おれが射ったのは墜ちたかっ! ― 2009年03月31日 09時30分18秒
光人社『本田稔空戦記』に出ている、20年7月24日の空戦(豊後水道上空の空戦)時の話。
本田飛曹長、自分の空戦が一段落して・・・・。
『上を見ると、はるか彼方にF6Fの編隊を攻撃中の2機の「紫電改」がいた。そのF6Fの編隊はバリカン運動を行い、2機編隊が寄りつ離れつしていた。私は2機の「紫電改」を援護するために高度をとり万一に備えた。この味方のうちの1機はじっと時機をうかがい、敵編隊が離れる時をねらって最後尾の機に一撃を加えると、はさまれぬうちに急速離脱をした。それは猫が、飛び上がらんとする瞬間の小鳥を押さえる、あの早業に似ていた。
(うまいものだ。誰だろう)
と感心していると、
「いまのは墜ちたか?」
とくせのある声がレシーバーから聞こえた。聞きなれたそれは301飛行隊の菅野大尉であった。私はその早業を見て感心していたところでもあり、僚機からの返答もないようであったので、
「いまのは墜ちた。われ本田一番」
と返答をした。
「了解!」
とリズミカルな声が返ってきた。』
本田飛曹長が目撃した「2機の『紫電改』」のうち1機は文中に出てくるように菅野大尉ですが、もう1機、本田飛曹長言うところの「返答もしない僚機」はホリブンです!
へへー(^o^)、今日はめずらしく菅野さんの話だと思ったでしょう?
やっぱりホリブンの話でした(^O^)v
ホリブンの『紫電改空戦記』、同じく20年7月24日。
ホリブンはめずらしく菅野隊長の2番機として出撃します。
「区隊長に戦死でもされると、隊内を顔を上げて歩くことができない」
と言うぐらいのホリブンですから、このときも必死で菅野隊長について行きます。隊長がおとなしい人ではないので、これは大変だと思います。
『グラマン4機と4機が交叉したあと、次第に距離が開いていった。もうすぐ内側に旋回し始めるぞと思ったとき、隊長機が手近の、九州寄りに向かう4機の後上方に急下降した。私たち列機はびったりこの後ろについて降下する。
すごいスピードで敵に迫る隊長機は1番機を照準している。案の定、左方の敵4機が掩護しようとして、直に垂直旋回にかかった。急いで攻撃しなければ危ない。私には隊長の攻撃ぶりを一瞥さえすることができない。私は敵の4番機を照準器に入れようと操縦桿、フットバーを細かく操作した。
隊長機が引き起こしにかかるのが照準器の端に映じた。一瞬間私は照準器より目を離して、ちらと左の敵編隊を見た。いけない! 敵はもう600メートルほどに近づいてきている。グラマンの後上方についてせっかく照準器の中に入れたのであるが、残念ながらもう射撃する暇はない。
操縦桿を引き起こし、右足を踏んで右に上昇旋回。レバー一杯。別府湾の方へ全速避退する隊長の後ろにつこうとした。
そのとき耳もとのレシーバーが叫んだ。
「オーイ、俺ガ射ッタノハ墜チタカッ!」
隊長の特徴のある口調である。隊長自身、敵機の撃墜を確認する余裕なく避退したのであるから、射撃に手一杯だった私が、隊長の攻撃を受けた敵機の動きについて見ているわけがない。列機もまた同じ状況であるはず―。
ところが、意外にも返事がきた。
「今ノハ落チタ。ワレ本田一番」
407飛行隊の本田飛曹長が撃墜を確認していたのだ。
「了解、了解」
と答える隊長の声は軽く弾んでいた』
このあと、ホリブンが気づいたときには3番機4番機の姿が見当たらなかったそうなので、本田飛曹長が見かけた2機の紫電改は菅野大尉とおそらくホリブンだと思われます。
ところが、この話にダメ出しが出ています。
ママが出したんじゃないですよ。『源田の剣』が出しています。
歴戦の撃墜王、飛曹長、分隊士である本田飛曹長とホリブンがそれぞれの手記で「7月24日だ」と言っているこの出来事、『源田の剣』は「7月2日のこと」と言っています。
『源田の剣』調べによると、7月24日は菅野隊長が出撃していないらしいんですよねー。24日の戦闘301の指揮官は松村分隊長だって。松村さんご自身がそう言われているそうです。
で、『源田の剣』によると、菅野さんの「いまのは墜ちたか?」は「本田飛曹長の記憶では7月2日のことだったのである」と、書いてあります。
え? ということは「7月24日だ」と言っているのは結局ホリブンだけ?(-.-)
ホリブン! またですかー!?
