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『源田の剣 改訂増補版』32014年07月19日 21時50分46秒

読み終わりました。
※いつもながら、あまり読書感想文にはなっていません。雑感?


前に借りていたときは摘み読みしていたので、最初から最後まで通して読んだのは今回が初めてです。
まえがきも、奥付も、著者略歴までも読みました。



日米両軍の視点から客観的に描かれています。
数字で突きつけられると正直しんどい気持ちになります。

また、343空側の未帰還・行方不明者の最期に関して、米側のパイロットの証言からそれが明らかになった事例も。

まえがきにも書いてありましたが、343空ファンが読んで、必ずしも気分爽快になる本ではありません。
これもまえがきに書いてありましたが、それが事実であるのであれば、事実としてしっかり受け止めなければならないのだと思います。
それが本当の意味でかれらの健闘をたたえることになり、また、亡くなった搭乗員たちの供養にもつながるのかな、と。


個々人の伝記的な話はこれから先もまだ出てくるのかもしれませんが、343空の隊誌的な読み物としてはもうこれ以上のものは望めないような気もします。


読んでいていろいろと考えさせられました。

いままで読んできた本がわりと日本側視点の本が多かったからでしょうか、米兵に対して特別な感情を持って読んだことはほとんどありませんでした。

西澤さんも言っていました、
「敵機が墜ちるのを見ても、ただ飛行機が墜ちるとしか思わないのです。味方機が墜ちる時は、どんなに遠くても、人が落ちる、人が死ぬと心臓が凍るような気持ちになるのですが・・・・」(『予科練外史』)
これ。
わたしも戦記ものなどを読むときは、西澤さんとまったく一緒で、敵機の中の人のことにまで気持ちがいったことはありませんでした。

『源田の剣』は米軍側のパイロットの取材も丹念にされていることから、そういうわけにはいかず。
飛行機対飛行機の闘いであっても、実際に闘っているのは人間対人間。
紫電改の搭乗員であろうと、米軍の搭乗員であろうと、それまでかれらが生きてきた歴史があり、かれらの無事を祈る人たちが待っているのは同じこと――そういうことを考えさせられました。



著者のヘンリー境田さんが思っていた以上に若かったのにはちょっと驚きました(^^;)
逆に、髙木さんはすでに80歳を超えられています(1933年生まれ)。

旧版を出されたのが2003年。
それから11年。
出版して「これで終わり」ではなく、その後も取材を続け、つねに真実を追い求め、80歳を過ぎて改訂増補版を出されたその姿勢は見習わねばならないと思いました。
わたしなんか髙木さんの半分ぐらいですが(スイマセーン、サバ読んでいます( ̄▽ ̄))、いろんな意味でこの改訂増補版にはたいへん勇気づけられました。勇気づけられたというか、尊敬です、ホントに。




わたしは日光安治上飛曹(甲10、戦闘301、20年3月19日の空戦で戦死)のことでやらなければならないことがあります。

先送りになってしまっているのですが、『源田の剣』を読み終わって、早く取り掛からないとなあ、という気持ちになっています。

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