記によると分隊対抗では1分隊(艦爆練習生)が優勝した、となっています。
深井中尉の相撲大会写真には「1分隊優勝」というタイトルとついていて(すいません、どなたがつけたタイトルか確認していません)、最前列に座っている選手らしい7人の真ん中の一人が賞状のようなものを持っていることから、やはり、この写真のメンバーが優勝した1分隊(艦爆練習生)と思われます。「練習生」ということは予科練の人たちということになります。
この相撲大会のことは須崎勝彌『カミカゼの真実』の中にも出てきます。大石少尉の日記にも出てくる、早大出身の村瀬少尉が大活躍をしたんだとか。
大石少尉の日記も、『カミカゼの真実』もそうですが、1分隊優勝より、予備学生(14期)が飛行学生(兵73期)に勝ったということが何より印象に残っているようです。
まあ、そのことの背景に関しては今日の趣旨ではないので書きません。
で、すっかり、影が薄くなってしまった「1分隊優勝」ですが。
深井中尉の教え子・練習生たちの詳細は現在不明ですが(すいません、真剣に調べていません。いや、まだ手が回っていません)、椅子席中央に座っている教官たちの詳細はやや判明しています。
第一種軍装姿の4人のうち、一番右が深井良中尉(兵72期・艦爆操)、その左、艦爆隊隊長、宮内安則大尉(兵66期)、その左、瀬島基太郎中尉(兵71期・ママ調べでは偵察員ということなのですが・・・・)。一番左の方、わかりません。
深井中尉以外の宮内大尉と瀬島中尉はママが推測したのですが、深井さんが元宇佐空の教官の方に確認してくださった所、そうでしょうということでしたんで、たぶん、そうでしょう。
瀬島中尉は大石日記に出てくる、祝宴に顔を出した「瀬島中尉」と同一人物と思われます。瀬島中尉は14期指導官附らしいです(←具体的にどういうお仕事なんでしょうねー?)。
この瀬島中尉なんですけどねえ・・・・。
また後日話題にすると思うので、みなさん、お顔を忘れずに憶えておいてください。
いま、写真眺めていて気がついたんですが、瀬島中尉、右手の薬指を負傷されていますねー。どうしたんでしょうねえ?
ちょっとした切り傷程度には見えませんが。
ママ、こういうの、気になってしょーがないんですよねー。
まあ、怪我のことは今後の宿題ということにして・・・・。
今日は別に相撲の話がしたかったわけではなく、みなさんに瀬島中尉の顔を見ていただきたかったということです、はい。
予科練時代の西澤さん ― 2009年01月02日 09時33分11秒
すいません、正月早々、「どうでもいい戦史シリーズ」。
みなさんには、どーでもいいことですよね、西澤さんの予科練時代のことなんて。
西澤さんの予科練(乙7)の同期生が書き記していることです。
・西澤さんはいつも青白い顔をしていて、あだ名が「青びょうたん」だった。
・西澤さんは精力をつけるために、実家から送られてくるマムシの黒焼きをかじっていた。
・西澤さんは海軍のくせにカナヅチで赤帽だった。
(ただし、卒業する頃には遠泳も泳げていた)
・西澤さんは性格的にはおとなしく目立たない方だったが、同県人の小林くんとはよく喧嘩をしていた。
おもしろいですよねー。
意外なこともあり、「ああ、なるほどー」なこともあり。
顔色が悪かったってのは坂井さんも書いていることなので。
海軍に入ったばかりってのならわかりますが、ラバウルとか、あんな赤道直下にいたら、普通日焼けすると思うのですが、それでも青白かったってのは相当ですよね。本当にどっか悪かったのかな?
でも、海軍、ちゃんと健康診断しますよねー?
マムシの黒焼きはねえ・・・・(^_^;)
それをかじっている西澤少年、あまり想像したくない。
でも、きっと、息子を心配するお母さんのお心遣いなのですよねー。
予科練時代カナヅチだったらしいですが、17年4月28日にサラモア沖に不時着水したときは救助がくるまで泳ぎ切っているので、よろしんじゃないでしょうか。溺れない程度に浮かんでいられればよし、ということで。
でも、泳げなくても海軍入れるんですねー。
ふだんは口数が少なくても、異常な負けず嫌いで、勝敗のことになると取っ組み合いの喧嘩までするってのも坂井さんが書いているので、そこら辺も予科練時代から変わらない、ということで。
ところで、西澤さんの予科練時代の喧嘩相手、小林くんって、どんな人だろう? 何が原因で西澤さんと喧嘩していたんでしょうねえ?
