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乙9期 北村彰男さん2017年08月04日 20時55分04秒

兵庫県出身、偵察、中攻。


【氏名入り班写真】
4班。横須賀。


【熊谷教員転勤班写真】
4班。霞ヶ浦。


【2学年班写真】
偵察分隊。霞ヶ浦。


【飛練鈴鹿】
倶楽部かな?


【飛練大分】


【大型機講習木更津】






島田清守さんが1学年時同じ4班。仲が良かったみたいで、アルバムに北村さんの個人写真が残っていました。


写真実習でしょうか。


15年3~4月の艦務実習。
台湾ではないかな?
右、岩に座るのは同じく1学年時4班だった高島巌さん(操縦、中攻)。


これ、どこだろうなあ?
大分(飛練)か木更津(大型機講習)だと思うんですが、ちょっとわかりません。
同じ場所で撮ったと思われる鶴見堅三さんの写真は襟巻をしているので、特技章をもらったあとの木更津かなあと思ったんですが・・・・。



島田さんの日記にも出てきます。

14年2月2日
「自分と北村、横山と練兵場の隅で角力やった。愉快だ」

「横山」は同じく4班の横山孝さん(三重、操縦、戦闘機)。


14年2月12日
「午後、北村、大石と本隊の格納庫に飛行機見学に行った。豆の様な艦戦等から大は大艇まで。中攻と大艇の中に入った」

「大石」も同じ4班の大石芳男さん(静岡、操縦、戦闘機)。

どちらも横須賀時代の日記です。






おもいで
「偵察特修科練習生での君のファイトはまた格別だった。色黒の野武士のような剽悍な中にもいつも秩序と分別を忘れなかった。けだし武士の模範であった」


「山椒は小粒でピリリと辛いとは彼のことか」


「いつも超然としているような君。優秀であった。引き締まった顔、頼もしい信頼できる同期の桜だった。君が生きていたらとしみじみと思う」




おもいで に書かれている「偵察特修科練習生」時代の話。
北村さんは横須賀で特練11期の水平爆撃の教程を卒業されているみたいです。※Kさんご教示
18年9月末頃から19年3月初です。




北村さんに関しても訂正事項があります。

戦死時の航空隊が九期生名簿では「765空」になっています。が、「763空」と書かれたものもあったのでKさんに尋ねたら、北村さん戦死時の20年1月10日にはまだ765空は開隊していないので、「763空」の方が正しいとのことでした。
※さらにご教示いただきまして、「763空」(←航空隊名)表記より、「攻撃第702飛行隊」(←飛行隊名)と表記した方がわかりやすいのでは、とのことでした。763空には他にもいくつか飛行隊(銀河や艦爆)があるので、飛行隊まで書いた方が明確でにわかるでしょう、と。


あと戦死場所ですが、名簿には「比島方面」とだけ書いてあるんですが、比島(クラーク)から高雄進出途次自爆戦死、と書かれているものがありました。
この時期、比島から高雄(高雄)に向ってもそれでも「進出」って書くんだな・・・・。




20年1月10日   763空攻撃第702飛行隊  比島方面



※画像は6期生、9期生ご遺族ご提供

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