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北千島の戦闘3032009年06月01日 08時10分20秒

西澤さんの戦闘303時代って、わたしの中では「謎」です。

ラバウル時代が強烈すぎたのか、18年末に戻ってきてからの大分空教官時代、戦闘303時代(厚木、北海道、北千島・・・・戦死まで)の西澤さんって、いまいちイメージがボンヤリしています。

大分空時代というのは、練習生(飛行学生?)に模型飛行機を使って何かを説明しているサングラスの横顔写真一枚見たことがあるだけで、いったい誰(どこの何期)に操縦を教えていたのかすら把握できていません。

戦闘303時代は、部下だった安部正治さんの手記に出てくる巻き舌の西澤飛曹長と、角さんの手記に出てくる自慢大王・西澤飛曹長・・・・こんな感じでしょうか。
敷島隊の出撃シーンと思われる動画に、西澤さんじゃないかと思う横顔の搭乗員が映っているのですが、自分でそう思っているだけで確証なし、です。

今回入手した戦闘303・松本先任の書簡集。
西澤さんのことが書いてあるわけではないのですが、北千島幌筵島武蔵基地での暮らしぶりの一端がうかがえる内容がありました。
7月初めに出した手紙です。
・1年でいまが一番暖かいらしい。内地の2月頃の気温。
・高い山があり、火山もあり煙を吹いているものもある。
・山はあっても木が全然ない。
・貝取りや魚取りをよくやる。
 「ウニ」は浅瀬に足の踏み場もないぐらいいる。
 「鮭」「鱒」が1時間に、網で4、500匹ぐらい取れる。卵がいっぱい入っているので「スズコ」だけ取って魚は捨てる。
・「オットセイ」や「ラッコ」の群れがいる。
・晴天の日が1ヶ月に3、4日しかなく、ほとんど毎日濃霧または曇天。
・野菜ものが全然なくて草を食べたこともある。
・川で「ヤマメ」も取る。

↑こんな感じで(^_^;)

気候的には大変厳しい土地のようですが、魚介好きな搭乗員にとってはパラダイス?みたいな・・・・。
南方ではカラフルな熱帯魚を取って食べた・・・・という手記を読んだことがありますが、北方では鮭・鱒・ヤマメ・ウニらしいです。

もしもママが戦闘303搭乗員だったら!?
こんなにも魚介類パラダイスの武蔵基地ですが、ママは魚介類食べられません。
ということは、西澤さんや松本先任が鮭やウニに舌鼓を打っている横で、一人、草をかじって飢えをしのがなければならないという悲惨なことに・・・・(>_<)
「ママさん、うまいぞ。食えよ」
と西澤さんに言われたって、こればっかりはイヤです!
草でもかじっています、ハイ。


行動調書を見ても、あまり戦闘をした形跡の見えない北千島時代。
隊員たちにとって強烈だったのは、戦闘よりも6月中旬に受けた艦砲射撃のようです。
格納庫、滑走路、飛行機、兵舎・・・・ことごとくやられたそうです。
このときのことは安部さんも手記に書いているし、松本先任も手紙に、
「寿命が十年くらい縮まりました」
と書いています。

搭乗員というのは、戦闘機に乗っていたら怖いものなしでも、地上や艦上で敵からの攻撃を受けると心細いらしいですねえ。

松本さんは搭乗員になって割と早い時期に乗艦が被爆して沈没するという恐ろしい経験をしているようです(ミッドウェー・「加賀」らしい)。その松本さんですら寿命が縮まったのですから、艦砲射撃初体験の搭乗員はそりゃあ恐ろしかったと思います。
さすがにこのときは西澤さんも怖かったんじゃないかな。

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