今度「小林くん」のことも調べてみるかねえ。
参考:『予科練の翼』光人社
みなさんには、どーでもいいことですよね、西澤さんの予科練時代のことなんて。
西澤さんの予科練(乙7)の同期生が書き記していることです。
・西澤さんはいつも青白い顔をしていて、あだ名が「青びょうたん」だった。
・西澤さんは精力をつけるために、実家から送られてくるマムシの黒焼きをかじっていた。
・西澤さんは海軍のくせにカナヅチで赤帽だった。
(ただし、卒業する頃には遠泳も泳げていた)
・西澤さんは性格的にはおとなしく目立たない方だったが、同県人の小林くんとはよく喧嘩をしていた。
おもしろいですよねー。
意外なこともあり、「ああ、なるほどー」なこともあり。
顔色が悪かったってのは坂井さんも書いていることなので。
海軍に入ったばかりってのならわかりますが、ラバウルとか、あんな赤道直下にいたら、普通日焼けすると思うのですが、それでも青白かったってのは相当ですよね。本当にどっか悪かったのかな?
でも、海軍、ちゃんと健康診断しますよねー?
マムシの黒焼きはねえ・・・・(^_^;)
それをかじっている西澤少年、あまり想像したくない。
でも、きっと、息子を心配するお母さんのお心遣いなのですよねー。
予科練時代カナヅチだったらしいですが、17年4月28日にサラモア沖に不時着水したときは救助がくるまで泳ぎ切っているので、よろしんじゃないでしょうか。溺れない程度に浮かんでいられればよし、ということで。
でも、泳げなくても海軍入れるんですねー。
ふだんは口数が少なくても、異常な負けず嫌いで、勝敗のことになると取っ組み合いの喧嘩までするってのも坂井さんが書いているので、そこら辺も予科練時代から変わらない、ということで。
ところで、西澤さんの予科練時代の喧嘩相手、小林くんって、どんな人だろう? 何が原因で西澤さんと喧嘩していたんでしょうねえ?
今度「小林くん」のことも調べてみるかねえ。
参考:『予科練の翼』光人社
堀教員 ― 2008年12月30日 17時24分55秒
1こ前に、西澤さんの練習航空隊教官時代のことをちょっと書きましたが、不親切だったので、説明を加えておきます。
海軍では、飛行機の乗り方を教える立場の人を、階級によって呼び方を変えていました。
准士官以上(飛曹長、少尉、中尉、大尉・・・・)は「教官」と呼びます。
下士官の場合、「教員」です。
逆に、教えられる立場の人も名称が違います。
兵学校出身や予備学生出身の少尉や中尉は「学生」と言います。
予科練出身の人たち(まだ「兵」かな?)は「練習生」です。
(↑合ってますよね?)
西澤さんの場合、時期から察して、准士官である飛曹長に進級後に、大分で教えていたようなので、「西澤教官」ということです。
ホリブンは大村、三亜、高雄、と練習航空隊を渡り歩いたようですが、その間、おそらく2(1)飛曹~上飛曹までの下士官時代なので「堀教員」です。
ホリブンが高雄で教えていたのは13期予備学生ではないかと思います。高雄時代の同僚が、ホリブンのことを「学生分隊の先任教員」と書いていることから察してですが。
ですから、ホリブンは上飛曹でありながら、少尉(?)に操縦を教えていたことになります。
もちろん、学生ができないからと言って、
「飛行機に乗るなんざ3年はええんだよっ! 出直してこいっ!!」
なんて言えるはずがありません。
もし、学生がミスをしても、
「非常に言いにくいのですが、そこはそういう操縦をされたら危ないですよ(^_^;)」
みたいな感じだったのでは、とママは妄想します。
でも、飛行機の操縦は命がけなので、いくらやさしい堀教員でも、やってはいけないことをしたときはもっと厳しく叱責していたのかなあ?
