ただいま無事帰投!∠(-.-) ― 2009年01月18日 13時03分45秒

ママ上飛曹、春海飛長、ただいま、無事、帰投いたしましたっ!
ただし、任務遂行に当たって、とんでもない困難が待ちかまえておりました。
「搭乗員の集い」の話を忘れないうちに書きたいのですが、その前に、どうしても書きたい、ママの身に起こった悲惨な出来事・・・・。
ママ、クローゼットで見つけた見覚えのないムチムチタイトスカートを無理矢理着ていったことは、前回書きましたね。
これに関しては、
「もしかしたら、途中でホックがブチッ(゜_゜)、とか、ファスナーがブチッ(゜_゜)、とか、起こりうるかも知れない」
と想定はしていました。
まあ、でも、万が一、そうなっても、上着で隠れているから、まわりには気づかれないはず。そうタカをくくって家を出ました。
↑一度味を占めてしまった特急のデラックスシート。
前回はアーバン○イナーというタイプの特急だったのですが、今回はいつも近所の踏切で指をくわえて見ているだけだった伊勢志○ライナー。
アーバンラ○ナーの上を行くかっこいい特急です。
これのデラックスシートを指定して、さあ、出撃だっ!
デラックスシートは最前方の車両。すぐ前が運転席で、そこがガラス張りの展望デッキ仕様に。
せっかく春海の座席もとったのに、春海はほとんど展望デッキに行って外を見ていました。見るほどの風景ではないのだけれど。
異変が起こったのは、弟の家に向かう途中の電車の中。
「あれ?」
足元に違和感を感じてふと見ると、履いてきたお気に入りのブーツの右足、ソールの内側がちょっとぺこっとはがれていました。
やばい。海軍さんの身だしなみは靴にまで及ぶのに・・・・。
こんなこんな靴では行けない・・・・。
どこかで新しい靴を買うか、それとも、セメダインでも買って、はがれた部分をくっつけるか・・・・。
そのうち、動いてもいないのにソールの内側から白い粉みたいなのがボロッと。
げげっ! これはセメダインではどうしようもない。やっぱり買おう。
春海に、
「ママー、買うなら安いのにしときや。うちは貧乏やねんから」
と釘を刺されました。
「へへえっーーーー!! 了解ですだあ!」
乗換駅で、春海1人を支線の電車に乗せました。
そのとき、ホームをあっちのホームからこっちのホームと往復しただけで右足ソールの内側が剥離!
「歩いたら危険っ!」
という状態に。
でも、歩かないと会場に到着できないよー(>_<)
今度は、いままで何ともなかった左足のソール内側まではがれてきました。
両足ともびっこを引いている様な状態で何とか会場最寄り駅まで到着。
「新しい靴を入手しなければっ!」
ふっと見れば、駅の南口にでっかいショッピングセンターができているではありませんか!
「よし、あそこで靴を入手っ!」
改札を出て歩き始めた途端、とうとう右足ソールの底の4分の1ほどがガバッと取れてしまいました。
恥ずかしいのを我慢してそれを拾い上げ、慎重にショッピングセンターを目指しました。
思ったより遠かったんですよ~。
でも。途中、動く歩道が設置されていて、涙が出るほどありがたかったです。
「歩かなくても近づけているっ!」
でも、動く歩道のない部分、やっぱり自分で歩かなければなりません。
(あ・・・・今度は左のかかとが取れたな・・・・、あ・・・・今度は右の土踏まずのあたりが・・・・)
もう、見るのもおそろしいっちゅう状態に。
(だれも、ママの足元なんか見ていない・・・・見ていない・・・・)
と自己暗示をかけないと1歩も歩けない!
満身創痍でやっとショッピングセンターにたどり着き、そこで新しい靴を購入し、お気に入りだったブーツとはお別れしてきました(T_T)。
それにしても、まさか、ブーツが分解してしまうとはつゆほども思っていませんでした。
たぶん、昨日、会場におられた方で、ママがどんな靴を履いていたかなんて、見ていた人は1人もおられないと思いますが、それにしても、会場に着く前からこれかよー、と鬱々としてしまいました。
でも、会はとっても有意義でしたよっ!!
