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菅野隊長のヤケド2010年07月04日 07時32分34秒

20年3月19日の343空の初陣で戦闘301飛行隊長の菅野直大尉が顔面にヤケドを負ったのは有名な話。

落下傘降下した地で、米兵に間違われてあわや!という事態にまでなったとか?

ホリブンも自分の手記の中で、無事帰隊後、白い塗り薬を顔に塗ってみんなの前に現われた菅野さんのことを、
『「隊長、随分色白のハンサムボーイになりましたよ」
などと部下にからかわれていた』
と書いています。

さて、この”ヤケド”。
菅野さんファンなら、
「その後どうなったのだろう?」
と気になっている方は多いのではないかと思います。

菅野直隊長

菅野さんの写真は『最後の撃墜王』(光人社 碇義朗)の中に何枚か出ていますが、よくよく見ると、3月19日の空戦以降とハッキリわかる写真って、意外とないんですよねえ。

ママが知っているのは、去年、『航空ファン』に掲載された、大村基地の指揮所?で寝転んでカメラを見返っている菅野さんの写真、あれ1枚だけです。

でも、あの『航空ファン』の写真では、ヤケドの痕はわからないです。

で、先日、会合のときに、
「じゃあ、直接ご存じのはずのK上飛曹に聞いてみよう!」
ということになり、わたし以外の女性数名が、K上飛曹にこの質問をぶつけていました。
(ママは質問はしていないけど、K上飛曹が答えているときにはその場にいた)

K上飛曹によると、菅野さんの顔面のヤケドはそれほど重傷ではなかったらしく、のちにはほとんどわからないぐらいになっていたそうです。

例の白い塗り薬が効いたんでしょうか。

ホリブンが手記に書いているぐらいなので、当時はみなさんご存じのことだったのでしょうが、いまでは菅野さんの「色白のイケメン姿」を知っているのはK上飛曹だけなんだそうです。


K上飛曹、こっそりお持ち帰りする2010年07月01日 08時18分17秒

K上飛曹がお持ち帰りしたのは、残念ながらママのようなうら若き女性ではなく、これです。


零戦・垂直尾翼

ご自分の愛機・零戦21型の一部(垂直尾翼の上・前部)です。


なぜ、K上飛曹がこのような貴重なモノをお持ちなのか。

これに関しては、とってもおもしろい話があるのですが、誰が見ているかわからないネット上であまり赤裸々に書くと、K上飛曹にご迷惑をおかけしてしまうかも知れないので、いちおう、ご本人に、
「すべての事情を書いてもいいですか」
と聞いてみました。

返信、来るには来たのですが、
「写真、ありがとう」
「先日は会えてうれしかったよ」
「また会いたいよ」
という愛溢れることばであり、肝心の「全部書いてもいいですか」の返事はひとことも書かれておりませんでした・・・・。
                          ※いつものように一部ご本人が意図しない脚色あり



なので、K上飛曹が捜査機関に目をつけられないよう、気をつけながら書きたいと思います(もちろん時効ですけど)。

昭和19年7月のある日。

K上飛曹はそれまでいたフィリピンのダバオからヤップ島に移動し、そこでB24の邀撃に上がったそうです。

↑この、ダバオからヤップ島への移動に関しても、作戦上の移動ではなく、ある事件(騒動)がきっかけになって憲兵に目をつけられ、菅野大尉が「めんどくせえからヤップに行こうぜ」と。
第一ダバオ事件とでもいいましょうか・・・・それは今日の本題ではないのでまた今度。

そのB24邀撃のとき、K上飛曹、不覚にも被弾、海上に不時着水してしまいました。
そこから泳ぎ泳ぎ、無事島民に助けられ生還。

その後、K上飛曹は本土に戻り、終戦まで戦い抜き・・・・。

時は流れ、昭和46年8月。

K上飛曹は、再び自分が不時着水したあの場所を訪れたそうです。

すると、見覚えのある数字が書き込まれた零戦を発見。
すぐに自分が乗っていた零戦だとわかったそうです。

さっそくK上飛曹は垂直尾翼の一部を引きちぎり、記念にお持ち帰りしました。
なお、簡単に”引きちぎり”と書きましたが、簡単にバキッと取れたわけではなく、かなり難儀したそうです(人力)。
そりゃあ、そうでしょう。なんぼ薄いと言っても空を飛んで敵の矢弾の中をくぐり抜けていた機体ですから、そう簡単にぺりっと取れてはたまりません。