いかん、いかん、また妄想に突入しそうだった・・・・(-_-)
ちなみに、このホリブンの同僚の人ですが、もちろん、この人も高雄で教員をされていたわけですが(練習生分隊)、実戦部隊に配属されてから、おそろしく着陸が下手な部下がいたので、
「おまえ、そんな着陸、誰に教わったんじゃ!!」
と叱りつけたところ、その部下に、
「あなたに教わりました」
と言い返されてしまったそうです(笑)。
ネタかな?と思えるぐらいおかしな話です。
海軍では、飛行機の乗り方を教える立場の人を、階級によって呼び方を変えていました。
准士官以上(飛曹長、少尉、中尉、大尉・・・・)は「教官」と呼びます。
下士官の場合、「教員」です。
逆に、教えられる立場の人も名称が違います。
兵学校出身や予備学生出身の少尉や中尉は「学生」と言います。
予科練出身の人たち(まだ「兵」かな?)は「練習生」です。
(↑合ってますよね?)
西澤さんの場合、時期から察して、准士官である飛曹長に進級後に、大分で教えていたようなので、「西澤教官」ということです。
ホリブンは大村、三亜、高雄、と練習航空隊を渡り歩いたようですが、その間、おそらく2(1)飛曹~上飛曹までの下士官時代なので「堀教員」です。
ホリブンが高雄で教えていたのは13期予備学生ではないかと思います。高雄時代の同僚が、ホリブンのことを「学生分隊の先任教員」と書いていることから察してですが。
ですから、ホリブンは上飛曹でありながら、少尉(?)に操縦を教えていたことになります。
もちろん、学生ができないからと言って、
「飛行機に乗るなんざ3年はええんだよっ! 出直してこいっ!!」
なんて言えるはずがありません。
もし、学生がミスをしても、
「非常に言いにくいのですが、そこはそういう操縦をされたら危ないですよ(^_^;)」
みたいな感じだったのでは、とママは妄想します。
でも、飛行機の操縦は命がけなので、いくらやさしい堀教員でも、やってはいけないことをしたときはもっと厳しく叱責していたのかなあ?
いかん、いかん、また妄想に突入しそうだった・・・・(-_-)
ちなみに、このホリブンの同僚の人ですが、もちろん、この人も高雄で教員をされていたわけですが(練習生分隊)、実戦部隊に配属されてから、おそろしく着陸が下手な部下がいたので、
「おまえ、そんな着陸、誰に教わったんじゃ!!」
と叱りつけたところ、その部下に、
「あなたに教わりました」
と言い返されてしまったそうです(笑)。
ネタかな?と思えるぐらいおかしな話です。
西澤教官 ― 2008年12月30日 10時57分50秒
最近、パパママ家の年末騒動ばかり書いていてつまんないので(←ママが)、無理矢理西澤さんネタっ!!
西澤さん、モノの本によると18年11月頃から19年の2月ぐらいにかけて、大分空で教官をしていたらしいんですよね~。
練習航空隊時代の記録って、存在しないのでしょうか、この間、謎です。
写真は見たことがあります。
練習生(飛行学生?)に何か説明しているのかな? サングラスかけた横顔の写真。横着せずに正面から撮れって話です、カメラマンよ。
武田信行氏の『最強撃墜王』にも、西澤さんの教官時代のことがちょいと触れられているのですが、まあ、教員・教官、飛行練習生・飛行学生の区別がつけられていないような感じなので、読んでもあまり、具体的なことはわかりません。
ママは、西澤さんがいったい誰に操縦を教えていたのか、そこら辺が知りたいんですよね~。
西澤さんの同期生が書いた「同期生エース西沢の風貌」という文章中に、はっきり「飛行学生戦闘機専修者の教官」と書かれているので、可能性としては39期か40期の飛行学生・・・・?
教官時代の西澤さんのエピソードとして必ず語られることがあります。
『西澤飛曹長は子守のような新しい任務がいやでしょうがなかった。練習生に対してほとんどこらえ性がなく、ほとんどの練習生を飛行機に乗るなんて3年早いと不合格にしたという』(「日本海軍航空隊のエース」)
同じような話が『最強撃墜王』にも出てきますが、
「飛行機に乗るなんざ、3年はええんだっ!!」
と罵られた飛行学生(?)はいったいどなたはんなんでしょう?
