Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙9期 井上常夫さん2018年10月05日 10時13分55秒

井上さん、写真があまりないです。
大人数の集合写真には写っています。
少人数で写っているのがあまりないです。が、写っている写真はいい写真です。

山梨出身、偵察、飛行艇。

【予科練】
1学年時4班。


4班、霞ヶ浦海軍航空隊。
班長、熊谷兵曹の転出記念の集合写真。


偵察専修生集合写真





【飛練】
鈴鹿時代の奈良行軍。
橿原神宮の北神門。


博多、卒業。


【大型機講習時代】

先日見せていただいた石田勝さんのアルバムに貼られていた飛行艇専修生の集合写真。
あの写真の井上さん、すごくいいです。






おもいで
横須賀以来ヤルートまで足かけ五年一緒だったが。病気入院したり佐世保では飛行艇の火災で大やけどし戦地へ行ってもツラギといち早く散華した薄倖な星の下にあったようだ。

おとなしい中に何か恐ろしいくらいの闘志が秘められているようで、俺にはなんとなく近づきがたい存在であったが。




生存者の人がおもいでにも書いていますが、井上さん、予科練時代に病気入院しています。※病名不明
具体的には、島田清守さんが15年11月7日の日記で、
『八班国見新太郎 五班竹田俊二(司) 六班井上常夫 卒業前ニ入院ト云フ』
と話題にしています。
卒業までひと月を切ってからの入院です。
一緒に話題にされている国見さんはこれがもとで次期(10期)回しになり、さらに10期とも一緒に卒業できず、11期と一緒に卒業しました。
竹田さんも次期回しになったみたいです。
ところが井上さんは幸いにも卒業式直前に復帰し、みなと一緒卒業、飛練も無事に一緒に終えることができました。

「幸いにも」と書きましたが、それが果たしてかれにとって良い方に働いたのかどうかはわかりません。

佐世保時代もやけどをして40日ほど入院しているんですよね。
先日出した石田さんの佐世保飛行艇時代の写真の撮影日、石田さんは「2月」、本間猛さんは手記に「1月」と書いているのですが、井上さんが退院したのが1月の末なので、本間さん言われるように「1月」だとしたら、この写真は本当に井上さんの退院直後の写真です。

やけどをしたのは頭部(顔面? 耳?)みたいなんですが、写真を見る限りはわからないですけどね。

ほかの飛練10期生と同時に飛行艇講習を終えて、実施部隊は横浜空に赴任しています。

歴史に「もし」はないですが、もし、井上さんが予科練卒業間際に駆け込みのような形で退院せず、次期回しになっていたら・・・・
もし、飛行艇講習修了目前に退院して実施部隊に出ず、もう少しゆっくり療養していたら・・・・
と思わないでもないですが、それは他の戦没者全員に言えること。言ってもしかたないですね。




17年5月8日   横浜空  珊瑚海海戦




おもいでに「戦地に行ってもツラギといち早く散華した」と書かれているのは、17年8月7日の浜空のツラギでの玉砕の件ではありません。
井上さんは5月の珊瑚海海戦のおり、敵機動部隊捜索のためツラギ基地から発進して行方不明・戦死認定になったので、おそらくそのことを書こうとしたのだと思います。


※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック