Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙9期の場合の「卒業」2018年05月03日 13時18分43秒

さっきアップした「乙7期 飛練」の続きみたいなものです。
(もともと一つの記事として書いていたものを分割しました)



参考までに9期の成績。

かれらも予科練卒業時には操偵別に成績がついています。
操縦の人の予科練卒業時の成績は見たことがないですが、偵察の人の場合は「107人中〇番」という成績がついています。

飛練卒業時は、例えば操縦の人なら戦闘機(大分)「〇/23」、偵察の人なら艦上機・水上機(博多)「42人中〇番」、中攻(大分)「45人中〇番」と書かれています。

ここに人員変遷表を出しているので数えたい、あるいは「23」「42」「45」の顔ぶれが知りたい方はどうぞ。

9期の場合、中練修了時点での成績は誰の履歴にも書かれていなかったです。
中練修了はあくまで飛練途中の通過点であるってことでしょうね。
みな、実用機が終わった時点(特技章付与時点)での成績が書かれていました。

ということはですよ。

各期、予科練修了時が「予科練卒業」であることは問題ないとして、飛練の場合、旧制度の乙8期までは厳密には「卒業」は中練修了(特技章付与)時点で、新制度の乙9期(飛練10期)や乙10期(飛練16期)などは実用機修了(特技章付与)時点ということなのか。
この前、メールでKさんが、旧制度の場合、延長教育(実用機)時代は「練習生」とは呼ばない、延長教育が終わったことも「卒業」とは呼ばない、と言われていたのはこういうことなのか、とやっと理解したのでした。

遅くてスイマセン!( ;∀;)


この前の表に書き足しました(赤)↓

※ブログ10年以上やって初めて大きいまま表を貼りつける方法がわかりました!(・∀・)


9期の「水上機偵察員Aさん」「戦闘機操縦員Bさん」「中攻偵察員Cさん」の予科練卒業から実施部隊に出るまでの履歴を表にしてみました。
実際、ご遺族の方が履歴請求してくださった方々です。

偵察専修生の場合、練習機・鈴鹿から実用機・博多、あるいは大分への異動はただの転勤扱いです。
操縦専修生の練習機・谷田部から実用機・大分への異動も転勤扱いです。
履歴に「卒業」と書かれているのは予科練卒業時と、飛練(実用機)卒業時だけです。

中攻専修生に関しては別に説明します。
中攻偵察専修生たちは飛練(実用機)卒業後に大型機教育を受けてから実施部隊に出ています。上のCさんの履歴には書かれていませんでしたが、特技章(飛行術章)は飛練卒業時(16.10.31)にもらっています。
中攻操縦専修生たちは、飛練中に大型機教育を受けています。中攻操縦に進んだ人の履歴は見たことがないのでどう書かれているかはわかりません。
わたしの想像ですが、たとえば大村で攻撃機の実用機を受けた練習生は所属は大村空のまま16年8月29日~飛練卒業の10月30日まで(←この期間が大型機教育)「木更津航空隊派遣」とか何とか書かれてあるんじゃないかなあ、と思っています。
何回も言いますが、見たことがないので想像ですよ。

こんな感じなんじゃないかと。
松本さんの書簡やその他諸々からの想像です。




ということは、偵察飛練の鈴鹿の「卒アル」。
わたしは「卒アル、卒アル」と呼んでいますが、厳密には卒アルではなく「修了記念アルバム」なんだな。

しかし、本人たちも厳密には区別していなかった様子もうかがえる↓ので、
「卒アル」と呼んでも可、ということで。

鈴鹿の「卒業」式。



ちなみに飛練10期(乙9期)にとっての本当の飛練卒業=実用機修了時点での卒業アルバムというモノは、わたしは見たことがありません。存在するのかどうかもわかりません。

1枚ものはあります。

正真正銘、飛練10期の卒業写真
水上機・艦上機偵察@博多

中攻偵察@大分

中攻操縦@木更津  ※所属はたぶん大村空あるいは大分空のまま

あと、戦闘機操縦の大分での卒業写真もあります。




残念ながら、宇佐で飛練を卒業した「中攻・艦上機偵察の一部の人」「艦爆操縦」「艦攻操縦」の人たちの卒業写真