ご本人の名誉のためにあまり追究しない方がいいのでしょうが、でも、西澤さんの名誉のためにもひとこと言いたい。
いくら西澤さんが皮肉屋でも、飛行学生に向かって↑こんなこと言うかなあ???
戦闘機では西澤さんの方がベテランですが、飛行学生の階級はすでに中尉。飛曹長の西澤さんがいくら癇癪を起こしたからって、↑んなこたあ、言わんと思うのですが。
あ、自分の後輩たちである「練習生」になら言うと思いますよ、きっと面と向かって。
飛行学生に対して、こんなことを陰でコソコソ言っていた西澤さんはあまり想像したくない・・・・。
うーん・・・・。本当に言ったのか?
言ったとしたら、誰に向かって言ったのか?
こんな些細なひと言にこだわっているから、西澤さんが教えていたのが「飛行学生」なのか「飛行練習生」なのかはっきりさせたいんですよねえ。
で、西澤さんが教官勤務をいやがっていた、ってエピソードはいったいどなたの証言なのでしょう?
「3年早い」発言はいったいどなたが聞かれたのでしょうか?
西澤さんならいかにも言いそうな台詞ですが、それも相手によると思うので、やっぱりそこら辺はっきりさせたいんですよねー。どなたか、西澤さんの教官時代の詳細、ご存知ありませんか?
西澤さん、モノの本によると18年11月頃から19年の2月ぐらいにかけて、大分空で教官をしていたらしいんですよね~。
練習航空隊時代の記録って、存在しないのでしょうか、この間、謎です。
写真は見たことがあります。
練習生(飛行学生?)に何か説明しているのかな? サングラスかけた横顔の写真。横着せずに正面から撮れって話です、カメラマンよ。
武田信行氏の『最強撃墜王』にも、西澤さんの教官時代のことがちょいと触れられているのですが、まあ、教員・教官、飛行練習生・飛行学生の区別がつけられていないような感じなので、読んでもあまり、具体的なことはわかりません。
ママは、西澤さんがいったい誰に操縦を教えていたのか、そこら辺が知りたいんですよね~。
西澤さんの同期生が書いた「同期生エース西沢の風貌」という文章中に、はっきり「飛行学生戦闘機専修者の教官」と書かれているので、可能性としては39期か40期の飛行学生・・・・?
教官時代の西澤さんのエピソードとして必ず語られることがあります。
『西澤飛曹長は子守のような新しい任務がいやでしょうがなかった。練習生に対してほとんどこらえ性がなく、ほとんどの練習生を飛行機に乗るなんて3年早いと不合格にしたという』(「日本海軍航空隊のエース」)
同じような話が『最強撃墜王』にも出てきますが、
「飛行機に乗るなんざ、3年はええんだっ!!」
と罵られた飛行学生(?)はいったいどなたはんなんでしょう?
ご本人の名誉のためにあまり追究しない方がいいのでしょうが、でも、西澤さんの名誉のためにもひとこと言いたい。
いくら西澤さんが皮肉屋でも、飛行学生に向かって↑こんなこと言うかなあ???
戦闘機では西澤さんの方がベテランですが、飛行学生の階級はすでに中尉。飛曹長の西澤さんがいくら癇癪を起こしたからって、↑んなこたあ、言わんと思うのですが。
あ、自分の後輩たちである「練習生」になら言うと思いますよ、きっと面と向かって。
飛行学生に対して、こんなことを陰でコソコソ言っていた西澤さんはあまり想像したくない・・・・。
うーん・・・・。本当に言ったのか?
言ったとしたら、誰に向かって言ったのか?
こんな些細なひと言にこだわっているから、西澤さんが教えていたのが「飛行学生」なのか「飛行練習生」なのかはっきりさせたいんですよねえ。
で、西澤さんが教官勤務をいやがっていた、ってエピソードはいったいどなたの証言なのでしょう?
「3年早い」発言はいったいどなたが聞かれたのでしょうか?