お持ち帰りした経緯に関しては、詳細は省きます。


先日の会合の際、会場に持ってこられて、みんなに持たせてくださったのですが、えっ!?てほど軽かったです。
でも世界の零戦、頑丈(^_^)v
中にはいきなりガコーンと落とした方もいらっしゃいましたが、K上飛曹、
「かまへん、かまへん、大丈夫! ヘ(^o^)/」

あいている穴は弾痕らしいです。

黒いモノがもじゃもじゃ書いてあるのは、K上飛曹直筆の由来書きです。




K上飛曹、も一つお持ち帰り。                     ←本当は”も一つ”ではない。

航空時計。

航空時計

暗いところで見ると、光ります。

こちらは手に持ったら、ずっしりと重かった・・・・。
首から提げたらさぞ疲れるんじゃないか、というぐらいの重量でした。

いまだに動くんだそうですよ。

ちなみに、この時計も、会場に持ってこられていたその他いろいろも、搭乗員個人の持ち物ではないらしく、
「なんでわしが持っとるんかわからんのや f(^_^;)」
とのこと。

おれが死んだら2010年06月29日 19時37分45秒

先日、片桐兵曹のことをいろいろ教えて下さった搭乗員さんに、こちらが持っている片桐兵曹情報を送らせていただきました。
といっても、ものすごい秘密情報(゜_゜)というわけではなく、このブログの関連記事を印刷して送った、ってだけの話ですが。
(ネットされていないだろう、と勝手に判断して)

すると、今度は搭乗員さんからまたお手紙が届きました。

片桐兵曹の後ろ姿写真(辞世の句を書き付けた救命胴衣姿)、アレ、初めてご覧になられたそうで、びっくりされたとのこと。

それに関連して、みなで茶碗の縁を箸で軽く叩きながら唱和していたという唄の歌詞が書かれていました。

おれが死んだら 三途の川でよ
鬼を集めて相撲とるよ

2番、3番も書かれてあるのですが、なんかどーも、途中、伏せ字(「○○○」)の箇所とか「(一部忘却)」の箇所があって f(^_^;)

↑この唄、ネットで検索しても、似たような唄が引っかかってくるのですが、搭乗員さんからの手紙に書かれてあった歌詞(2番・3番)は、ネット上で同じものはありません。

たぶん、海軍(もしかしたら航空隊、もしかしたら神雷部隊)オリジナルかも。

そのー、歌詞の脈絡から想像するに、海軍航空隊は男の社会であり、こう・・・・女性に聞かれてはまずいような替え歌にして歌っていたのではないかなーとか f(^_^;) あははは・・・・

まあ、この件に関しては詮索はしないことにして。

1番にも2番にも3番にも共通しているのは、死後の世界をあれこれ想像して歌っていることです。
二十歳前後の若者たちが歌うにはあまりにももの悲しい唄です。特に、かれらの置かれている状況を考えると・・・・。

とにかく、片桐兵曹もこの唄を歌っていたんでしょう。

これをアレンジして救命胴衣の辞世の句、「旅立ちに米鬼百万共連れに 三途の橋でおけさ踊らん」ができたのかなー、という印象です。

片桐兵曹は桜花搭乗員なので、「米鬼百万共連れ」はよくわかります。
空母に体当たりして一隻轟沈狙ってやろう、と。

源さんが気にされていた「福岡出身なのになぜ”おけさ”?」。この部分がいまだに謎です。
ただ、米鬼百万を共連れにした場合、相撲を取るのは無理がある・・・・かな?
おけさなら、米鬼百万と一緒に踊れるのかなー。
阿波踊りじゃいかんのかなー、よさこいじゃいかんのかなー・・・・。
ピタッとはまったのがやっぱり3文字の”おけさ”なのかなー。
それとも、”おけさ”に何か特別な思いがあるのかなー。

なーんて、本当に真剣に考えているのですよ。

いまさら、辞世のひとことひとことにこだわらなくても・・・・と思われるかも知れませんが、源さんに指摘されてから、
「もしかしたら、ひとことひとことに何か意味があるのかも知れない」
と思い始め、気になってしかたがありません。


何も解決していませんが、搭乗員さんのお手紙で、ちょこっとだけ片桐兵曹はじめ、神雷部隊の若者たちの青春を垣間見たような気になったりして・・・・。

オススメの本2010年06月27日 08時20分45秒

ママは最近はお酒、一滴も飲みません。

宴会に行ってもひたすらウーロン茶を飲んでいます。

でも、なぜか、宴席に出ると、軽く酩酊状態。記憶力まで酩酊状態。
誰と何を話したか、よく憶えていません。

なので、搭乗員さんから聞いた話はなるべく時間が経たないうちにメモするようにしているのですが、若い人と話した話はまずメモをとっていません→忘れていること多々(^_^;)

