乙9期 福島増蔵さん ― 2017年08月07日 15時51分13秒
今日はガ島戦が始まった日です。
ツラギにいた横浜航空隊(飛行艇)はこのとき総員玉砕したと言われています。
この日のことは台南空戦闘機搭乗員だった坂井三郎さんも手記『大空のサムライ』に書かれています。
ラビ攻撃のために出撃しようとしていたとき、
『ところが急に、「出発待て」という命令がとんできた。そして、「みんなもう一度、指揮所へ集まれ」という命令がつづいてきた。
中略
私たち全搭乗員が指揮所に集合するのを待って、中島飛行隊長はいきなり
「きょうのラビ空襲は取りやめだ。新しい目標に向かう」
中略
「なにごとが起こったのでしょうか」と、すぐ傍らにいた中隊長笹井中尉に聞いてみた。
笹井中尉も不安そうな顔をして、「うん」』とうなずくや、すたすたと中島飛行隊長のところへ聞きにいった。その結果、事態は判明した。事は重大である。
「今朝、五時二十分、優勢な敵の攻略部隊が、ソロモン群島の南端ガダルカナル島のルンガに上陸した。同時にツラギにあった浜空(横浜航空隊)の飛行艇(偵察のために配置されてあった)は全滅した。しかも、目下、盛んに敵は上陸中である」
この報を受けて、一同の顔に、さっと緊張がはしった。さっき飛行隊長のいった新たに目標を変更するというのは、そのガダルカナルという島に上がってきた新しい敵の攻略部隊を攻撃に行く中攻隊を掩護して、われわれもいまからガダルカナルへ行くようになったことなのである。
中略
私はこのとき、ふと気がついた。笹井中尉の顔つきだ。ふだんと変わっている。心もち青ざめたような顔色で、歯を食いしばっているような堅い表情をしている。日頃は快活で、豪胆な笹井中尉に似合わぬ顔つきだ。どうもようすが変だ。私は思わず言葉をかけた。
「中隊長、どうしたんですか」
いつもの微笑が、今日は笹井中尉の顔からかえってこなかった。
「うん、じつはね、ツラギの浜空の基地には、俺の兄貴がいたんだよ」
笹井中尉は「いるんだよ」とは言わなかった。「いたんだよ」と言った。その言葉には諦めがあった。姉の婿を、いまは過去形で語っているのだ。ツラギが敵手に陥ちたとすると、飛行艇の指揮官だった彼の義兄・田代義夫少佐も、もはや生きてはいまい。最後まで戦って戦死しただろう。(事実、少佐の戦死は、後日、確認された)
「おれは、きょうはどうしても兄貴の弔い合戦と覚悟した」』
手記には「田代義夫少佐」とか書ているんですが、浜空飛行隊長の田代壮一少佐のことですよね、これ。
『永遠の0』で、宮部さんがガ島出撃を命じられて、
「無理だ、こんな距離では戦えない」
と言って「一人の若い士官」に殴られる――というシーンがありますが、あれが8月7日の朝の台南空指揮所前のシーンに該当するんでしょう。
いろいろ言いたいことはありますが、本題ではないので、今日は書きません。