西澤さんならいかにも言いそうな台詞ですが、それも相手によると思うので、やっぱりそこら辺はっきりさせたいんですよねー。どなたか、西澤さんの教官時代の詳細、ご存知ありませんか?
18年5月14日オロ湾在泊艦船爆撃隊直接掩護 ― 2008年12月19日 11時01分19秒
今日は、かわいい春海ちゃんのどんな話かな~???
と期待しながらブログを開いてくれた人が、
「もうええっちゅうねんっ!!」
と叫んでいるのが聞こえてきそうな今日この頃。
すいませんが、今日も戦闘機隊の話です。
夕方か夜にでもスイミングの背泳ぎ認定の結果を書きますので、ちょっとお待ちを・・・・。
従来、西澤廣義上飛曹機と言われてきたUI-105号機について、先日、妄想てんこ盛りで「林喜重中尉機」と断定してしまったママですが。
その後、重大な情報を発見しました。
今日はその件に関する報告です。
(でも、ママにとって不都合な情報なので、本音のところは握りつぶしてしまいたいっ、読まなかったことにしてしまいたいっ)
大野竹好中尉(兵68期)の手記に、5月14日、オロ湾攻撃についていった際の詳細な記述がありました(先に読んどけ、っちゅう話ですが)。
『隊長、向井大尉は9機を率いて中攻隊の左上方、一分隊長・木村大尉は6機を率いて中攻隊の前に、二分隊長・鴛渕中尉、三分隊長たる私、四分隊長・大宅中尉は各6機を率いて中攻隊の左に、後左上方に、後右上方にぴたりと隊形を整えた』
重複しますが、もう一度、あの日の編制表を示しておきます(階級略)。
大野中尉の解説(中攻隊との位置関係)を交えて。
隊長直率9機・・・・左上方
向井一郎
坂上忠治
八尋俊一
磯崎千利
山本末廣
中西 貢
田中三一郎
松吉 節
小竹高吉
第一分隊6機・・・・前方
木村 章
遠藤桝秋
小西信雄
橋本光輝
中山義一
塚本秀夫
第二分隊6機・・・・左
鴛渕 孝
西澤廣義
関口栄次
香下 孝
四宮与三郎
安藤宇一郎
第三分隊6機・・・・後左上方
大野竹好
米田 忠
松本勝次郎
林 喜重
辻岡 保(引き返す)
増田勘一
第四分隊6機・・・・後右上方
大宅秀平
山崎市郎平
池田市次
近藤 任
石崎博次
直島喜平
↑こんな感じでしょうか?第二、第三、第四分隊の中攻隊との位置関係、これでよいのでしょうか。大野中尉の文章からはそうとしか読めないのですが。
これは、中攻隊が爆撃進路に入るときの描写です。
目的地に着くまでの間、どのような隊形で飛んでいたのかまでは書いてありません。まあ、でも、爆撃進路に入るからといって左にいた中隊が右行ったり、前にいた中隊が一番後まで下がったり、ということは考えにくいので、途中もこれと似たような隊形で飛んでいたのかな、と思います。
となると、吉田一さんの便乗した中攻の右側を飛んでいる105号機は大宅中隊6機のうちの誰かってこと?
いや、そんなことはない。
105号機のちょっと後上方に3機小隊が1つともう1小隊の1機の翼が見えています。これが大宅中隊ではないのかな。
(このうちの1機が格子柄迷彩機)
吉田さんの写真から判断すると、吉田さんがあの105号機を撮影したとき、ほぼ真横の右側に2機1小隊(105号機と109号機)、ちょっと後上方に3機ずつ2小隊いるのでは?
それだと大野中尉の記述とは合わないような気も・・・・。
うーん???
