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乙9期 羽藤一志さん2015年03月15日 14時31分00秒

新情報があるので書き直しました。


【東京行軍】
宮城前

楠公銅像前


【鎌倉行軍】
大仏前

大仏前

大仏前12班写真

鎌倉宮

建長寺

建長寺

鶴岡八幡宮


【大楠山慰安行軍】


【不明行事】

横須賀海軍航空隊
3空


横須賀海軍航空隊
8・9・10期

霞ヶ浦海軍航空隊
9・10期


【操偵適性検査】

12班集合写真


【2学年班写真】
霞ヶ浦海軍航空隊
2空

霞ヶ浦海軍航空隊
2空?


【ラグビー優勝記念】
「昭和15.5.30」


【整備実習】


【操縦専修】
2空

雄飛の松を囲んで
おそらく3学年班


予科練時代の写真としては、水泳の集合写真にも写っています。
羽藤さんの泳ぎのレベルがどれほどだったかはヒ・ミ・ツ




【飛練谷田部】
飛行服



ペンネントは「佐世保海兵団」


【台南空】
17年8月4日ラバウルと言われている集合写真


【個人写真】
横須賀の庁舎前?
入隊時かな?


3空
藤谷周覚さん関明水さんと一緒に撮りに行った?
お二人の同じ写真もあります。


予科練時代ずっと同班だった小林為雄さんと



「おもいで」

戦闘機乗りとして目覚ましい働きをしているという話が水上機隊まで伝わってきたが、予科練時代の君の柔和な顔を思うとビーンと来なかったよ

おとなしい小柄な君、あの激しい訓練によく坦々と耐え抜いたものだ。いつも笑みを忘れない君の顔がいつまでも若くぼくの心の中に生きている


予科練卒業の寄せ書きに羽藤さんの署名はないので、アルバムの裏表紙裏の署名を・・・・





今回は長編です。
ここで半分ぐらいです(^^;)

ここから先は新しく書きました。
長いけどお付き合いください。






『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の「第4航空隊」の項に、次のようなことが書かれています。

『艦戦隊は(17年)1月末にトラックからラバウルに進出した千歳空艦戦隊の岡本晴年大尉指揮の1個中隊と、パラオからラバウルに進出していた河合四郎大尉指揮の1個中隊を合わせて編成され、岡本大尉が飛行隊長となった。なお、河合隊はパラオ防空に当てるためとして在台湾の台南空、3空から抽出された「九六艦戦」13機からなり、特設空母「春日丸」に便乗して開戦直前の12月5日以降にペリリューに進出していたものであった』

これね。
これが、すごく気になっていたんです。
「河合四郎大尉・・・・」の部分。


西澤さんの履歴をたどっていくと、千歳空戦闘機隊の隊員として、1月末に岡本さんに率いられてラバウルにやって来た、と。

そこで2月初から10日ほど千歳空行動調書にお名前が出てきた後、4空に転勤されたようです(場所はラバウルのまま)。

3月も4空。そして4月に台南空に編入、台南空本隊と合流、って流れになるんだと。



羽藤さんは、この2月のラバウルでの千歳空行動調書に突然お名前が出てきます。他の9期生と一緒に。
※熊谷賢一、木村裕、後藤龍助、新井正美、鈴木松巳、綿村亀次・・・の各3飛曹

で、みなさん、このあと、西澤さんと同じように4空→台南空と異動されたようで。
※綿村さんだけが台南空の行動調書にお名前なし。

と、言いつつ、実は羽藤さんのお名前が4空の行動調書に出てきません。
が、9期生の異動状況から、たぶん羽藤さんも千歳空→4空→台南空なのだろう、と思っていました。
「病気でもして、飛行機に乗れなかったのかな?」
と。

ホントいうと、「なぜ4空の行動調書に羽藤さんのお名前がないのか?」、この謎も解明されるとうれしかったのですが、結果から言うと、理由はわかりませんでした。

が、ご遺族の方がとってくださった履歴により、羽藤さんが4空に在籍していたことははっきりしました。
4空の搭乗員だったけど、行動調書に記載されるような活動がなかった、と。


スイマセン、話が逸れました。

何が言いたいかというというとですね、羽藤さんはじめ9期生の面々は、河合大尉がラバウルに連れてきたんじゃないかと疑っていた、ってことです。

『日本海軍戦闘機隊』に書いてある「パラオ防空に当てるためとして在台湾の台南空、3空から抽出された「九六艦戦」13機」の中に入っているんじゃないかと。


思ってはいたのですが、確たる証拠もないし、たぶんここに書いたことはないと思います。



で、去年秋にご遺族の方が履歴請求してくださった、これでわかるんじゃないか\(^o^)/
3か月待ちだとか言われたらしく(^^;) 
いくらでも待ちます!



