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むにゅ2017年08月06日 20時07分11秒

今日はカレーをしました。

春海に野菜を食べてもらいたいので、タマネギ、ニンジンだけではなく、ナスやブロッコリーも。


ブロッコリーって、けっこう虫いません?
以前、房の中から数ミリの何かの幼虫が出てきたことがありました。


なので、ちょー気をつけています。
まず、買うときに、外から見て虫がついていないか。
そしてよく洗う。その時点で出てくるかもしれないし。



今日はですね(^^;)
包丁で房に分解しているときに、にょっと出てきたんですよ。
あっちが出てきたというより、包丁で切って房を取り除いたところにうずくまていたんですよ。数センチのでかいのが!
左の中指で思いきり触っちゃいました。

むにゅっと、明らかにブロッコリーと違う感触だったのでじっと見てしまったんですよね。

でっかい幼虫が丸まっていました。



ぎゃあああああああ!!!!<( ̄□ ̄;)>



↑×3か4ぐらい。

これでもかってぐらい叫びました。


叫んだだけでは飽き足らず、台所からリビングに逃走。

10000メートル泳いで疲れ果てて寝ていた春海がママの悲鳴で飛び起き、わけがわからず一緒に、


ぎゃあああああああ!!!!<( ̄□ ̄;)>



ふたりともにパニック。




「どしたん!? どしたん!?」

「ブロッコリーにでっかい幼虫がおった!! 触ってもうたー!!」

「いやー!!。゜゜(´□`。)°゜。」




冗談抜きでマジで寿命が縮みました。

いまだに左の中指にあの虫の感触が残っています。

うわーーーーーん( ;∀;)



幼虫、大嫌いなんですよ。







学生の頃も一度同じようなことがありました。

当時、おんぼろアパートの1階に住んでいました。
壁の薄い、6畳一間の単身者用アパート。
めぞん一刻みたいに、玄関が一つあって、そこで靴を脱いであがるんです。廊下の両側に部屋が並んでいて。


ある日、大学から帰って来て、窓の外に干していた洗濯ものを取りこんだら、洗濯ものにでっかいイモムシがついていたんです。



ぎゃあああああああ!!!!<( ̄□ ̄;)>




叫んだらすぐに隣りのおっちゃんが、


「どうした!? 大丈夫か!? 大丈夫か!?」

と飛んできてくれました。



学生アパートではなく、一般のアパートだったので、夜勤しているおっちゃんとか、正体不明の中年兄弟とか、タクシー運転手の夫婦?とか、いろいろいました。

隣りのおっちゃんはたぶん夜勤ありの工場勤務のおっちゃんで、あのときは昼間に家に居たんじゃないかと思います。

何度かミスドのポイントで集めた食器やバッグをもらったことがあります。
いまも食器棚に入っているんじゃないかな?
名前も知らないおっちゃんでしたけど。


壁が薄くて、隣りの男子大学生と彼女がしている声が聞こえたり、向かいのタクシー運転手夫婦が昼間からしていたり、プライバシーのないひどいアパートだと思っていましたが、幼虫事件のときだけは、

「何かあったら隣のおっちゃんが助けてくれる」

と心を強くしたものでした。




なんか今日は、名前も知らなかったあのおっちゃんのことを思い出したのでした。

台風5号2017年08月07日 07時30分12秒

まともにこっちに来とるんですが(^^;)

現時点でうちの周辺は曇っているだけで、雨も風もありません。
外でセミが鳴いとるんです(暑)


いまは通勤に何の支障もありません。
通勤に使う3つのうち、ひとつの電鉄会社が、(いまは動いているけれど)今後台風の影響で運行取止めになる可能性があります、とサイトに載っけていました。

「行けるけど、帰れない可能性があるわけか・・・・(-_-;)」




朝から職場メールをチェックしているんですが、「休め」メールは来ません(;´Д`)