続きはぼちぼち書きます。
とっておき、垂涎モノのホリブン情報(別にどなたもお待ちかねではないでしょうが)もゲットしましたっ!\(^_^)/ただし、公開するかどうかはよく考えてからにします(という種類の情報です)。
ただし、任務遂行に当たって、とんでもない困難が待ちかまえておりました。
「搭乗員の集い」の話を忘れないうちに書きたいのですが、その前に、どうしても書きたい、ママの身に起こった悲惨な出来事・・・・。
ママ、クローゼットで見つけた見覚えのないムチムチタイトスカートを無理矢理着ていったことは、前回書きましたね。
これに関しては、
「もしかしたら、途中でホックがブチッ(゜_゜)、とか、ファスナーがブチッ(゜_゜)、とか、起こりうるかも知れない」
と想定はしていました。
まあ、でも、万が一、そうなっても、上着で隠れているから、まわりには気づかれないはず。そうタカをくくって家を出ました。
↑一度味を占めてしまった特急のデラックスシート。
前回はアーバン○イナーというタイプの特急だったのですが、今回はいつも近所の踏切で指をくわえて見ているだけだった伊勢志○ライナー。
アーバンラ○ナーの上を行くかっこいい特急です。
これのデラックスシートを指定して、さあ、出撃だっ!
デラックスシートは最前方の車両。すぐ前が運転席で、そこがガラス張りの展望デッキ仕様に。
せっかく春海の座席もとったのに、春海はほとんど展望デッキに行って外を見ていました。見るほどの風景ではないのだけれど。
異変が起こったのは、弟の家に向かう途中の電車の中。
「あれ?」
足元に違和感を感じてふと見ると、履いてきたお気に入りのブーツの右足、ソールの内側がちょっとぺこっとはがれていました。
やばい。海軍さんの身だしなみは靴にまで及ぶのに・・・・。
こんなこんな靴では行けない・・・・。
どこかで新しい靴を買うか、それとも、セメダインでも買って、はがれた部分をくっつけるか・・・・。
そのうち、動いてもいないのにソールの内側から白い粉みたいなのがボロッと。
げげっ! これはセメダインではどうしようもない。やっぱり買おう。
春海に、
「ママー、買うなら安いのにしときや。うちは貧乏やねんから」
と釘を刺されました。
「へへえっーーーー!! 了解ですだあ!」
乗換駅で、春海1人を支線の電車に乗せました。
そのとき、ホームをあっちのホームからこっちのホームと往復しただけで右足ソールの内側が剥離!
「歩いたら危険っ!」
という状態に。
でも、歩かないと会場に到着できないよー(>_<)
今度は、いままで何ともなかった左足のソール内側まではがれてきました。
両足ともびっこを引いている様な状態で何とか会場最寄り駅まで到着。
「新しい靴を入手しなければっ!」
ふっと見れば、駅の南口にでっかいショッピングセンターができているではありませんか!
「よし、あそこで靴を入手っ!」
改札を出て歩き始めた途端、とうとう右足ソールの底の4分の1ほどがガバッと取れてしまいました。
恥ずかしいのを我慢してそれを拾い上げ、慎重にショッピングセンターを目指しました。
思ったより遠かったんですよ~。
でも。途中、動く歩道が設置されていて、涙が出るほどありがたかったです。
「歩かなくても近づけているっ!」
でも、動く歩道のない部分、やっぱり自分で歩かなければなりません。
(あ・・・・今度は左のかかとが取れたな・・・・、あ・・・・今度は右の土踏まずのあたりが・・・・)
もう、見るのもおそろしいっちゅう状態に。
(だれも、ママの足元なんか見ていない・・・・見ていない・・・・)
と自己暗示をかけないと1歩も歩けない!
満身創痍でやっとショッピングセンターにたどり着き、そこで新しい靴を購入し、お気に入りだったブーツとはお別れしてきました(T_T)。
それにしても、まさか、ブーツが分解してしまうとはつゆほども思っていませんでした。
たぶん、昨日、会場におられた方で、ママがどんな靴を履いていたかなんて、見ていた人は1人もおられないと思いますが、それにしても、会場に着く前からこれかよー、と鬱々としてしまいました。
でも、会はとっても有意義でしたよっ!!
続きはぼちぼち書きます。
とっておき、垂涎モノのホリブン情報(別にどなたもお待ちかねではないでしょうが)もゲットしましたっ!\(^_^)/ただし、公開するかどうかはよく考えてからにします(という種類の情報です)。
新年会 ― 2009年01月18日 19時13分06秒
昨日の戦果!!
・ホリブンの軍務以外の重要情報入手!(公開するかどうか熟考中)
・以前から話をおうかがいしたかった大村さん(兵72期)とお会いでき、お話をしてきました!
・前回話しかけられなかった戦闘701のO上飛曹とお話ができ、岡野飛曹長(台南空、当時3飛曹)の写真の真偽について確認が取れました!