先に、戦史人物経歴研究家さんに河合大尉の履歴を問い合わせました。
関連時期の河合大尉の履歴
16年9月1日   大分空分隊長兼教官
16年11月22日 第23航空戦隊司令部附
17年1月10日  第24航空戦隊司令部附(千歳空司令承命服務)
17年2月10日  4空分隊長
17年4月1日   台南空分隊長

なるほど。

よくわからんけど(^^;)


1月中ごろに届いた羽藤さんの履歴
16年10月30日 飛練卒業
16年10月30日 台南航空隊
16年12月1日  第23航空戦隊司令部
17年1月23日  臨時 第24航空戦隊司令部
17年2月10日  第4航空隊  千歳空(派遣隊)ヨリ
17年4月1日   台南航空隊

微妙にずれがありますが、河合大尉が率いていた中に羽藤さん、入っているでしょう。

さっき名前を挙げた他の9期生に関しては、まったく想像ですが、たぶん羽藤さんと一緒。
これもわたしの想像なのですが、開戦ごろの台南空は呉・佐世保主体、3空は横須賀・舞鶴主体の印象があるので、台南空から引き抜かれたのが羽藤さん(佐世保)、新井さん(呉)、鈴木さん(呉)、綿村さん(呉)。3空から引き抜かれたのが木村さん(横須賀)、後藤さん(横須賀)、熊谷さん(横須賀)
――ではなかろうか、と考えています。
この件も、それぞれの履歴詳細がわからないと想像のままです。



「パラオ防空に当てるためとして在台湾の台南空、3空から抽出された「九六艦戦」13機」
この13機、わたしが探してもよう見つけなかったので、2月に千歳空戦闘機隊として行動調書に出てくる人たちから、1月にトラックにいた岡本隊を差し引いてみました。
そしたら河合大尉が連れていた13機がわかるんじゃないかと思って。

河合四郎大尉
酒井良味2飛曹
米川正吉3飛曹
熊谷賢一3飛曹
木村裕3飛曹
綿村亀次3飛曹
鈴木松巳3飛曹
新井正美3飛曹
後藤龍助3飛曹
羽藤一志3飛曹
陶山広1飛
水津三夫1飛
氏原光正1飛

あら!? ちょうど13人いる!?( ̄▽ ̄)




羽藤さんなんですが。

ある搭乗員の人が、羽藤さんに誘われて佐伯で上陸した、と言われています。
羽藤さんの履歴を見ると、「16年10月30日 台南航空隊」の欄の右端に「11月9日 高雄着」と書いてあります。
羽藤さんが佐伯で上陸できるチャンスって、飛練卒~高雄に行くまでの間しかないような気がします。

で、ちょっと思い出したのですが、ある台南空搭乗員(9期生)の履歴に、
「十六、十、三十 臺南海軍航空隊附ヲ命ス」
のあと、解読不能なのですが、どこかに仮入団したと書かれています。

そのあと、
「十一、九 假入団中ノ處十一月五日退団日吉丸便乗本日高雄着入隊」

たぶん飛練卒業から台南空発令、高雄への移動――この人、羽藤さんと一緒に動いていると思うんですよね。
※その後、この人は台南空残留

だとしたら、羽藤さんも11月5日までは確実に内地にいたんじゃないか。

だとしたら、ある搭乗員の人が「佐伯で誘われて上陸した」と言われているのは、11月1日から11月4日5日までの間、ってことでしょうか。

その搭乗員さんがその時期、佐伯にいたのかどうか、ちょっと自分なりに調べてみたのですが、「いた可能性大」です。

羽藤さんの方から先任者であるその人を誘って、一緒に上陸したらしいですよ。
「どこに行かれたんですか?」
って聞いても、ムフフと笑って答えて下さいませんでした(;^ω^)