もしかしたら、警報発令時の対応マニュアルみたいなものをもらっているのかもしれませんが、あるとしても職場のファイルに挟んでしまっている可能性大。



上司にメールで相談したら、警報も時間の問題なので休んでください、とのことでした。








春海も午前中は部活の予定だったのが、起きたら中止連絡が来ていたそうです。
朝ごはんを食べて二度寝しています。



おうち仕事しよう。

乙9期 福島増蔵さん2017年08月07日 15時51分13秒

今日はガ島戦が始まった日です。

ツラギにいた横浜航空隊(飛行艇)はこのとき総員玉砕したと言われています。




この日のことは台南空戦闘機搭乗員だった坂井三郎さんも手記『大空のサムライ』に書かれています。

ラビ攻撃のために出撃しようとしていたとき、

『ところが急に、「出発待て」という命令がとんできた。そして、「みんなもう一度、指揮所へ集まれ」という命令がつづいてきた。

中略

私たち全搭乗員が指揮所に集合するのを待って、中島飛行隊長はいきなり
「きょうのラビ空襲は取りやめだ。新しい目標に向かう」

中略

「なにごとが起こったのでしょうか」と、すぐ傍らにいた中隊長笹井中尉に聞いてみた。
笹井中尉も不安そうな顔をして、「うん」』とうなずくや、すたすたと中島飛行隊長のところへ聞きにいった。その結果、事態は判明した。事は重大である。
「今朝、五時二十分、優勢な敵の攻略部隊が、ソロモン群島の南端ガダルカナル島のルンガに上陸した。同時にツラギにあった浜空(横浜航空隊)の飛行艇(偵察のために配置されてあった)は全滅した。しかも、目下、盛んに敵は上陸中である」
この報を受けて、一同の顔に、さっと緊張がはしった。さっき飛行隊長のいった新たに目標を変更するというのは、そのガダルカナルという島に上がってきた新しい敵の攻略部隊を攻撃に行く中攻隊を掩護して、われわれもいまからガダルカナルへ行くようになったことなのである。

中略

私はこのとき、ふと気がついた。笹井中尉の顔つきだ。ふだんと変わっている。心もち青ざめたような顔色で、歯を食いしばっているような堅い表情をしている。日頃は快活で、豪胆な笹井中尉に似合わぬ顔つきだ。どうもようすが変だ。私は思わず言葉をかけた。
「中隊長、どうしたんですか」
いつもの微笑が、今日は笹井中尉の顔からかえってこなかった。
「うん、じつはね、ツラギの浜空の基地には、俺の兄貴がいたんだよ」
笹井中尉は「いるんだよ」とは言わなかった。「いたんだよ」と言った。その言葉には諦めがあった。姉の婿を、いまは過去形で語っているのだ。ツラギが敵手に陥ちたとすると、飛行艇の指揮官だった彼の義兄・田代義夫少佐も、もはや生きてはいまい。最後まで戦って戦死しただろう。(事実、少佐の戦死は、後日、確認された)
「おれは、きょうはどうしても兄貴の弔い合戦と覚悟した」』

手記には「田代義夫少佐」とか書ているんですが、浜空飛行隊長の田代壮一少佐のことですよね、これ。




『永遠の0』で、宮部さんがガ島出撃を命じられて、
「無理だ、こんな距離では戦えない」
と言って「一人の若い士官」に殴られる――というシーンがありますが、あれが8月7日の朝の台南空指揮所前のシーンに該当するんでしょう。
いろいろ言いたいことはありますが、本題ではないので、今日は書きません。







福島増蔵さん。
東京出身、偵察、飛行艇。

【予科練時代】
氏名入り班写真。14班。


東京行軍。


辻堂演習。


操偵検査。


【飛練時代】
鈴鹿、運動会。


博多、卒業式。



石塚さん(戦後・本間)の手記『予科練の空』に佐世保時代に飛行艇専修10名で撮った写真が掲載されています。
偵察飛練の博多を16年10月末に卒業したあと、10名だけが飛行艇専修生として佐世保でさらに翌年2月まで訓練を続けます。

9期の飛行艇は偵察員だけで10名。
※( )内は所属鎮守府

井上常夫さん(横)
菊地平さん(横)
福島増蔵さん(横)
金成懿さん(横)
石田勝さん(呉)
永田正さん(佐)
斎藤理吉さん(佐)
藤井国男さん(佐)
皆川彰さん(舞)
石塚猛さん(舞)


石塚猛さんは手記に、
『私たち飛行艇専修の十名は、横須賀鎮守府、舞鶴鎮守府管下の六名が横浜航空隊へ、呉鎮守府の一名がトラックの四艦隊司令部へ、佐世保鎮守府の三名が蘭印方面に出動中の東航空隊へそれぞれふりわけられた』
と書かれています。実施部隊の配置先ですね。



つまり、横鎮の井上さん、菊地さん、福島さん、金成さん、舞鎮の石塚さんと皆川さんが浜空発令。

呉鎮の石田さんが四艦隊司令部とか。わたしは把握していません。

佐鎮の永田さん、斎藤さん、藤井さんが「東航空隊」。
永田さんは不明ですが、斎藤さんと藤井さんは「東港航空隊」なので、「東航空隊」は「東港航空隊」のことを指しているのでしょうね。