・戦闘301の集合写真に関して、K上飛曹から氏名を特定していただきました!(実はこれだけでももうお腹いっぱい状態(^O^))
・M分隊士と2人きりになれました、感激です~(T_T)。(←チョー勘違い「戦果」です)
さて、どの話から書こうかなー。
どれもサクサク書いてしまわないと、「ママは昨日のことすら覚えていない」と春海に言われるような人間ですから。
メモをとっている話や、ホリブン情報(メモもとれないほど”強烈”だったのです!)はたぶん、1日2日で忘れないと思うので、メモ無しの話からいきましょうか。
じゃあ、「大村さん」!!
大村さん、以前、同期生の伊藤さんからご紹介していただいて、手紙を出したことがあります。
ご丁寧な返事をいただき、おもしろい情報を教えてもらいました。書きましたっけ?
前回、この会合に出た時、名簿をもらったのですが、会員に名前があったにもかかわらず、そのときは欠席されていました。
出席されていた方が、
「この会の海兵も、もう、出てくるのは74期が一番上」
というようなことを言われていたので、
(ああ・・・・大村さんはもう、この会には参加されていないんだな・・・・)
と諦めていました。
ところが、昨日行ったら、出席者名簿に大村さんのお名前が・・・・。
え? 来られているのか?
どこだ!?
あそこに違いない、と思って見た場所(軍艦旗真下の椅子席中央)にはM分隊士がでーん! その付近に、大村さんらしき方(なにわ会の会報で小さな写真を見たことがあります)を探したのですが、わかりませんでした。
会場の搭乗員さんたちのお顔をずらっと見てみても、どの方かわからない・・・・。
(ママ、早めに行くつもりにしていたのに、とんだトラブルに遭遇して会場に着いたのは開始15分ぐらい前でした。もう、ほとんどの方が来られていました。さすが「5分前」です)
受付をされていた方に、
「大村さん、来られているのですか?」
と尋ねたら、
「あそこに来られています」
とすぐに教えてもらえました。
軍艦旗真下の席の並びにおられましたが、わたしのところから見たら、人の影になっていて見えにくいところに座っておられました。
「よし、今日は、絶対に大村さんとお話をするぞ!」
新年会の時間になって、軍艦旗掲揚、会長のご挨拶などあり、自由歓談の時間になるのを待ち、大村さんに接近。
「伊藤さんに紹介していただいて、手紙を出したことがあるんですが・・・・」
と言っただけですぐに思い出していただけました。
コレスの加藤さんが手記に、大村さんのことを「温厚な大村君」と書いておられたと思うのですが、戦闘機乗りのイメージとはほど遠いやさしそうな、ふわふわした話し方をされる方でした。
海兵を出られているので、当時は大きな声でバリバリと姓名の申告なんかもされていたのだと思うのですが、そんなことが想像できないようなやさしそうな感じの方。
加藤さんの手記に、「終戦時、大村君は足を怪我していた」と書かれてあったので、
「戦闘で怪我をされたのですか?」
と尋ねてみました。大村さん、ニコニコされながら、
「落とされたんですよ。撃墜されました(^_^)」
と。
そこら辺のお話をもっと詳しくお伺いしたかったのですが、お食事の途中で声をかけてしまったので、ここは挨拶程度に済ませておいて、あとにしようと、離れました。
で、昨日はもう、それきり大村さんとはお話できませんでした。
搭乗員さん同士で話をされていると、
「久しぶりにつもる話もあるのだろうなあ・・・・」
と思って、声がかけられません。
「よし、お一人になったところを狙って・・・・」
と思うのですが、なかなかお一人になられないんですよね・・・・。
でも、お伺いしたいことは山ほどあるので、次回は41期飛行学生の集合写真や、戦闘701関係のモノを持参して、再アタックしようと決めています。
・ホリブンの軍務以外の重要情報入手!(公開するかどうか熟考中)
・以前から話をおうかがいしたかった大村さん(兵72期)とお会いでき、お話をしてきました!
・前回話しかけられなかった戦闘701のO上飛曹とお話ができ、岡野飛曹長(台南空、当時3飛曹)の写真の真偽について確認が取れました!
・戦闘301の集合写真に関して、K上飛曹から氏名を特定していただきました!(実はこれだけでももうお腹いっぱい状態(^O^))
・M分隊士と2人きりになれました、感激です~(T_T)。(←チョー勘違い「戦果」です)
さて、どの話から書こうかなー。
どれもサクサク書いてしまわないと、「ママは昨日のことすら覚えていない」と春海に言われるような人間ですから。
メモをとっている話や、ホリブン情報(メモもとれないほど”強烈”だったのです!)はたぶん、1日2日で忘れないと思うので、メモ無しの話からいきましょうか。
じゃあ、「大村さん」!!
