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海兵団2012年04月08日 17時07分17秒

森田勝さんと大西要四三さんをどうやって特定したのか、書いたら長くなるから、と省略したことがありました。

あれ、簡単にまとめてみました(笑)。

武田さんに見せていただいた松本さんの写真の中に、↓こんな写真がありました。

一見普通の集合写真に見えますが。
これ、わたしにとっては感涙モノの1枚でした。

写っているのは乙9期生43人。
たぶん、操縦専修の谷田部組。
先日ここに出した飛行服集合写真の面々と同じ顔ぶれです。

一種軍装なので、名前がわかるものはまったく身につけていませんが、よくよく見ると、軍帽のペンネントが海兵団ごとに違っているのです。

たとえば、愛媛出身の羽藤一志さんなら「佐世保海兵団」。
前から3列目、左から4人目。


同じく愛媛出身、松本勝正さんも「佐世保海兵団」。
前から3列目、一番右。


千葉出身の木村裕さんなら「横須賀海兵団」。
前から2列目、一番右。


福島出身、遠藤桝秋さん「横須賀海兵団」。
最後列、左から4番目。

↑この人たちはお顔がわかるのでよいのですが、その他大勢はまったくお顔とお名前が一致しません。

そこで、”作業”しました。
写っている全員の海兵団がわかるので、海兵団ごとにわけて(横須賀、舞鶴、呉、佐世保)、それから飛行服集合写真のお顔と照合しました。



この人、仮称「舞鶴4」さん。

この人の飛行服写真、救命胴衣の名札の記名がかすかに読めました。
漢字2文字。上の字は「八」とか「大」みたいな雰囲気。下の字は四角っぽい漢字。

で、舞鶴海兵団なのでそこに所属する県出身の人を探してみたところ、該当するのが滋賀出身の「大西要四三」練習生お一人だった、と。

前に「大西さん、デカイよーーー」ってココに書きました。
上の集合写真では、前から2列目、左から2人目です。




森田勝さんの場合は、飛行服姿の方、胸元から「森」という札が見えています。
ただし、「森」何とかさんが5名いて(森健次、森田豊男、森田勝、森田守、森浦東洋男)、しかも森さん以外の4名が確実に操縦専修なので、その中のどなたなのかわかりませんでした。

ここで、海兵団バージョンが役に立ちました。
仮称「横須賀5」さんが、飛行服の「森」何とかさんと同じお顔。同一人物。

横須賀海兵団の管轄で「森」何とかさんは北海道出身の森田勝さんだけだったので、この人を森田勝さんと断定しました。

森田さんは上の写真では最後列、右から4人目です。



もうお一人、飛行服写真で「森」何とかさんがいました。こちらの方は救命胴衣の記名に「森」って字が見えています。

この方は海兵団バージョンのこの人と同一人物。
仮称「呉11」さん。    前から2列目右から2人目。

該当者は兵庫出身の森田豊男さんだけ。

家にある本をいろいろ探したら、神立尚紀さんの『零戦 最後の証言Ⅱ』の角田さんのところに、2空時代の森田さんの写真が掲載されていました。
たぶん、同一人物です。

それを見ていたら、
「あっ! この人!?」
その写真で森田さんの隣の隣に写っている搭乗員が、
たぶん、この人だと思うんです。
飛行服バージョンに、お名前のヒントは何もなし。

『零戦 最後の証言Ⅱ』には、「横山三飛曹」とキャプションがついていました。ありがたいっ!!

仮称「呉4」さん。    最後列右から6人目。
三重出身の横山孝さん。たぶん、この写真の人が横山さんだと・・・・。


とまあ、こんな感じで、海兵団写真をもとに、あーでもない、こーでもないと悪戦苦闘しています。
わかりにくい話でスイマセン。

カテゴリ新設2012年04月08日 22時27分35秒

カテゴリ[乙9期]を新設しました。
[西澤廣義写真集]に続く、”身の程知らずなカテゴリシリーズ”第2弾(笑)

今後、増えるかどうかは・・・・

・・・・わかりませんが、増える可能性はあります。

まだわかりません。

増やしたいという希望は持っています。

できたら9期生全員、お顔とお名前をここに書きたい。

どこかに、裏書きのある集合写真ないかなあ???

桜川2012年04月09日 10時56分03秒

2月の終わり頃から、ブログもうわの空になるほど熱中して見ていたのは、乙9期出身の戦闘機搭乗員、羽藤一志さんの予科練時代のアルバムです。

知人経由で、ご遺族の方からお預かりしました。
大事なアルバムを・・・・ご遺族の方には本当に感謝、感謝です。

わたしが見たからといって、何か重大なことがわかるというわけでもなく(^_^;)
どちらかというと、「ただ、見て、終わった」ような気もしますが・・・・
それでも、いくらかは、
「あああーーーー!(゜Д゜)」
なことがあったので、ここに書いていこうかと思います。