またやっちまいましたー(^_^)ゞ
いつものように、
「同じ7月なんだから、2日でも24日でもどっちでもいいじゃないか(^o^)!」
って言いたいところですが、今回はそうはいきません。
20年7月24日―。
343空から鴛渕孝大尉、初島二郎上飛曹(戦闘701)、武藤金義少尉、米田伸也上飛曹、今井進1飛曹(戦闘301)、溝口憲心1飛曹(戦闘407)、6機もの未帰還を出した日です。
やっぱり、この日戦闘301を率いていたのが「誰でもいい」というわけにはいきません。菅野さんか松村さんかというのは気になるところです。
この日の編制表は残っていないとのこと。
証言だけが頼りみたいです。ご本人が自分が指揮官だったと言われているのだから、松村さんなんだろうなあ・・・・。
また、ホリブンが勘違いしているんだろうなあ・・・・。
でも、ホリブン、病気も怪我もせずにめちゃめちゃ働いています。日付を勘違いしているからって、みなさん、ホリブンを責めないでくださいね。
本田飛曹長、自分の空戦が一段落して・・・・。
『上を見ると、はるか彼方にF6Fの編隊を攻撃中の2機の「紫電改」がいた。そのF6Fの編隊はバリカン運動を行い、2機編隊が寄りつ離れつしていた。私は2機の「紫電改」を援護するために高度をとり万一に備えた。この味方のうちの1機はじっと時機をうかがい、敵編隊が離れる時をねらって最後尾の機に一撃を加えると、はさまれぬうちに急速離脱をした。それは猫が、飛び上がらんとする瞬間の小鳥を押さえる、あの早業に似ていた。
(うまいものだ。誰だろう)
と感心していると、
「いまのは墜ちたか?」
とくせのある声がレシーバーから聞こえた。聞きなれたそれは301飛行隊の菅野大尉であった。私はその早業を見て感心していたところでもあり、僚機からの返答もないようであったので、
「いまのは墜ちた。われ本田一番」
と返答をした。
「了解!」
とリズミカルな声が返ってきた。』
本田飛曹長が目撃した「2機の『紫電改』」のうち1機は文中に出てくるように菅野大尉ですが、もう1機、本田飛曹長言うところの「返答もしない僚機」はホリブンです!
へへー(^o^)、今日はめずらしく菅野さんの話だと思ったでしょう?
やっぱりホリブンの話でした(^O^)v
ホリブンの『紫電改空戦記』、同じく20年7月24日。
ホリブンはめずらしく菅野隊長の2番機として出撃します。
「区隊長に戦死でもされると、隊内を顔を上げて歩くことができない」
と言うぐらいのホリブンですから、このときも必死で菅野隊長について行きます。隊長がおとなしい人ではないので、これは大変だと思います。
『グラマン4機と4機が交叉したあと、次第に距離が開いていった。もうすぐ内側に旋回し始めるぞと思ったとき、隊長機が手近の、九州寄りに向かう4機の後上方に急下降した。私たち列機はびったりこの後ろについて降下する。
すごいスピードで敵に迫る隊長機は1番機を照準している。案の定、左方の敵4機が掩護しようとして、直に垂直旋回にかかった。急いで攻撃しなければ危ない。私には隊長の攻撃ぶりを一瞥さえすることができない。私は敵の4番機を照準器に入れようと操縦桿、フットバーを細かく操作した。
隊長機が引き起こしにかかるのが照準器の端に映じた。一瞬間私は照準器より目を離して、ちらと左の敵編隊を見た。いけない! 敵はもう600メートルほどに近づいてきている。グラマンの後上方についてせっかく照準器の中に入れたのであるが、残念ながらもう射撃する暇はない。
操縦桿を引き起こし、右足を踏んで右に上昇旋回。レバー一杯。別府湾の方へ全速避退する隊長の後ろにつこうとした。
そのとき耳もとのレシーバーが叫んだ。
「オーイ、俺ガ射ッタノハ墜チタカッ!」
隊長の特徴のある口調である。隊長自身、敵機の撃墜を確認する余裕なく避退したのであるから、射撃に手一杯だった私が、隊長の攻撃を受けた敵機の動きについて見ているわけがない。列機もまた同じ状況であるはず―。
ところが、意外にも返事がきた。
「今ノハ落チタ。ワレ本田一番」
407飛行隊の本田飛曹長が撃墜を確認していたのだ。
「了解、了解」
と答える隊長の声は軽く弾んでいた』
このあと、ホリブンが気づいたときには3番機4番機の姿が見当たらなかったそうなので、本田飛曹長が見かけた2機の紫電改は菅野大尉とおそらくホリブンだと思われます。
ところが、この話にダメ出しが出ています。
ママが出したんじゃないですよ。『源田の剣』が出しています。
歴戦の撃墜王、飛曹長、分隊士である本田飛曹長とホリブンがそれぞれの手記で「7月24日だ」と言っているこの出来事、『源田の剣』は「7月2日のこと」と言っています。
『源田の剣』調べによると、7月24日は菅野隊長が出撃していないらしいんですよねー。24日の戦闘301の指揮官は松村分隊長だって。松村さんご自身がそう言われているそうです。
で、『源田の剣』によると、菅野さんの「いまのは墜ちたか?」は「本田飛曹長の記憶では7月2日のことだったのである」と、書いてあります。
え? ということは「7月24日だ」と言っているのは結局ホリブンだけ?(-.-)
ホリブン! またですかー!?
またやっちまいましたー(^_^)ゞ
いつものように、
「同じ7月なんだから、2日でも24日でもどっちでもいいじゃないか(^o^)!」
って言いたいところですが、今回はそうはいきません。
20年7月24日―。
343空から鴛渕孝大尉、初島二郎上飛曹(戦闘701)、武藤金義少尉、米田伸也上飛曹、今井進1飛曹(戦闘301)、溝口憲心1飛曹(戦闘407)、6機もの未帰還を出した日です。
やっぱり、この日戦闘301を率いていたのが「誰でもいい」というわけにはいきません。菅野さんか松村さんかというのは気になるところです。
この日の編制表は残っていないとのこと。
証言だけが頼りみたいです。ご本人が自分が指揮官だったと言われているのだから、松村さんなんだろうなあ・・・・。
また、ホリブンが勘違いしているんだろうなあ・・・・。
でも、ホリブン、病気も怪我もせずにめちゃめちゃ働いています。日付を勘違いしているからって、みなさん、ホリブンを責めないでくださいね。
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