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注意摘録2017年01月22日 19時32分40秒

島田清守さんがつけていた昭和14年の日記。
予科練に入ったのが13年6月なので、半年経って、ちょっと慣れて・・・・ってところでしょうか。




スキャナ出来そうな厚さではなかったので、一緒に行った荷物持ちにデジカメで撮影してもらいました。
全部撮影できていませんし、撮影してきた分もまだほとんど読めていません。



背表紙には「昭和十四年 当用日記」と書いてあります。

中はこんな感じです。
日付は印刷されています。

「天気」「寒暖」「予記」「発信」「受信」を書く欄が上にあり、下は自由に何でも書けるようになっています。

最初、ふつうの日記かなと思いながら読んでいたのですが、やたらと注意を受けたことが書かれているんですよね(^^;)

読んでいると興味深いです。
前に書いたかもしれませんが、ふつうの少年たちをこうやって海軍軍人にしていくのか、という過程がなんとなくわかる・・・・というか。

注意内容もおもしろいです。
緊張感がないとか、帰隊時間に遅れたものがいたとか、敬礼が悪いだとか、騒がしいとか。

中には、「我等の将来への失敗の原因たる病気に付いて」、受け持ちの教班長から注意があったという記述もありました。例の、アレですな。


甲飛といさかいがあったようで、それに関しての注意も受けていました。
その直前に、後から入隊して来た甲3期がすごいスピードで進級しているんですよね。乙9期はこれにカチンときたんじゃないかと想像してみたり・・・・。
※9期
  13年6月1日入隊 4空
  13年9月1日  3空
  14年6月1日  2空
※甲3期
  13年10月1日入隊 4空 
  13年11月1日  3空
  13年11月16日 2空
  13年12月1日  1空
Kさんご教示ですが、見た瞬間、何かの間違いじゃないかと疑ったぐらいの進級速度(^^;)
14年の初頭といったら上の通りの階級なので、3等兵の9期が1等兵の甲3期とケンカしとったんか、と胸が熱くなりました。※ふつうならありえません




不思議なのは同期生の名前がほとんど出てこないことです。
本当に少ないです。

注意以外のことも書かれていますよ。
外出したとか、十期が伝染病で隔離されたとか、あと、時間割。



あと、日付けがわかっていることで、9期にとってけっこうな”事件”だったのはないかと思われることがあるのですが、島田さんはそのことに関してはまったく触れていません。
上の人たちが練習生にはヒミツにしていたのか、あるいは、知っていたけど触れることがタブーだったのか?
それはわかりません。
当然書かれていると思っていたことが書かれていないと、それはそれで気になります(^^;)



で、昨日、K上飛曹に、
「予科練時代に日記をつけていましたか?」
と聞いてみました。

「うーん?」
って感じだったんですが、
「予科練生の日記を読んでいるんですが、やたらと分隊長やら教班長(教員)に注意を受けたことを書いているんですよね」
と話したら、
「お! 注意摘録といって、分隊長や教員から注意を受けたことを書いて毎日提出していた」
と思い出してくださいました。

K上飛曹の予科練時代(17年18年)と島田さんの予科練時代(13年~15年)ではちょっと時代が違いますが、もしかしたら島田さんの日記も注意摘録的な側面が強いのかなと思いました。

個人的な悩みのようなものや交友関係のようなことはほとんど書かれておらず、提出用なのかな、という気はします。ただし、上の人の検印のようなものはありません。


あ、あと、日記を読んで気づいたのですが、島田さんはラグビー部ではないようです。
倉町先生の『予科練外史』に9期ラグビーのメンバーが書いてあり、そこに「島田」とあったので、ご遺族の方に、たぶん清守さんのことだと思う、と話したのですが、日記を読むとラグビー部のことを他人事目線で書いているので、これはどうも島田直さんのことのようです。
直さんは鈴鹿時代相撲部だったみたいなので、ラグビー部の「島田」は清守さん、と思っていたのですが・・・・。直さんはラグビーも相撲もされていたんですね。
ちなみに清守さんが何部だったかは、日記からは現時点で把握できていません。

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