追及しちゃいけない件、として処理しました(笑)



その後、羽藤さんは台南に移り、同期生の中攻操縦員・石川茂さんの家族への手紙に登場。

「羽藤も今台南に居ます」

前に書いたときは、石川さんが高雄にいた時期から推測しておそらく16年11月・12月~17年初め頃に家族に出した手紙、と書きましたが、羽藤さんの履歴から考えると16年11月中ごろから末までってところでしょうか?
23航戦司令部ってのが河合大尉に引き抜かれた先なんですよね、たぶん。


話があっち飛んだり、こっち飛んだりしましたが。
履歴に想像を加えた羽藤さんの足取り。

16年10月30日  飛練卒業  大分航空隊
16年10月30日  台南航空隊 〇○に仮入団    このあと佐伯滞在?
16年11月5日   〇〇を退団して日吉丸に便乗入て高雄へ
16年11月9日   高雄着  このあと台南へ
16年12月1日   23航戦司令部
16年12月5日以降  河合大尉とパラオへ到着
17年1月23日   24航戦司令部
        ラバウルへ?
17年2月2日    千歳空戦闘行動調書にお名前
17年2月10日   第4航空隊
17年4月1日    台南航空隊

こんな感じになるんでしょうか。

4空時代の行動調書にまったくお名前がないのがとっても気になりますが、これはもうわからないかも・・・・です。



台南空での活躍はみなさんご存じのとおり。



17年9月13日  台南空  ガダルカナル島

 


『予科練外史』に、同じ台南空、同期生の茂木義男さんが倉町先生に語った羽藤さんの最期が書かれています。
茂木義男さん


『茂木義男三飛曹は、後日、内地に一時帰還し、土浦を訪ねてくれて、この時の詳細をこう語った。

「その朝、敵飛行場を占領したという情報で。陸偵二機と零戦九機は、ガダル飛行場に着陸するつもりで出撃しました。私は一小隊の三番機、佐藤と羽藤は、二小隊と三小隊の三番機でした。飛行場近くまでは高度八、○○○位で進み、敵の哨戒機と遭遇したので陸偵は高度を下げて避退し、零戦隊は空戦に入って移動しながら飛行場上空に移りました。敵機の着陸するのが見え、味方が突入した形跡はない。新たに敵機約二○機が上がって来ました。味方は苦戦、次第に不利になる。空戦は、二十分位が普通ですが、その時は四十分位戦いました。一機、自爆するのが見えた。敵かな、と思ったが、それが羽藤だったのです。羽藤は空戦しながら一、五○○位まで下がっていて、周りには敵の戦闘機がいっぱいでした。その戦いで佐藤昇も帰らなかったのです。空戦に夢中になって、帰る時機を忘れたらしいのです。羽藤は、それまでに四五機は墜としていたのに・・・・」

と残念そうに茂木は言った。公式記録の単独撃墜は一九機とあるが、共同撃墜を数えればそうなるのであろう』


同じ攻撃で帰らなかった佐藤昇さん




17年9月13日
グァダルカナル偵察 ラバウル基地発進
偵察機 高橋治郎1飛曹(操)
     木塚重命中尉(偵)
     山口英次1飛(電)

     小野了飛曹長(操)
     田中陸軍参謀
     金子健次郎3飛曹(電)

戦闘機 稲野菊一大尉
     奥村武雄1飛曹
     茂木義男3飛曹

     高塚寅一飛曹長  行方不明
     松木進2飛曹    行方不明
     佐藤昇3飛曹    行方不明

     大木芳男1飛曹
     太田敏夫1飛曹
     羽藤一志3飛曹   行方不明
            ※台南空行動調書





羽藤さん、大正11(1922)年8月18日生まれです。
昭和12年3月に高等小学校を卒業しています。
ここまではわかっていました。

「はて? 13年6月に予科練に入隊するまで1年ちょっとの間、どうしていたんだろう?」



履歴に書いてありました。

羽藤さん、予科練入隊前に職歴がありました。

「織物工業所」らしいです。

うん? 織物?

織物→→(ママの単純な思考回路)→→タオルだ!(・∀・)

と、勝手に思い込み、今治タオルを使うたびに羽藤さんを偲んでいます。

※ホントにタオルかどうかはわかりません



※画像は9期生ご遺族、武田信行氏ご提供

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