お気に入りのカップでコーヒー飲みたくなった ― 2009年01月13日 08時39分16秒

連休明け、なぜかママは早朝から一仕事済ませ、コーヒーブレイク中。
井伏鱒二さんの書簡を読んでいたら、なぜか無性に「お気に入りのカップで」コーヒーが飲みたくなり、棚から引っ張り出してきて、ほっこり(^。^)。
「棚に入れっぱなしなんて、全然お気に入りちゃうやん」
と突っ込まないでね(^o^)。
「お気に入り」は「お気に入り」なんです。
ただし、「愛用」はしていません。
割れたら大変だから!!
このカップ、引き出物に入っていた、とか、陶芸市で5セット2000円だった、とか、そんなカップではございません。
清水焼作家の藤平さんという人が作ったカップで、個展で見てこの色に惹かれて購入したものです。
ペアで1万数千円・・・・(@_@)
ママ、ふだん、↑こういうものの買い方はしません。
これは特別です。
ママなら一口で飲める程度の量しか入らない小振りのコーヒーカップで、形は特別変わったものではありません。フツーのコーヒーカップの形です。
色がとっても好きなのです。
地の色はちょっと草色がかった灰色。皿の縁やカップの縁は藍色。
釉薬の厚い部分にひびが入って、そこが緑色にキラキラしているのがとってもお気に入りです。
これとお揃いの小鉢もあるのですが、それもほとんど秘蔵状態。
よっぽど、心を刺激されるような事件があるか、逸品を手に入れた時ぐらいしか使いません。
今回は、「あれで飲みたい」と思わせるようなコーヒーが手に入ったというわけではなく、ただ単に、井伏さんの手紙を読んでいて、なんか、無性に、お気に入りのコーヒーカップで飲みたい気分になって出してきました。
内容物はインスタントコーヒーです(^_^;)。
でも、味まで違うような気がする・・・・。
井伏鱒二さんの書簡を読んでいたら、なぜか無性に「お気に入りのカップで」コーヒーが飲みたくなり、棚から引っ張り出してきて、ほっこり(^。^)。
「棚に入れっぱなしなんて、全然お気に入りちゃうやん」
と突っ込まないでね(^o^)。
「お気に入り」は「お気に入り」なんです。
ただし、「愛用」はしていません。
割れたら大変だから!!
このカップ、引き出物に入っていた、とか、陶芸市で5セット2000円だった、とか、そんなカップではございません。
清水焼作家の藤平さんという人が作ったカップで、個展で見てこの色に惹かれて購入したものです。
ペアで1万数千円・・・・(@_@)
ママ、ふだん、↑こういうものの買い方はしません。
これは特別です。
ママなら一口で飲める程度の量しか入らない小振りのコーヒーカップで、形は特別変わったものではありません。フツーのコーヒーカップの形です。
色がとっても好きなのです。
地の色はちょっと草色がかった灰色。皿の縁やカップの縁は藍色。
釉薬の厚い部分にひびが入って、そこが緑色にキラキラしているのがとってもお気に入りです。
これとお揃いの小鉢もあるのですが、それもほとんど秘蔵状態。
よっぽど、心を刺激されるような事件があるか、逸品を手に入れた時ぐらいしか使いません。
今回は、「あれで飲みたい」と思わせるようなコーヒーが手に入ったというわけではなく、ただ単に、井伏さんの手紙を読んでいて、なんか、無性に、お気に入りのコーヒーカップで飲みたい気分になって出してきました。
内容物はインスタントコーヒーです(^_^;)。
でも、味まで違うような気がする・・・・。
西澤1飛曹の神業操縦 ― 2009年01月13日 13時50分01秒

西澤さんの性格ばかり書いて、戦闘機乗りとしてどうだったかは後回しになっている感のあるママのブログ。
本当は西澤さんが「気の重いヤツだった」とか「狷介だった」とか「皮肉屋だった」とか、「泳げなかった」とか「マムシの黒焼きかじっていた」とか、そんなことが言いたいわけでなく。
西澤さんがいかにすばらしい零戦乗りだったか、いつかここでそれを大いに語りたいと思っていました。
今日から語り始めることにしました。
一度に書くと、また、
「ママ、海軍のことになると長すぎ(-.-)」
とブー垂れるやつがいるので(約1名)、何回かに分けて書くことにします。
1回目の今日は、台南空時代の西澤さんの神業操縦を偲ばせるお話。
以下のお話は、『攻防 ラバウル航空隊 発進篇』森史朗 に出てくるお話ですが、最初にお断りしておきますが、「西澤さんである」とは断言できない話です。
米航空史家マーチン・ケーディン『ZERO FIGHTER』の中に出てくる、爆撃隊の操縦士の証言らしいのですが・・・・。
『われわれが、ニューギニアの北東海岸から右に旋回しようとしていたとき、再びあの零戦が突進してくるのを見つけた。彼は右横方向から浅い急降下で近づいてきた。すごい速度だった。旋回しているかと思うと、突然、おどろくべき速度でうなりを立てて、われわれの上空にやってくる。手をのばせば、とどきそうな距離まで肉薄してきた。彼はほんとうのプロだ。弾薬を浪費するようなことはしなかった。すべるように目の前に現れた。横滑りをしているのではない、全速力を出しながら、滑り込んでくるのだ。いや、まったくのベテランだった。
新米はたいてい遠くから弾丸をまき散らす。だがこのプロは、近接射撃に最良のチャンスを狙っていた。しかし、こちらの出方を読んで、接近できないと諦め逃げようとした。