石塚さんは17年4月の飛行隊再編で14航空隊へ。同じく菊地さんと皆川さんも14空へ。
浜空に残ったのは、福島さん、井上さん、金成さん。

翌月の珊瑚海海戦で井上さんは戦死。

そして、福島さんと金成さんは8月7日の米軍来襲時に行方不明、戦死。




敵部隊「ツラギ」来襲ノ際行方不明




最後の様子はわかりません。





おもいで

「昭和十七年八月七日。敵がガダルカナル逆襲の緒、ツラギに艦隊攻撃をかけ善戦死闘するもついに及ばず司令官以下ドラム缶を積み重ね(全軍の必勝と武運を祈る)の無電を最後に自決せりと聞く。この戦闘において金成、井上など多くの同期生および小野寺、池田氏の八期生また先輩後輩の多くを失う。以後小生は毎夜のごとくガダルカナル、エスピリッツサント報復爆撃単機にて敵駆逐艦二隻を轟沈す。御魂よ安かれ」
※井上さんは珊瑚海海戦で戦死


「終始笑顔を忘れぬ君は時によって損をしたが決して悪びれなかった」


「よく同班になった。佐世保の大型機そして南方ヤルート島の果てまでも。だが君は一足先にソロモンに行った」



17年8月7日   横浜空  ツラギ




※画像は9期生ご遺族ご提供

温度計2017年08月07日 22時01分37秒

またまたエアコンネタです!

しつこくてスイマセン。

うれしいんです!(´▽`)


室温がわからないので、わたしがいつもいる机の横に温度計をつけました。
春海が小学校のころに育てていたトマト栽培セットについていた土の中の温度を測る用の温度計だそうです。
そういえば、きんぎょ水槽用の温度計もありますが、あれで室温を測っても正確に出るのかな?
36℃とか37℃まで測れたっけ?



今日は冷房は入れずに除湿だけしています。


めっちゃ快適です。


文化的な生活を送れるようになって感激しています。




倉庫みたいな部屋で、段ボール箱に卓上扇風機を乗せて、2台のノートパソコンとともに夏を過ごそうとしていたんですよね。
暑苦しすぎ(;´Д`)


エアコンが来るので部屋の掃除をして(←取り付け業者さんを入れるから)、エアコンを動かすのでいままで見たことがないような本棚の上とかテレビの裏とか掃除機で吸ってお掃除ペーパーで拭きました。

そんな部屋にプラズマクラスターの風が吹きそよぐんですよ(*´▽`*)

気持ちいいがね~♪






しかし、気持ちよすぎて昼寝ばっかりしてしまって、おうち仕事が全然進まないのだ、こんなはずじゃなかった(+_+)

9期生の名前2017年08月08日 08時25分29秒

名前の読みに関することです。

たまにこの話題で書いています。
なかなかつきないです。


こういうの、Kさんが詳しくて、あっと驚く海軍搭乗員の名前の読みとかご存知です。
いわゆる難読姓の人がいて、Kさん「これは読めるぞ」と、姓は正しく読んだと。ところが、難読でも何でもない下の名前が変わった読み方をさせていた、とかあるらしいです(^^;)
いつも「名前は奥深い」と唸らされます。



ところで、島田清守さん。
わたしは「きよもり」以外に読みようがないと思って、勝手に「きよもりさん」で読んでいたのですが、ご遺族の方みなさん「きよしさん」と。
「マジかっ!?( ゚Д゚)」
あの時は本当に驚きました。
海軍の資料にも「きよもり」って振ってあるんですよ。
でも先日、本人が書いたと思われる(←筆跡から)公文書的な書類に「きよし」と読みが振ってあるのを見せてもらいましたので、清守さんは「きよしさん」であると。




最近驚いたのは、加村外三さん。
入力するときは「そとぞうさん」で変換していたんですが、「がいぞうさん」説が浮上しました。
島田さんのように、資料にそう書いてあっても実は違う、ってのがあるので、これも正しいかどうかわかりません。


上原信之さん。
「のぶゆきさん」とばかり思っていました。
「のぶしさん」説あり。


山村喜郎さん。
「よしろうさん」と呼んでいたら「きろうさん」という話も・・・・。


金田吉武さん。
「かねださん」だと思っていたら「かなださん」とかとか?
わたし、友だちに金田(かなだ)くんっているんですが、この読み方をするのはかれ一人しか知らないので、この読みはめずらしいんだと勝手に思っていました。出身地も全然違うので、9期の金田さんは疑いもなく「かねださん」だと思っていました。


立井義春さん。
「たていさん」かと思ったら、「たついさん」説。







本当のところはご遺族の方に聞かないとわからないです。



※画像は9期生ご遺族ご提供