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飛練10期生の教員12014年07月19日 11時17分21秒

飛練10期(乙9期生中心)に操縦を教えた人。

一緒に集合写真やペア写真に写っていますが、名札もないことから、どんな人がいるのかほとんど気にしたこともありませんでした。

「なんかみなさん見るからにベテランぽいなー(^^;)」
ぐらいのもんで。

※操偵適性検査時の教員は、原田要さんに問い合わせて数人だけお名前・出身期がわかっています。




『源田の剣』を読んでいて気づいたのですが。

戦闘407の石塚光夫少尉(20年8月8日熊本上空の空戦で戦死)。

前回のいつもの会合でこの人の話題になったのですが(たしか経歴関係の話)、いつもぼんやりさんのわたしは聞き流してしまったのか、その話、あまり覚えていません。
石塚少尉の話題が出たなーって程度にしか覚えていない、すいません。


が、今回は聞き流すわけにはいかなかった!
『源田の剣』に石塚少尉が昭和15年11月から谷田部空で教員をしていたという記述が!

「何っ!? 15年から谷田部空!? 飛練10期の陸上機専修生たちの半分は15年12月から谷田部じゃないか!!」

慌てて谷田部の集合写真を見てみたところ――


いらっしゃいましたー、石塚1空曹(←たぶん、階級章と座り位置から)。
これ↑はみなが飛行服の集合写真ですが、

一種軍装の集合写真にも写っていました。


複数の方に見てもらったのですが、たぶん石塚さんだろうと。


ペア写真には写っていないので、誰を担当していたかは不明です。
池田さん、田中さん、鹿島さん、西山さん、新井さん以外ですかね(^^;)




そういえば、西澤さんも実施部隊に出る前は鈴鹿(偵察員教育)で教員をしていたって話があって、たしかに鈴鹿航空隊のジョンベラさんたちと一緒に写っている集合写真があるのですが(西澤さんは下士官)、ジョンベラさんたちを観察してみたところ飛練10期生ではなさそう。

本間さんや藤代さんの手記に飛練時代の教員の名前が数名出てきますが、西澤さんのお名前は出て来ないですからねー。
たぶん、違うクラスを担当していたのでしょう。


現時点でもうお一人、飛練10期筑波の教員が氏名判明しています。
もう少し調べたいことがあるのでまた今度。

※画像は9期生ご遺族ご提供

『源田の剣 改訂増補版』32014年07月19日 21時50分46秒

読み終わりました。
※いつもながら、あまり読書感想文にはなっていません。雑感?


前に借りていたときは摘み読みしていたので、最初から最後まで通して読んだのは今回が初めてです。
まえがきも、奥付も、著者略歴までも読みました。



日米両軍の視点から客観的に描かれています。
数字で突きつけられると正直しんどい気持ちになります。

また、343空側の未帰還・行方不明者の最期に関して、米側のパイロットの証言からそれが明らかになった事例も。

まえがきにも書いてありましたが、343空ファンが読んで、必ずしも気分爽快になる本ではありません。
これもまえがきに書いてありましたが、それが事実であるのであれば、事実としてしっかり受け止めなければならないのだと思います。
それが本当の意味でかれらの健闘をたたえることになり、また、亡くなった搭乗員たちの供養にもつながるのかな、と。


個々人の伝記的な話はこれから先もまだ出てくるのかもしれませんが、343空の隊誌的な読み物としてはもうこれ以上のものは望めないような気もします。


読んでいていろいろと考えさせられました。

いままで読んできた本がわりと日本側視点の本が多かったからでしょうか、米兵に対して特別な感情を持って読んだことはほとんどありませんでした。

西澤さんも言っていました、
「敵機が墜ちるのを見ても、ただ飛行機が墜ちるとしか思わないのです。味方機が墜ちる時は、どんなに遠くても、人が落ちる、人が死ぬと心臓が凍るような気持ちになるのですが・・・・」(『予科練外史』)
これ。
わたしも戦記ものなどを読むときは、西澤さんとまったく一緒で、敵機の中の人のことにまで気持ちがいったことはありませんでした。

『源田の剣』は米軍側のパイロットの取材も丹念にされていることから、そういうわけにはいかず。
飛行機対飛行機の闘いであっても、実際に闘っているのは人間対人間。
紫電改の搭乗員であろうと、米軍の搭乗員であろうと、それまでかれらが生きてきた歴史があり、かれらの無事を祈る人たちが待っているのは同じこと――そういうことを考えさせられました。



著者のヘンリー境田さんが思っていた以上に若かったのにはちょっと驚きました(^^;)
逆に、髙木さんはすでに80歳を超えられています(1933年生まれ)。

旧版を出されたのが2003年。
それから11年。
出版して「これで終わり」ではなく、その後も取材を続け、つねに真実を追い求め、80歳を過ぎて改訂増補版を出されたその姿勢は見習わねばならないと思いました。
わたしなんか髙木さんの半分ぐらいですが(スイマセーン、サバ読んでいます( ̄▽ ̄))、いろんな意味でこの改訂増補版にはたいへん勇気づけられました。勇気づけられたというか、尊敬です、ホントに。




わたしは日光安治上飛曹(甲10、戦闘301、20年3月19日の空戦で戦死)のことでやらなければならないことがあります。

先送りになってしまっているのですが、『源田の剣』を読み終わって、早く取り掛からないとなあ、という気持ちになっています。