羽藤さんのアルバムに、↓こんな写真が貼られていました。

川・・・・木造の橋・・・・堤防の桜・・・・

ぐらいの印象で、最初は気に留めていませんでした。
堤防や橋の上に、海軍軍人らしき人影は見えますが、いくら拡大しても士官か下士官かすらわからないような感じで、羽藤さんは写っていそうになかったからです。仮に写っていたとしても、とても判別できる状態ではありません。

「横須賀近辺の桜の名所かな?」
と思って、あまりちゃんと見ていませんでした。

何回目かに見たとき、ふと、写真の中に文字があることに気づきました。


何ですかね?
舟の覆い? 何かの広告?
それはちょっとわかりませんが、とにかく「羽富鉄工所」という文字が見えたので、ネットで検索してみました。

ヒットしましたよ(^_^)v

土浦にある会社でした。

「土浦か!?」

ネットで土浦の桜の名所を探したところ、桜川という川がこの写真によく似ているんじゃないかと。

じゃあ、次はあの木造の橋だ!

これもネットで古写真を探したのですが、残念ながら同じような橋を見つけられず。

行き詰まったら、いつもの手段、他人頼み(笑)。

土浦の博物館の学芸員さんに相談したらすぐに判明しました。
「桜川の銭亀橋」
だそうです。

(地図を貼りたかったのですが、貼り方がわからない(>_<)ので、興味のある方は検索してください。土浦橋(国道354)のひとつ下流側の橋です)

銭亀橋は慶長18年(1613)架橋。土浦八景のひとつ。
たびたび架け替えられ、現在はコンクリートの橋。

桜川は当時から桜の名所だったようで、芸者衆を乗せた屋形船などで賑わったそうです。

松本さんの写真の中にも同じ写真があったので、もしかしたら、乙9期生たちでここにお花見に行った思い出でもあるのかもしれません。

※参考文献『むかしの写真・土浦』土浦市教育委員会・土浦市文化財愛護の会

楠公銅像前2012年04月10日 09時26分30秒

羽藤さんのアルバム、説明書きがついている写真があります。

これもそのうちの1枚。
東京行軍時の楠公銅像前で撮られた記念写真。


松本さんが家族に宛てた書簡によると、乙9期は横須賀の予科練入隊直後の6月12日、「東京行軍」という行事をやっています。

『宮城や明治神宮や靖国神社や泉岳寺、乃木神社に参りました』


羽藤さんのアルバムには東京行軍時の写真が何枚かあって、集合写真だけでも「楠公銅像前」、「宮城前」、「海軍館前」、「神宮外苑前」と、貼ってあります。

松本さんの方は、わたしが見た限りでは、東京行軍の写真はあまり・・・・(^_^;)
(手紙には『(東京行軍)非常に嬉しくありました』って書いてあります)

たぶん自分で選んでアルバムに貼ったんだと思うのですが、個人の好みなのか、思い出の度合いなのか、写真の構成、おもしろいです。
別に統計を取ったわけではなく、ただの印象ですが、松本さんの写真はスポーツ系が多いかな?
ラグビーとか水泳とかやっている最中の写真。誰が誰やらさっぱりわかりません(笑)
羽藤さんは行事集合写真系? 東京行軍以外にも鎌倉行軍の集合写真も複数枚貼ってありました。

ただ、せっかく貼ってくれているこの集合写真、かなり手強い(笑)
肉眼ではほとんど判別不可です(泣)

↑見ていただいたらわかると思いますが、まず探す気が起きません。

でも!
「この中に絶対にいるんだ!」と思えば、意地でも探したくなります。

探してみました。
さすが、昔の写真! パッと見、探す気が起きなくても、写真そのものの精度はすごい!
たぶんうちのデジカメで同じ光景を撮ったら、各人、ただのギザギザだろうな?(笑)

どこにいるか、「何列目、左から何番目」という説明はできそうにないので、お顔だけでお許しを。
あと、いつも言っていますが、あくまでも”わたしが見て「○○さん」”ということで出していますので。


羽藤一志さん。

遠藤桝秋さん。

松本勝正さん。

上原定夫さん。

中野鈔さん。

木村裕さん。

大西要四三さん・・・・かなあ?



予科練の集合写真の並び順って、どうなっているんでしょうね?
飛行隊の集合写真はわりと階級(先任順)に沿って原則通りに並んでいると思うのですが、予科練の並び順は・・・・?
背の順ではなさそうです。小さい人が前で、大きい人が後ろという原則はないようです。
というのも、羽藤さんや遠藤さん、集合写真の中列辺りに紛れていることが多いです。

分隊別かなあ?

それとも、テキトー?

ミヤブン2012年04月10日 23時21分07秒

今日、お昼前に、宮崎勇さんが亡くなられたそうです。
92歳・・・・。

ご本人は、
「100歳まで生きるんじゃーーー」
と言われていたので、ぜひそうしてほしかったのですが・・・・。

ガミガミしゃべる独特のミヤブン節は、もう聞けないのですね・・・・。

大好きな分隊士でした。

ご冥福をお祈りいたします。