福島増蔵さん。
東京出身、偵察、飛行艇。
【予科練時代】
ツラギにいた横浜航空隊(飛行艇)はこのとき総員玉砕したと言われています。
この日のことは台南空戦闘機搭乗員だった坂井三郎さんも手記『大空のサムライ』に書かれています。
ラビ攻撃のために出撃しようとしていたとき、
『ところが急に、「出発待て」という命令がとんできた。そして、「みんなもう一度、指揮所へ集まれ」という命令がつづいてきた。
中略
私たち全搭乗員が指揮所に集合するのを待って、中島飛行隊長はいきなり
「きょうのラビ空襲は取りやめだ。新しい目標に向かう」
中略
「なにごとが起こったのでしょうか」と、すぐ傍らにいた中隊長笹井中尉に聞いてみた。
笹井中尉も不安そうな顔をして、「うん」』とうなずくや、すたすたと中島飛行隊長のところへ聞きにいった。その結果、事態は判明した。事は重大である。
「今朝、五時二十分、優勢な敵の攻略部隊が、ソロモン群島の南端ガダルカナル島のルンガに上陸した。同時にツラギにあった浜空(横浜航空隊)の飛行艇(偵察のために配置されてあった)は全滅した。しかも、目下、盛んに敵は上陸中である」
この報を受けて、一同の顔に、さっと緊張がはしった。さっき飛行隊長のいった新たに目標を変更するというのは、そのガダルカナルという島に上がってきた新しい敵の攻略部隊を攻撃に行く中攻隊を掩護して、われわれもいまからガダルカナルへ行くようになったことなのである。
中略
私はこのとき、ふと気がついた。笹井中尉の顔つきだ。ふだんと変わっている。心もち青ざめたような顔色で、歯を食いしばっているような堅い表情をしている。日頃は快活で、豪胆な笹井中尉に似合わぬ顔つきだ。どうもようすが変だ。私は思わず言葉をかけた。
「中隊長、どうしたんですか」
いつもの微笑が、今日は笹井中尉の顔からかえってこなかった。
「うん、じつはね、ツラギの浜空の基地には、俺の兄貴がいたんだよ」
笹井中尉は「いるんだよ」とは言わなかった。「いたんだよ」と言った。その言葉には諦めがあった。姉の婿を、いまは過去形で語っているのだ。ツラギが敵手に陥ちたとすると、飛行艇の指揮官だった彼の義兄・田代義夫少佐も、もはや生きてはいまい。最後まで戦って戦死しただろう。(事実、少佐の戦死は、後日、確認された)
「おれは、きょうはどうしても兄貴の弔い合戦と覚悟した」』
手記には「田代義夫少佐」とか書ているんですが、浜空飛行隊長の田代壮一少佐のことですよね、これ。
『永遠の0』で、宮部さんがガ島出撃を命じられて、
「無理だ、こんな距離では戦えない」
と言って「一人の若い士官」に殴られる――というシーンがありますが、あれが8月7日の朝の台南空指揮所前のシーンに該当するんでしょう。
いろいろ言いたいことはありますが、本題ではないので、今日は書きません。
福島増蔵さん。
東京出身、偵察、飛行艇。
【予科練時代】