私の上部砲塔の射手ジョンストンがこの零戦を狙っていた。ジョンストンは、零戦が突然パッと上に下に動いたと思うと狂ったように捻りまわるので、機関砲で追うことができなかったと報告した。』
森さんはこの凄腕零戦搭乗員のことを「おそらくは西澤1飛曹であったかもしれない」と書いていますが、前後を読んでみても、西澤さんである証拠は何もなさそうです。
この話は、17年5月28日にラエに来襲したB26を笹井中尉や坂井さんが追っ払った話の続きに出てくるので、いままで、ずっと、そのときの話だと思っていたのですが、自分で調べてみると、西澤さんはこの日、中島飛行隊長とともにモレスビー攻撃に出撃していて、B26邀撃には参加していませんでした。
この証言をした人がいつ凄腕零戦に襲われたのか、書かれていないのでわからないのですが、もし、28日だとしたら、モレスビー攻撃に行かずに基地に残って邀撃に上がったうちの誰か、ということになります。
28日以外のことだとしても、当時、台南空には坂井さんや太田さんなど、技倆的にも、しつこさにも定評のある搭乗員がわんさかいたので、西澤さんだとは限りません。
まあ、でも、西澤さんの戦いっぷりを想像するにはもってこいの描写。
文中「逃げようとした」という部分が妙に引っかかります。「逃げようとした」ではなく、「出直そうとした」ってことで。
どっちでもいいですが、「ムリはしない」というところが老練な感じがしますねー。
森さんじゃなくても、「西澤さんに違いない」と思いたくなるような操縦ぶりです。
前に、西澤さんと練戦乗りたい♪なんてアホなことを書きましたが、↑こんな操縦をされたら、振り落とされるか、酔って目が回って気絶するか、とにかく、無事に地上に戻れそうにありません。
本当は西澤さんが「気の重いヤツだった」とか「狷介だった」とか「皮肉屋だった」とか、「泳げなかった」とか「マムシの黒焼きかじっていた」とか、そんなことが言いたいわけでなく。
西澤さんがいかにすばらしい零戦乗りだったか、いつかここでそれを大いに語りたいと思っていました。
今日から語り始めることにしました。
一度に書くと、また、
「ママ、海軍のことになると長すぎ(-.-)」
とブー垂れるやつがいるので(約1名)、何回かに分けて書くことにします。
1回目の今日は、台南空時代の西澤さんの神業操縦を偲ばせるお話。
以下のお話は、『攻防 ラバウル航空隊 発進篇』森史朗 に出てくるお話ですが、最初にお断りしておきますが、「西澤さんである」とは断言できない話です。
米航空史家マーチン・ケーディン『ZERO FIGHTER』の中に出てくる、爆撃隊の操縦士の証言らしいのですが・・・・。
『われわれが、ニューギニアの北東海岸から右に旋回しようとしていたとき、再びあの零戦が突進してくるのを見つけた。彼は右横方向から浅い急降下で近づいてきた。すごい速度だった。旋回しているかと思うと、突然、おどろくべき速度でうなりを立てて、われわれの上空にやってくる。手をのばせば、とどきそうな距離まで肉薄してきた。彼はほんとうのプロだ。弾薬を浪費するようなことはしなかった。すべるように目の前に現れた。横滑りをしているのではない、全速力を出しながら、滑り込んでくるのだ。いや、まったくのベテランだった。
新米はたいてい遠くから弾丸をまき散らす。だがこのプロは、近接射撃に最良のチャンスを狙っていた。しかし、こちらの出方を読んで、接近できないと諦め逃げようとした。
私の上部砲塔の射手ジョンストンがこの零戦を狙っていた。ジョンストンは、零戦が突然パッと上に下に動いたと思うと狂ったように捻りまわるので、機関砲で追うことができなかったと報告した。』
森さんはこの凄腕零戦搭乗員のことを「おそらくは西澤1飛曹であったかもしれない」と書いていますが、前後を読んでみても、西澤さんである証拠は何もなさそうです。
この話は、17年5月28日にラエに来襲したB26を笹井中尉や坂井さんが追っ払った話の続きに出てくるので、いままで、ずっと、そのときの話だと思っていたのですが、自分で調べてみると、西澤さんはこの日、中島飛行隊長とともにモレスビー攻撃に出撃していて、B26邀撃には参加していませんでした。
この証言をした人がいつ凄腕零戦に襲われたのか、書かれていないのでわからないのですが、もし、28日だとしたら、モレスビー攻撃に行かずに基地に残って邀撃に上がったうちの誰か、ということになります。
28日以外のことだとしても、当時、台南空には坂井さんや太田さんなど、技倆的にも、しつこさにも定評のある搭乗員がわんさかいたので、西澤さんだとは限りません。
まあ、でも、西澤さんの戦いっぷりを想像するにはもってこいの描写。
文中「逃げようとした」という部分が妙に引っかかります。「逃げようとした」ではなく、「出直そうとした」ってことで。
どっちでもいいですが、「ムリはしない」というところが老練な感じがしますねー。
森さんじゃなくても、「西澤さんに違いない」と思いたくなるような操縦ぶりです。
前に、西澤さんと練戦乗りたい♪なんてアホなことを書きましたが、↑こんな操縦をされたら、振り落とされるか、酔って目が回って気絶するか、とにかく、無事に地上に戻れそうにありません。