先日も、初めて参加された若い人に、
「オススメの本、ありませんか?」
と聞かれたのですが(聞かれたことは憶えている)、何と答えたのか、まったく憶えていません。

昨日の夜も暑くてなかなか眠れず、このことをつらつら考えていました。

聞かれた「オススメ本」はたぶん、戦闘機隊関係の本のことだったような気もするのですが、戦闘機だ何だ関係なしで、とってもオススメな本があったことを思い出しました。

神野正美さんの『空母瑞鶴』、『梓特別攻撃隊』、『台湾沖航空戦』。

個人的にお世話になっているとか何とかは関係なしで、本当にオススメです。

日米双方の資料に当たるだけではなく、作戦に参加した人、またはその家族・知人等関係者にも丹念な調査をされています。

一つの出来事に多方面からアプローチして行く手法は、自分が何だがその場にいるような錯覚さえ抱かせます。
現にママは、神野さんの本を読むとそのシーンが夢に出てきてしまうんですよ・・・・。


決して声高に「戦争は悲惨だ」「戦争反対」と主張しているわけではないのですが、神野さんが書いているかれらの生き様、死に様を見れば、答えは自ずとわかるはず。

書き手は神野正美さんですが、書かせているのはかれらの死に様をとなりで見てきた人たちの思いであり、いろんなモノを抱いたまま死んでいった人たちの思いなんだろうなあ・・・・と感じます。

「オススメ本は?」と聞かれてちんぷんかんぷんな答えをしたかも知れませんが、コレ↑

【続報】アンケートの回答傾向2010年06月25日 12時37分35秒

昨日の中間報告からさらに数件、ご回答いただきました。
ありがとうございます。

さて、やっぱりというか何というか、いま現在、「見始めたきっかけ」は100%「海軍」・「航空隊」関係のようです。
「プール」・「スイミング」とか「美人母娘」の検索で来られて見続けられている方が一人もいないって、ヘンだなあ・・・・(-_-)
まあ、誤差の範囲内ってことで!(^O^)

きっかけは海軍だけど、春海ちゃんのプールも応援していますよ(^o^)といううれしいコメントも!
春海、次は市の水泳大会目指して頑張りますので!

では、昨日の続き。
ママが海軍航空隊に関心を持ったきっかけ。

大学時代の艦隊モノの名残が本棚に残っている・・・・ってところまででしたね。

その後は、司馬遼太郎に夢中になっていたので、海軍関連でいうと、幕末の海軍のあけぼの時代とか、日露戦争の東郷艦隊とか・・・・。
小説を読んで、「なるほど!」とすぐに信じるほどおぼこくもないので、興味を持ったら自分で本を買って調べます。
文字は苦手なので、写真や図がたくさんあるシリーズ(学研の歴史群像シリーズとか、ふくろうの本とか)が、ここらヘンの時代で何冊があります。

やっぱり、航空隊、関係ないじゃん(-_-)

いえいえ。
たぶん、同じ頃だと思うのですが、知覧の陸軍特攻隊に関心を持って、本をたくさん読んだ記憶が・・・・。
結局、陸軍はママの頭では階級が憶えられず、いつの間にか遠ざかってしまいました。

特攻の本を読んでいるうちに海軍航空隊の方にも関心が向いてきたんだと思います。

で、『大空のサムライ』。

たぶん、これで「海軍航空隊」「戦闘機隊」「搭乗員」ってところにはまっていったんじゃないかと。

特攻の本は読んでも読んでも爽快な気分になることはまったくありませんが、生き残った方の手記は、不謹慎かも知れませんが、ときには爽快なシーンも。

ママは、搭乗員の生活というか、特に騒動系(脱とかいたずらとか)の話が好きなので、やはり手記を読む方が性に合っているような気がします。

現在も「海軍航空隊」「搭乗員」ってところは変わりませんが、「戦闘機隊」オンリーってことはなくなりました。

多座は多座でいろんなドラマがあっておもしろいです。
搭乗員間の会話が残っているのもいいですよね。
ホリブンはよく操縦席の中でひとりごとをつぶやいていますが、多座だとそれが伝声管を通じて会話になっているんで。

ペアの友情というか、信頼関係というか・・・・たぶん、現在のわたしたちには経験のできない絆なんですよね。生きるも死ぬも一緒なんですから。


最近になって、誘ってくださる方がいて、「読む」から「聞く」「接する」という段階に進むことができ、ますます海軍航空隊・搭乗員好きになっています。


全然聞かれたことの答えになっていない気もしますが、おおまかにはこんな流れです(^_^;)