氏名入り班写真。14班。

東京行軍。

辻堂演習。

操偵検査。
【飛練時代】
【飛練時代】

鈴鹿、運動会。

博多、卒業式。
石塚さん(戦後・本間)の手記『予科練の空』に佐世保時代に飛行艇専修10名で撮った写真が掲載されています。
偵察飛練の博多を16年10月末に卒業したあと、10名だけが飛行艇専修生として佐世保でさらに翌年2月まで訓練を続けます。
9期の飛行艇は偵察員だけで10名。
※( )内は所属鎮守府
井上常夫さん(横)
菊地平さん(横)
福島増蔵さん(横)
金成懿さん(横)
石田勝さん(呉)
永田正さん(佐)
斎藤理吉さん(佐)
藤井国男さん(佐)
皆川彰さん(舞)
石塚猛さん(舞)
石塚猛さんは手記に、
『私たち飛行艇専修の十名は、横須賀鎮守府、舞鶴鎮守府管下の六名が横浜航空隊へ、呉鎮守府の一名がトラックの四艦隊司令部へ、佐世保鎮守府の三名が蘭印方面に出動中の東航空隊へそれぞれふりわけられた』
と書かれています。実施部隊の配置先ですね。
つまり、横鎮の井上さん、菊地さん、福島さん、金成さん、舞鎮の石塚さんと皆川さんが浜空発令。
呉鎮の石田さんが四艦隊司令部とか。わたしは把握していません。
佐鎮の永田さん、斎藤さん、藤井さんが「東航空隊」。
永田さんは不明ですが、斎藤さんと藤井さんは「東港航空隊」なので、「東航空隊」は「東港航空隊」のことを指しているのでしょうね。
石塚さんは17年4月の飛行隊再編で14航空隊へ。同じく菊地さんと皆川さんも14空へ。
浜空に残ったのは、福島さん、井上さん、金成さん。
翌月の珊瑚海海戦で井上さんは戦死。
そして、福島さんと金成さんは8月7日の米軍来襲時に行方不明、戦死。
敵部隊「ツラギ」来襲ノ際行方不明
最後の様子はわかりません。
おもいで
「昭和十七年八月七日。敵がガダルカナル逆襲の緒、ツラギに艦隊攻撃をかけ善戦死闘するもついに及ばず司令官以下ドラム缶を積み重ね(全軍の必勝と武運を祈る)の無電を最後に自決せりと聞く。この戦闘において金成、井上など多くの同期生および小野寺、池田氏の八期生また先輩後輩の多くを失う。以後小生は毎夜のごとくガダルカナル、エスピリッツサント報復爆撃単機にて敵駆逐艦二隻を轟沈す。御魂よ安かれ」
※井上さんは珊瑚海海戦で戦死
17年8月7日 横浜空 ツラギ
※画像は9期生ご遺族ご提供
石塚さん(戦後・本間)の手記『予科練の空』に佐世保時代に飛行艇専修10名で撮った写真が掲載されています。
偵察飛練の博多を16年10月末に卒業したあと、10名だけが飛行艇専修生として佐世保でさらに翌年2月まで訓練を続けます。
9期の飛行艇は偵察員だけで10名。
※( )内は所属鎮守府
井上常夫さん(横)
菊地平さん(横)
福島増蔵さん(横)
金成懿さん(横)
石田勝さん(呉)
永田正さん(佐)
斎藤理吉さん(佐)
藤井国男さん(佐)
皆川彰さん(舞)
石塚猛さん(舞)
石塚猛さんは手記に、
『私たち飛行艇専修の十名は、横須賀鎮守府、舞鶴鎮守府管下の六名が横浜航空隊へ、呉鎮守府の一名がトラックの四艦隊司令部へ、佐世保鎮守府の三名が蘭印方面に出動中の東航空隊へそれぞれふりわけられた』
と書かれています。実施部隊の配置先ですね。
つまり、横鎮の井上さん、菊地さん、福島さん、金成さん、舞鎮の石塚さんと皆川さんが浜空発令。
呉鎮の石田さんが四艦隊司令部とか。わたしは把握していません。
佐鎮の永田さん、斎藤さん、藤井さんが「東航空隊」。
永田さんは不明ですが、斎藤さんと藤井さんは「東港航空隊」なので、「東航空隊」は「東港航空隊」のことを指しているのでしょうね。
石塚さんは17年4月の飛行隊再編で14航空隊へ。同じく菊地さんと皆川さんも14空へ。
浜空に残ったのは、福島さん、井上さん、金成さん。
翌月の珊瑚海海戦で井上さんは戦死。
そして、福島さんと金成さんは8月7日の米軍来襲時に行方不明、戦死。
敵部隊「ツラギ」来襲ノ際行方不明
最後の様子はわかりません。
おもいで
「昭和十七年八月七日。敵がガダルカナル逆襲の緒、ツラギに艦隊攻撃をかけ善戦死闘するもついに及ばず司令官以下ドラム缶を積み重ね(全軍の必勝と武運を祈る)の無電を最後に自決せりと聞く。この戦闘において金成、井上など多くの同期生および小野寺、池田氏の八期生また先輩後輩の多くを失う。以後小生は毎夜のごとくガダルカナル、エスピリッツサント報復爆撃単機にて敵駆逐艦二隻を轟沈す。御魂よ安かれ」
※井上さんは珊瑚海海戦で戦死
17年8月7日 横浜空 ツラギ
※画像は9期生ご遺族ご提供
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