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乙9期 坂田清一さん2015年03月01日 12時56分16秒

※編集しなおしました


新潟県出身。偵察員。
大正12年生まれ。6人きょうだいの長男。
高等小学校卒業後、予科練入隊。


坂田さんは雄翔館に氏名入り遺影がありました。
左・松沢正二さん(偵察)、右・坂田清一さん


こちらが坂田清一さん。
ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。階級章は2等航空兵。
14年の秋・冬ぐらいか?





【東京行軍】
楠公銅像前

海軍館前


【ラグビー観戦】




【香取神宮】


【飛練・博多卒業写真】
16年10月


もう一枚、同郷の町谷昇次さんと厳島神社で撮ったツーショット写真があります。



「おもいで」

「ハチオン(発音)不良。通信訓練中、ズウズウ弁で長岡教員「坂田読ンデミロ」「ハイ、エロハ(イロハ)」「ナニイットルンダヤリ直シ」また「エロハ」」

「飛練時代平山班長の下で同班だった。飛練最後の日、白子の海岸を二人きりで深更まで散策したね。そして昭和二十年三月二十九日に君は新竹基地の彗星隊の一番機で白鞘を抱いて従容として飛び立った。すでに期するものがあったのであろう」

「まったく実直な男だった。頼まれれば新発田から米搗きにきたであろう。同県人としても誇りに思う。もう半月生きていてくれたら終戦だったのにと、悔やんでも惜しみある」





坂田さんの飛練卒業後の経歴、わかりました。
ご遺族の方が履歴をとってくださいました。
わたしは清一さんの弟さんご一家と連絡を取っているのですが、他の親族の方にも清一さんのことを熱心に調べられている方がいらっしゃるのだとか。こうやって気にかけているご親族の方々がいらっしゃるというのが、一番の供養になるんじゃないかと思います・・・・




16年10月31日、飛練卒業、同日付で「翔鶴」。

「えっ!?」

ってなりました。

翌年17年1月5日に鈴鹿空に転勤(教員)するまで翔鶴です。
ということは、坂田さん、行動調書にお名前はないけど真珠湾に行っていますね。


鈴空のあとが瑞鶴。
瑞鶴はちょっと長かったみたいです。
瑞鶴時代のペアの田中孫治さんは戦後ご健在ということだったので、瑞鶴会にも問い合わせてみたのですが、情報はありませんでした。
坂田さんと同年兵で同じ舞鶴だったので、気も合ったんじゃないかと想像したりしたんですが・・・・。


瑞鶴のあと、第11期特修科飛行術(偵察)練習生。

ちなみに特練(偵察)11期には『彩雲のかなたへ』の田中三也さんも。
――というのを、ソッコーで戦史人物経歴研究家さんが教えてくれました!
おまけに、「手記に特練11期の集合写真も載っている」という情報まで。
で、さっそく本屋に偵察に出向きました。
ありました、ありました。特練11期の修業記念写真。
予科練の集合写真と違って、まったく初々しくない”練習生”の集合写真です。
そりゃそうですよね、すでに第一線で鍛えられている偵察員たちですから(^^;)
坂田さんは田中さんの隣に写っていました。上飛曹なのに最後列の端から2番目。

※ここに特練のことを書きかけていたのですが(特練に進んだ他の9期生のことなど)、もう少し検討したいので、ここはいったん削除して別に書くことにしました。


19年2月29日に半年間の特練11期を修業して「飛鷹」の辞令が出て岩国航空隊に入ったようです。
関係ないですが、この年は閏年だったんですね。


その直後の3月10日に652空の辞令が出ているので、実際に飛鷹には乗っていないかも?

