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真珠湾攻撃に参加した乙9期生2014年01月17日 00時12分04秒

先の記事に真珠湾攻撃についてちょっと触れたので、9期生のことを書いておきます。

9期生は16年10月30日に10期飛練を卒業しています。
操縦の転科生(艦爆→戦闘機、中攻→戦闘機・艦爆)と、偵察の飛行艇・大型機専修を除いて、即日部隊への配属になったようです。
※9期生の飛練卒業・部隊への着任日については、九期生名簿では「10月31日」となっているのですが、複数の9期生の履歴(現物含む)では「10月30」になっています。



12月8日の真珠湾攻撃に参加した9期生が数人います。
全員、97艦攻の電信員(偵察専修)です。


【赤城】
村上守司3飛曹 (97艦攻 電信員) 第一次攻撃隊・水平爆撃隊
17年10月26日 翔鶴 ソロモン

『その時見たのです。空母に魚雷を発射しようとしていた村上の機らしいのが少し左にかわしました。空母が変針しかけたからです。発射後直進し、空母の上で火を吐き、通り越してから護衛の駆逐艦に自爆しました。
村上とは艦でいつも一緒でしたが、あいつは潔く戦死できるようにと、よく修養の本を読んでいました。
「立派に戦死したと言ってくれ。知っている人みんなに言ってくれ。」と、いつも言っていましたが、その言の通り立派に戦死しました』(萩谷談 『予科練外史』)




萩谷幾久男3飛曹 (97艦攻 電信員) 第一次攻撃隊・雷撃隊
19年7月24日 553空 北千島

雄翔館に、お兄さんに宛てた書簡の写しがあります。
おそらく真珠湾から帰ってきた正月に家に出した手紙。
『布哇空襲に参加して帰って来ました』と、誇らしげに書いています。




【加賀】
黒木勇三郎3飛曹 (97艦攻 電信員) 第一次攻撃隊・水平爆撃隊
17年6月5日 加賀 ミッドウェイ




【翔鶴】
高田忠勝3飛曹 (97艦攻 電信員) 第二次攻撃隊・水平爆撃隊
17年5月8日 翔鶴 珊瑚海




【瑞鶴】
繁富悦行3飛曹 (97艦攻 電信員) 第二次攻撃・水平爆撃隊
19年10月15日 K405 九州沖




西谷芳数3飛曹 (97艦攻 電信員) 第二次攻撃隊・水平爆撃隊
19年3月31日 851空 内南洋

真珠湾攻撃時の心情(『予科練外史』)
『前夜は半睡。
身辺の整理をすませ、同期の兼藤二郎と予科練の思い出、失敗談などをした。
遺書は父母、兄弟に一週間ほど前に書いた。--永い間の恩を謝し、今日の名誉を喜んでくれるように、と』
『天候はよくないが気分は上々。勇壮な気持がわいた。
偵察は甲四の大西久夫二飛曹、操縦は大河内正二一飛曹。
「敵弾が機に中ったら突っ込もう」と話し合った』
『「敵艦隊は全滅だ!」というと整備員は、
「おめでとう。」とニコニコしながら言った』




兼藤二郎3飛曹 (97艦攻 電信員) 第二次攻撃隊・水平爆撃隊
17年5月7日 瑞鶴 珊瑚海


瑞鶴の3人と翔鶴の高田3飛曹は全員広島県出身です。




攻撃には参加していませんが、飛龍の清水巧3飛曹も同行しているはずです。
真珠湾からの帰途に行ったウェーク島攻撃には艦攻電信員として参加。
17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ



あと、加賀の1月の行動調書にお名前がある平山繁樹3飛曹と島田直3飛曹、翔鶴の1月の行動調書にお名前がある堂前清作3飛曹も同行していた可能性ありです。


前の記事に書いた大塚孝平3飛曹については、翔鶴の飛行機隊行動調書にお名前がないので、同行していたかどうかもわかりません。
※祥鳳の飛行機隊行動調書では、2月の分から97艦攻の偵察員としてお名前が出ています。



偵察員に関しても、おひとりおひとりお顔がわかってから出したいと考えていたのですが、ほとんど情報がないので、
「わたしが生きている間に無理かも・・・・」
と不安になってきました。
今回のように機会があればお顔がわからない人でもなにがしかの情報を書いていこうかと思います。
重複するかもしれませんが。


※画像は雄翔館、羽藤さん 参考:吉良敢・吉野泰貴『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』大日本絵画

乙9期 坂田清一さん2014年01月17日 12時45分53秒

新潟県出身。偵察員。
18年2月、瑞鶴。

坂田さんは雄翔館に氏名入り遺影がありました。
左・松沢正二さん(偵察)、右・坂田清一さん


こちらが坂田清一さん。

ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。階級章は2等航空兵。
14年の秋・冬ぐらいか?



【東京行軍】
13年6月


【香取神宮】




【飛練・博多卒業写真】
16年10月


もう一枚、同郷の町谷昇次さんと厳島神社で撮ったツーショット写真があります。



おもいで
「ハチオン(発音)不良。通信訓練中、ズウズウ弁で長岡教員「坂田読ンデミロ」「ハイ、エロハ(イロハ)」「ナニイットルンダヤリ直シ」また「エロハ」」
「飛練時代平山班長の下で同班だった。飛練最後の日、白子の海岸を二人きりで深更まで散策したね。そして昭和二十年三月二十九日に君は新竹基地の彗星隊の一番機で白鞘を抱いて従容として飛び立った。すでに期するものがあったのであろう」
「まったく実直な男だった。頼まれれば新発田から米搗きにきたであろう。同県人としても誇りに思う。もう半月生きていてくれたら終戦だったのにと、悔やんでも惜しみある」




20年7月26日          沖縄

坂田さんの戦死時の所属航空隊がわかりません。
九期生名簿にも雄飛会の名簿にも「201空」と書いてあります。
艦爆の偵察員だと思うんですよネ・・・・。
経歴研究家さんからいただいた名簿でも航空隊は空欄なので、保留ということで・・・・。



画像は雄翔館、羽藤さん、松本さん。


※乙9期戦没者はこちら