大村さん、以前、同期生の伊藤さんからご紹介していただいて、手紙を出したことがあります。
ご丁寧な返事をいただき、おもしろい情報を教えてもらいました。書きましたっけ?
前回、この会合に出た時、名簿をもらったのですが、会員に名前があったにもかかわらず、そのときは欠席されていました。
出席されていた方が、
「この会の海兵も、もう、出てくるのは74期が一番上」
というようなことを言われていたので、
(ああ・・・・大村さんはもう、この会には参加されていないんだな・・・・)
と諦めていました。
ところが、昨日行ったら、出席者名簿に大村さんのお名前が・・・・。
え? 来られているのか?
どこだ!?
あそこに違いない、と思って見た場所(軍艦旗真下の椅子席中央)にはM分隊士がでーん! その付近に、大村さんらしき方(なにわ会の会報で小さな写真を見たことがあります)を探したのですが、わかりませんでした。
会場の搭乗員さんたちのお顔をずらっと見てみても、どの方かわからない・・・・。
(ママ、早めに行くつもりにしていたのに、とんだトラブルに遭遇して会場に着いたのは開始15分ぐらい前でした。もう、ほとんどの方が来られていました。さすが「5分前」です)
受付をされていた方に、
「大村さん、来られているのですか?」
と尋ねたら、
「あそこに来られています」
とすぐに教えてもらえました。
軍艦旗真下の席の並びにおられましたが、わたしのところから見たら、人の影になっていて見えにくいところに座っておられました。
「よし、今日は、絶対に大村さんとお話をするぞ!」
新年会の時間になって、軍艦旗掲揚、会長のご挨拶などあり、自由歓談の時間になるのを待ち、大村さんに接近。
「伊藤さんに紹介していただいて、手紙を出したことがあるんですが・・・・」
と言っただけですぐに思い出していただけました。
コレスの加藤さんが手記に、大村さんのことを「温厚な大村君」と書いておられたと思うのですが、戦闘機乗りのイメージとはほど遠いやさしそうな、ふわふわした話し方をされる方でした。
海兵を出られているので、当時は大きな声でバリバリと姓名の申告なんかもされていたのだと思うのですが、そんなことが想像できないようなやさしそうな感じの方。
加藤さんの手記に、「終戦時、大村君は足を怪我していた」と書かれてあったので、
「戦闘で怪我をされたのですか?」
と尋ねてみました。大村さん、ニコニコされながら、
「落とされたんですよ。撃墜されました(^_^)」
と。
そこら辺のお話をもっと詳しくお伺いしたかったのですが、お食事の途中で声をかけてしまったので、ここは挨拶程度に済ませておいて、あとにしようと、離れました。
で、昨日はもう、それきり大村さんとはお話できませんでした。
搭乗員さん同士で話をされていると、
「久しぶりにつもる話もあるのだろうなあ・・・・」
と思って、声がかけられません。
「よし、お一人になったところを狙って・・・・」
と思うのですが、なかなかお一人になられないんですよね・・・・。
でも、お伺いしたいことは山ほどあるので、次回は41期飛行学生の集合写真や、戦闘701関係のモノを持参して、再アタックしようと決めています。
K上飛曹と再会 ― 2009年01月18日 21時47分02秒
半年前の会合では源五郎1番機に率いられ、やっと接近できたヘタレのママ列機ですが、今回はママ単機で搭乗員さんに接近するぞ!と意気込んで会場に乗り込んだのでした。
(いや、実際はブーツ分解事件で身も心もヘロヘロな状態でした)
ママが行った時はもうほとんど揃われているような感じでした。
「K上飛曹はどこにいるかな?」
半年前の会合の時もホリブンや杉田上飛曹関係のことをいろいろ話してくださり、またお手紙でもいろいろ教えてくださり、年賀状もやりとりした仲。ママ、もうすっかり、”お知り合い”のつもりで、K上飛曹のところに挨拶に行きました(会が始まる前の歓談中)。
「Kさん、こんにちは」
「うん?」
わたしを見て、一瞬、きょとんとされました。
ガーン、忘れられている・・・・(・o・)
美女が100人もいる会合ならしかたないですが、前回は3人、今回は4人だけですよ、どーしてお忘れになられているのですか~(T_T)
K上飛曹、記憶力、ものすごいですよ。64年前のことを詳細に覚えられています。
半年前に会ったママを忘れてしまわれたのですか~(T_T)
でも、すぐにわたしがつけていた名札に目を落とし、
「ああ! ああ!」
と思い出してくださり・・・・。
ということは、名前は覚えていたけど、顔は忘れていた、ということ?
