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どうでもいいかもしれない戦史シリーズ2011年06月06日 18時31分42秒

ママはときどき、どうでもいいことをここに書きたくなります。

いったい、いままで、どんなどうでもいいことを書いてきたか、サイト内検索して振り返ってみました。

搭乗員のあだ名

ホリブンの搭乗機

笹井中尉のファッション

搭乗員の職歴

飛行服の匂い・・・・

などなど。
みなさんにはどうでもいいかもしれませんが、ママはこういうのが好きなんです。

今日も、われながら、
「こんなこと、どうでもいいかもしれないな・・・・(-_-)」
と思いつつ、やっぱり書かずにはおられないので、書くことにしました。

題して、
【ホリブン、人気漫才師にサインをもらう!!】

ママがホリブン本人をご存じの方々に調査(?)を試みたところ、みなさんのホリブンの印象というのは概ね一致したものでした(お一人を除く)。
「おとなしい人」
「控えめな人」

こんなホリブンですが、人気漫才師にサインをおねだりして手に入れたことがあったのです!

吉田年宏さんの搭乗員時代を記した手記(遺稿らしい)。
この手記の後半は、なぜかやたらとホリブンが登場しています。

18年11月、吉田さんが、大村空から新設の三亜空に転勤になった折、ホリブンも一緒に転勤になったのです。

そこから・・・・零戦の空輸任務、南寧攻撃、高雄空へ転勤・・・・ずっとホリブンと一緒です。
ホリブンの名前がこれでもか!と出てくるうれしい手記なのです。

吉田さん、当時の日記でも見ながらこの手記を書かれたのではないか、と思いたくなるぐらい日付や時間まで詳細に書かれています。

最初の空輸任務(三亜空発令直後)。
三亜空に必要な零戦を内地からまず高雄まで運んだあと、5名の搭乗員が再び内地に零戦を取りに帰るように言われました。
その中にホリブンや吉田さんがいました。なんと! あの台南空の久米武男(吉田さん手記では「武雄」)兵曹(乙9)も!

今回のサインの話はこの3人のお話です。
(久米さん、台南空時代のエピソードも目にしたことがないので、これは貴重なエピソードと思われます)

台湾から(おそらく輸送機で)戻ってきたメンバーは、数日の休暇のち、横須賀航空隊集合ということになっていました。

この3人は鹿屋到着後、列車で陸路それぞれの実家に向かいます。
まず、岐阜でホリブンが下車。続いて愛知出身の吉田さんの番。久米さんが横浜まで。

休暇も終わり、吉田さんが待ち合わせの横浜の宿に行ったときには、すでにホリブンと久米さんは先に来て待っていました。
久米さん「この宿に、横浜で公演中のエンタツ・アチャコが泊まってるぜ。ひとつ押しかけていって話してみないか」
ホリブン・吉田さん「そうだな、そうしよう\(^O^)」
                            (横山エンタツ、花菱アチャコのコンビ漫才師)


エンタツ・アチャコはまだ帰っていなかったので、3人はしばらく帰りを待っていました。
そのうち、ほろ酔い上機嫌のエンタツ・アチャコが帰ってきました。


「おばんです(^o^)」
「わたしたちは、三亜海軍航空隊教員の久米上飛曹(吉田さん手記では「1飛曹」)、堀上飛曹、吉田1飛曹です。ぜひ、エンタツ・アチャコ師匠とお話がしたいと思い待っておりました!」
「それはご苦労様であります。ほろ酔いで申し訳ありません、是非、戦地でのお話をお聞かせください。あなた方のお気持ちを国民のみなさん方に必ずお伝えします」
「おおっ!(^O^)」

ということになり、戦地での体験談(ただし楽しい話に限る)、替え歌など1時間以上歓談。

そして、最後に、
「エンタツ・アチャコ師匠!! 記念にサインください!!(^O^)」
と、われらが海軍航空隊のベテラン教員3名はさっと白いマフラーを差し出したのでありました。


果たして・・・・おとなしいホリブンが、エンタツ・アチャコのサイン&似顔絵入りマフラーを愛用して戦っていたかどうかは不明です。                  ※誰の似顔絵なのかは不明



※文中の会話・発言は妄想(込み)ですが、出来事・登場人物は吉田さんの手記による

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