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どうでもよくない戦史2011年06月07日 08時25分36秒

久米さん、ホリブン、吉田さんが、エンタツアチャコにサインをもらった話はどうでもいいかもしれませんが、この手記の中でママがどうしても気になって仕方がないところがあります。

それは、久米武男さんのことです。
予科練乙9期の出身。

ホリブンが乙10期なので、ホリブンより1期先輩(半年早く入隊)。

この二人、同じ航空隊になったのは三亜空が初めてではありません。

17年の4月、5月、久米さんはニューギニアのラエ基地にいました。台南空。
当時の台南空には、乙9期生としては木村裕、遠藤桝秋、羽藤一志、熊谷賢一、新井正美、鈴木松巳、上原定夫の各3飛曹がいました(久米さんと同時期にいたと確認できる人)。

『日本海軍戦闘機隊2 エース列伝』のホリブンの項によると、堀3飛曹は「5月台南空発令」となっています。

ここが微妙なところです。

久米さん、ママ調べによると、5月4日に坂井さんとペアを組んで基地上空哨戒をやったあと、パタと行動調書から名前が消えてしまいます。
その後、内地に引き上げる11月まで復活せず。251空にもお名前が見当たらないようなので、結局、台南空(251空)復帰された様子はないようなのです。

大病でも患ったか・・・・。時期が中途半端な気もしますが急に転勤してしまったか・・・・。定かではないのですが、あっちでホリブンと顔を合わせている可能性は限りなく低いような気もします。

現地で長期入院していれば、顔を合わせている可能性はあると思いますが・・・・。

ホリブンと久米さんが、台南空時代、ラバウルやラエで実際に対面していたかどうかはちょっと不明です。
不明ですが、乙10期が半年遅れで戦場に出てきたときは、乙9期は戦場経験もある程度積んだまばゆいばかりの先輩たちだったはず・・・・。


ところが・・・・。
吉田さんの手記、「三亜空に着任」18年11月の時点で、なぜか、ホリブンは”上飛曹”、久米さんは”1飛曹”として記述されています。
(当時の海軍航空隊下士官の階級は上から「上飛曹」「1飛曹」「2飛曹」)

ホリブンの方が後輩なのにいつの間にか追い抜いてしまっているのです。

たとえば・・・・同じ予科練でも甲飛、乙飛、丙飛・・・・と出身が違えば、いつの間にか階級逆転ということはありえます。
しかし、同じ乙飛の出身で、追いつくことはあったとしても、階級逆転ってふつうありえないはずなんですけど・・・・。


吉田さん、併記の際の記述順も、必ず「堀上飛曹、久米1飛曹」「堀さん、久米さん」という書き方をされています。

「もしかして、久米さんはおとなしいホリブンにさらに輪をかけたおとなしい人で、周囲の人が”ホリブンより後輩”と勘違いしていたのではないか」

とも思えますが、そんなことはありません。
吉田さんはちゃんとお二人のことを「堀上飛曹(乙10期)」「久米1飛曹(乙9期)」というふうに書いており、予科練の先輩後輩関係はきっちり把握しているのです。

わたしは進級関係の資料は持っていないので詳しい方に尋ねてみたところ、乙9と乙10は18年11月に同時に上飛曹に進級しているんじゃないか、とのこと。

自分で久米さんの進級に関して裏が取れていないので昨日は「久米上飛曹」と書きましたが、吉田さんの手記では誤植でもなく、おそらく勘違いでもなく、はっきりと「1飛曹」と書かれています。

階級だけの問題ではなく、実際の戦闘行動においても、堀さんの方が上?みたいな記述もありました。

これが現実だったとしたら、ホリブンはさぞやりにくかっただろうと思います。
自分が戦場に出てきたときは、久米さんたち乙9期というのは、すでに連日出撃をこなしている一人前の搭乗員だったでのですから。
(乙10期はこのあと半年ほど台南空にいたものの、あまり出撃の機会は与えられませんでした)


「久米1飛曹」、いまだに謎のままですが、
「もしかして久米さん、何か事情があって進級がストップしていたのみならず、飛行機にも乗れない時期(←かなり長期間)があったのかな?」
と想像させる吉田さんの手記でした。

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