たぶん、あれですね。
ママの鳥の巣のような頭を見て、びっくりされたのでは・・・・(^_^;)
やっぱり、パーマなんかかけるんじゃなかった、と・・・・(T_T)
いや~。ママね~、自慢じゃないですが、「どこにでもいる顔」じゃないと思いますよ。
高校生の頃、宮崎市一番の繁華街「1番街」を歩いていたら、見知らぬ人に、
「○○さんのところの△子ちゃんじゃない?」
と声をかけられました。
「はい? そうですが」
こんなおばちゃん、知らんがな。
わたしが警戒しているのを悟り、おばちゃん、自己紹介してくれました。聞くところによると、ママが小学校2年まで住んでいた佐土原の人で、父親の知り合いらしいです。つまり、その人がママを見たのは小学校2年以前の話らしいのです。
えーっと、それは、ママが小2から高校生まで、ほとんど同じ顔で、しかも、そのおばちゃんの記憶に強烈に残っていたということ?
なんで、宮崎一の繁華街でママを見分けられるんや!?
(ちなみにママ、そんなに父親には似ていないと思います)
ママ、ここにも書いたと思いますが、近所で知らない人によく挨拶されます。
自転車の後ろに子供シートつけている人が多いので、たぶん、春海の友だちのお母さんだと思うのですが・・・・。
向こうはママのことを知っているようなのですが、ママは挨拶してくれる人が誰だかわかんないんですよねー。
というわけで、ママがその人のことを忘れることはあっても、相手はママのことは忘れないだろう、と勝手に思っていました。
爆発頭のせいだとは思うのですが、Kさんに忘れられていてショックでしたー(T_T)
(いや、実際はブーツ分解事件で身も心もヘロヘロな状態でした)
ママが行った時はもうほとんど揃われているような感じでした。
「K上飛曹はどこにいるかな?」
半年前の会合の時もホリブンや杉田上飛曹関係のことをいろいろ話してくださり、またお手紙でもいろいろ教えてくださり、年賀状もやりとりした仲。ママ、もうすっかり、”お知り合い”のつもりで、K上飛曹のところに挨拶に行きました(会が始まる前の歓談中)。
「Kさん、こんにちは」
「うん?」
わたしを見て、一瞬、きょとんとされました。
ガーン、忘れられている・・・・(・o・)
美女が100人もいる会合ならしかたないですが、前回は3人、今回は4人だけですよ、どーしてお忘れになられているのですか~(T_T)
K上飛曹、記憶力、ものすごいですよ。64年前のことを詳細に覚えられています。
半年前に会ったママを忘れてしまわれたのですか~(T_T)
でも、すぐにわたしがつけていた名札に目を落とし、
「ああ! ああ!」
と思い出してくださり・・・・。
ということは、名前は覚えていたけど、顔は忘れていた、ということ?
たぶん、あれですね。
ママの鳥の巣のような頭を見て、びっくりされたのでは・・・・(^_^;)
やっぱり、パーマなんかかけるんじゃなかった、と・・・・(T_T)
いや~。ママね~、自慢じゃないですが、「どこにでもいる顔」じゃないと思いますよ。
高校生の頃、宮崎市一番の繁華街「1番街」を歩いていたら、見知らぬ人に、
「○○さんのところの△子ちゃんじゃない?」
と声をかけられました。
「はい? そうですが」
こんなおばちゃん、知らんがな。
わたしが警戒しているのを悟り、おばちゃん、自己紹介してくれました。聞くところによると、ママが小学校2年まで住んでいた佐土原の人で、父親の知り合いらしいです。つまり、その人がママを見たのは小学校2年以前の話らしいのです。
えーっと、それは、ママが小2から高校生まで、ほとんど同じ顔で、しかも、そのおばちゃんの記憶に強烈に残っていたということ?
なんで、宮崎一の繁華街でママを見分けられるんや!?
(ちなみにママ、そんなに父親には似ていないと思います)
ママ、ここにも書いたと思いますが、近所で知らない人によく挨拶されます。
自転車の後ろに子供シートつけている人が多いので、たぶん、春海の友だちのお母さんだと思うのですが・・・・。
向こうはママのことを知っているようなのですが、ママは挨拶してくれる人が誰だかわかんないんですよねー。
というわけで、ママがその人のことを忘れることはあっても、相手はママのことは忘れないだろう、と勝手に思っていました。
爆発頭のせいだとは思うのですが、Kさんに忘れられていてショックでしたー(T_T)