この前も書きましたが、105号機は中攻の右を飛んでいるカットと、左側を飛んでいるカットがあります。
影の具合からママは右バージョンが「行き」で左バージョンが「帰り」かなあぐらいに思っていたのですが。
中攻隊が投弾するとき、直掩戦闘機隊は敵機と交戦しています。
なので、隊形入り乱れて、行きと帰りが逆になることはありなのかなあ・・・・と。
なんかますます混乱しただけですが、まあ、今回は、ママの「UI-105号機は林喜重中尉機」を補強する記述でないことだけはたしかだということで。
黙っとこうかとも思ったのですが、良心がとがめたのでいちおう書いておきました。
と期待しながらブログを開いてくれた人が、
「もうええっちゅうねんっ!!」
と叫んでいるのが聞こえてきそうな今日この頃。
すいませんが、今日も戦闘機隊の話です。
夕方か夜にでもスイミングの背泳ぎ認定の結果を書きますので、ちょっとお待ちを・・・・。
従来、西澤廣義上飛曹機と言われてきたUI-105号機について、先日、妄想てんこ盛りで「林喜重中尉機」と断定してしまったママですが。
その後、重大な情報を発見しました。
今日はその件に関する報告です。
(でも、ママにとって不都合な情報なので、本音のところは握りつぶしてしまいたいっ、読まなかったことにしてしまいたいっ)
大野竹好中尉(兵68期)の手記に、5月14日、オロ湾攻撃についていった際の詳細な記述がありました(先に読んどけ、っちゅう話ですが)。
『隊長、向井大尉は9機を率いて中攻隊の左上方、一分隊長・木村大尉は6機を率いて中攻隊の前に、二分隊長・鴛渕中尉、三分隊長たる私、四分隊長・大宅中尉は各6機を率いて中攻隊の左に、後左上方に、後右上方にぴたりと隊形を整えた』
重複しますが、もう一度、あの日の編制表を示しておきます(階級略)。
大野中尉の解説(中攻隊との位置関係)を交えて。
隊長直率9機・・・・左上方
向井一郎
坂上忠治
八尋俊一
磯崎千利
山本末廣
中西 貢
田中三一郎
松吉 節
小竹高吉
第一分隊6機・・・・前方
木村 章
遠藤桝秋
小西信雄
橋本光輝
中山義一
塚本秀夫
第二分隊6機・・・・左
鴛渕 孝
西澤廣義
関口栄次
香下 孝
四宮与三郎
安藤宇一郎
第三分隊6機・・・・後左上方
大野竹好
米田 忠
松本勝次郎
林 喜重
辻岡 保(引き返す)
増田勘一
第四分隊6機・・・・後右上方
大宅秀平
山崎市郎平
池田市次
近藤 任
石崎博次
直島喜平
↑こんな感じでしょうか?第二、第三、第四分隊の中攻隊との位置関係、これでよいのでしょうか。大野中尉の文章からはそうとしか読めないのですが。
これは、中攻隊が爆撃進路に入るときの描写です。
目的地に着くまでの間、どのような隊形で飛んでいたのかまでは書いてありません。まあ、でも、爆撃進路に入るからといって左にいた中隊が右行ったり、前にいた中隊が一番後まで下がったり、ということは考えにくいので、途中もこれと似たような隊形で飛んでいたのかな、と思います。
となると、吉田一さんの便乗した中攻の右側を飛んでいる105号機は大宅中隊6機のうちの誰かってこと?
いや、そんなことはない。
105号機のちょっと後上方に3機小隊が1つともう1小隊の1機の翼が見えています。これが大宅中隊ではないのかな。
(このうちの1機が格子柄迷彩機)
吉田さんの写真から判断すると、吉田さんがあの105号機を撮影したとき、ほぼ真横の右側に2機1小隊(105号機と109号機)、ちょっと後上方に3機ずつ2小隊いるのでは?
それだと大野中尉の記述とは合わないような気も・・・・。
うーん???
この前も書きましたが、105号機は中攻の右を飛んでいるカットと、左側を飛んでいるカットがあります。
影の具合からママは右バージョンが「行き」で左バージョンが「帰り」かなあぐらいに思っていたのですが。
中攻隊が投弾するとき、直掩戦闘機隊は敵機と交戦しています。
なので、隊形入り乱れて、行きと帰りが逆になることはありなのかなあ・・・・と。
なんかますます混乱しただけですが、まあ、今回は、ママの「UI-105号機は林喜重中尉機」を補強する記述でないことだけはたしかだということで。
黙っとこうかとも思ったのですが、良心がとがめたのでいちおう書いておきました。