で、この652空時代に隼鷹で小瀬やんとマリアナ沖海戦に参加しているんですよね。

7月1日に601空。
この件に関しては戦史人物経歴研究家さん(長いからKさんにします)が、
「601空の特設飛行隊の記載がない」
ってのを気にされていました。

以前、攻撃隊の権威のYさんも、
「601空の攻撃161飛行隊か偵察61飛行隊のどちらかの飛行隊に所属していたはず。でも、現状の資料では判断がつかない」
みたいなことを言われていました。
その後の隊員の動きから推測はされているみたいでしたが・・・・。

わたしも履歴でこの件が解明されるのではないかと思っていたので、この点はちょっと残念です。

601空時代に瑞鶴で比島沖海戦。
この頃からペアの操縦員は土屋光明さん(乙13)。

その後、201空で特攻の誘導機。
神武隊の記載はありません。
金剛隊の記載もありません。

坂田さんの特攻に関する件はこちら


20年5月1日になって攻撃102飛行隊の辞令が記載されていますが、Yさんが以前探してくれた4月28日、765空攻撃102飛行隊忠誠隊としての特攻出撃の戦闘詳報があるので、それ以前から攻撃102だったのだと思います。
5月1日は坂田さんが飛曹長に進級した日でもあるので、そのタイミングで所属航空隊が記載されただけかな?
Kさんは坂田さんが攻撃102に異動した日も推測されているようですが、「参考程度に」と書かれていたので、ここには書かんときます。


履歴的には攻撃102が坂田さんの最後の所属飛行隊です。

Kさんは、舞鶴(←坂田さん所属)の辞令公報で、他の飛行隊への異動辞令があるけど、実際は転勤されなかったんでしょうね、と。



20年7月26日   攻撃102飛行隊    沖縄




先日、テレビ版『永遠の0』で、宮部さんを憎む元同僚の搭乗員が、孫が差し出した履歴のコピー?をぐしゃっとして投げ捨てるようなしーんがありました。

ありえない、と思いました。

実際に履歴を見たら、とてもそんな非道なことはできないと思います。

履歴はかれらの海軍での足跡、生きた証そのものです。





※画像は雄翔館、羽藤さん、松本さん。Yさん、Kさんご教示。
坂田さんご遺族の方々、ありがとうございます。

1年最後のテスト2015年03月01日 19時44分06秒

3学期って、定期テストは一回きりなんですね。

あまりに遠い昔のことで忘れとりました(;^ω^)



春海、いまテスト前とか。
プール(土日は息抜き?に練習に行きました)のお迎えに行ったときに、テストの話になりました。

「ママー、岩宿遺跡って覚えたで(^o^)」
「あー、相沢忠洋、群馬県、旧石器時代な」  ←いつも聞かれていないことまで答えちゃうママ(笑)
「相沢忠洋なんて習ってないで。それに群馬違うで。福島やで」
「いや、岩宿は群馬やろ」
「あ、違うわ。佐賀やった。弥生時代!」
「それ、吉野ケ里やわ」
「吉野ケ里なんて知らん。岩宿やって」
・・・・orz


「ママー、三大文明覚えたで(^o^)」
「あっ!? ゆとり以降は3つに減ったんか!? うちらのころは四大文明やったで」
「エジプト文明とねー、エジプト文明とねー、エジプト文明とー」
覚えとらんやないか!(-_-メ)


とうとう今日の午後は、
「ママー、おもしろいの見つけたよー(^o^)」
リビングに呼ばれたので行ってみたら、テレビでYouTubeに接続して、年号暗記の替え歌を笑い転げながら見ていました。
年号なんてまだテスト範囲ちゃうやん(・ω・)



夕方、ママが昼寝しに行ったら、
「ママー、いいこと考えたよ! 教科書に付箋貼ってんねん!(^o^)」

おおっ!
付箋貼ったり線引いたりして勉強(仕事)した気になるのはまさに遺伝!(笑)

たぶん、付箋貼るだけはって、貼った教科書に見とれるだけ。貼ったところは見ない(゚∀゚)





その後、美術の暗記もしていました。

美術作品の名前と作者を覚えないといけないらしい。

春海、
「『アダム』なんて、こんなん、覚えられへんわ!(怒)」

「ケサランパサラン」は覚えられるのに『アダム』が覚えられない春海・・・・orz



今回ものび太やな(-_-;)