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池田和義さんの写真2014年01月28日 00時48分07秒

土曜日は池田和義さんの写真を見せてもらいに行っていました。
(乙9期、大正11年生まれ、静岡県出身、艦爆操縦、17年7月10日 マカッサル海峡)

写真は8歳違いの弟さんがご自分の写真と一緒にアルバムに貼られていたものです。
弟さんにとってお兄さんは、頭がよくてやさしい、あこがれのお兄さんだったようです。

というわけなので、残っている写真はおそらく「弟さんセレクト・お兄さんの写真」という感じなのだと思います(^^;)

うちわけは、予科練に入る前(学生時代)、予科練・飛練、実施部隊・・・・。
けっこうな枚数ありましたが、和義さんが子どものころの写真はなかったですね。

若い順に写真をご紹介。


学生時代?
後ろの方はお友だちかな?
左が弟さんです。そっくり。
弟さんもお兄さんたちに負けじと頑張ってる感じがします(^^;)


予科練時代。
横須賀の予科練庁舎前。13年夏。


予科練時代。
二等航空兵の階級章。霞ヶ浦海軍航空隊。
14年夏。


予科練時代。
2等航空兵の階級章で、霞ヶ浦海軍航空隊。
14年秋ごろから15年5月31日までの間です。
この写真の弟さんは誇らしげな感じですね。


予科練時代。
池田家家族写真。
階級章は2等航空兵に見えます。上の写真と期間は同じ。

前列左から、お兄さん、お父さん、おばあさん、お母さん、和義さん。
後列左から、弟さん、お姉さん、弟さんです。

お父さんも元海軍さんで、金剛をイギリスから回航してきたメンバーのお一人だそうです。


後列右端の弟さんが手に複葉機の模型みたいなものを持っています。和義さんからのおみやげ?(^_^;)



予科練時代。
1等航空兵。霞ヶ浦海軍航空隊。
15年の夏。



予科練時代?
この写真がよくわからない。
予科練の事業服のように見えます。胸元から水兵さんが着ているTシャツが見えているし。ただの汚れかもしれませんが、左胸に三学年の名札をつけているようにも見えます。
でも背景は一般の民家のようでもあるし。
わからないけれど、かなりリラックスした状態で撮られた写真だということはわかります。

右の人差し指に包帯をまいています。


 飛練時代。
ペアの顔触れから谷田部時代。15年12月~16年5月。
前列左から西山昇さん(兵庫 中攻操)、教員、新井正美さん(兵庫 戦闘機)
後列左から池田さん、不明、鹿島長重郎さん(神奈川 中攻操)



飛練時代。
1等航空兵ですが、善行章1線がついているので16年6月~9月までに限定できます。
ペンネントが「大日本帝国海軍」なので、どの教程時代のものかはちょっと・・・・。
艦攻(大村? 6、7、8月)か中攻(木更津 9、10月)だと思うのですが・・・・。



実施部隊。
下士官に任官していて二種軍装なので35空に着任してからのものではないかと想像しています。
(下士官任官後16年11月~翌年初めにかけてどこかで艦爆の転科教育を受けているはずですが、そのころは内地で一種のはず)

食堂?みたいな場所で撮られたようです。
後ろに「ビール」って文字が見えます。
右側の柱みたいなところに書かれてあるのは、まったく読めません。が、メニューなのかな?という感じ。
表情は・・・・
あまり「楽しい外出」という感じではないですね。
もしかしたら台湾での35空の事故(同期の和田邦介さんと村田耕一さんが亡くなられた・・・・)の後の池田さんかもなあ・・・・。


このあと、池田さんは17年7月10日、マカッサル海峡で戦死。二十歳。

12歳の弟さんの心にどんなふうに届いたのか・・・・。


※以前「(家族写真)後列左端のすぐ下の弟さんは、陸軍の航空隊で戦死されているそうです」と書いていたのですが、墓石の碑文を確認していただいたところ、海軍航空隊で整備員、19年9月9日マニラに向かう途中のバシー海峡で乗船を潜水艦に攻撃されて戦死されたとのことでした。18歳。
2014年6月23日訂正

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