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九期留魂録の中攻偵察員たち12016年07月01日 08時02分06秒

これから書くことは半分妄想みたいなもので、確証はありません。

すぐに訂正事案化する可能性もあるので、そのつもりで読んでください。




9期(飛練10期)の中攻偵察員たち@木更津


以前から、かれらのことで気になっていることがありました。

倉町先生が『予科練外史』に書いている九期留魂録のことです(『予科練外史』4「留魂録」)。
17年4月13日、土浦に訪ねて来た石井三郎さん、南弘明さん、古田保雄さんを前に、前年の年末、たまたま汽車の中で会った9期中攻偵察員たちにひとこと書いてもらった九期留魂録を広げ、戦死した同期生の話題に・・・・。

『彼らは八人の名前をあげたが、実は井上の外、この日までに十人が戦死していた。九期全体ではなく、ここに名を連ねた四十三人のうちだけで、別れてわずか三ヶ月の間に』

ここで本文に戦死者のことばとして挙げられている10人は、加藤勝正さん、本間秀人さん、蒲田栄作さん、岡田温次郎さん、植田竹治郎さん、池本忠清さん、轟木省(りっしんべんに省)さん、国本力さん、大山輝一さん、岸川正人さん。

あと、その場にいた南さんと古田さんも本文中で九期留魂録のことばが紹介されています。

さらに、そのページには九期留魂録の画像が掲載されていてそこには、鈴木俊夫さん、藤原国雄さん、小笠原武夫さん、前川重美さん、蒲田さん、中名主巽さんのことばが写っています。



このとき九期留魂録にことばを残した「43人」とはいったい誰なのか?



これは留魂録現物を見る機会がなければわからないだろうと諦めていたのですが、最近、行動調書をもとに作っている表を整理し直していて、

「もしかしたら、ある程度絞れるのでは?」

という気になって、作業してみました。




ここからがちょっと信憑性にかける話です。そのおつもりで・・・・。

飛練10期を卒業し大型機講習も終えたかれらは、全員が実施部隊へと配属されたのではないかと思っています。
木更津写真に写っている9期生は57名ですが、それに8期の小薬武さんを加えて58名ということにしておきましょう。



配属先。
※着任直後は行動調書に名前が出ていません。ある程度時間が経ってからそこに記載されるような任務に就いています。もしそれ以前に異動していたら下に書きだした配属先は間違っているかもしれません。
※太字は『予科練外史』で九期留魂録にことばを残していると確認できる人

【千歳空】
植田武雄さん
浅沼正信さん
石井三郎さん
石井雄さん
伊藤誠一さん
宮沢政雄さん
川村幸雄さん
佐々木武治さん
8名

全員横須賀です。


【鹿屋空】
鈴木光雄さん
北村貢さん
岡本清見さん
高坂浪次さん
仲野修さん
新井誠二さん
篠原藤市さん
牛澤四郎さん
藤原国雄さん
鈴木俊夫さん
三浦光雄さん
川原与三郎さん
畑中嘉夫さん
小薬武さん
14名

基本的に横須賀のようですが、なぜか呉の畑中さんが一人だけ・・・・。
もしかして、いったん他隊に着任してから鹿屋空に転勤してきたのか? ちょっとわかりません。


【1空】
北村彰男さん
前川重美さん
牛王正明さん
3名

全員呉です。


【元山空】
植松繁さん
井上三千人さん
杉野憲市さん
山村喜郎さん
金田吉武さん
高橋兼春さん
藤島光夫さん
古田保雄さん
南弘明さん
9人

佐世保+舞鶴でしょうか。
舞鶴の中攻偵察は南さんしかいないので、これが特殊な状態なのかそうではないのか判断できません。


【高雄空】
二階堂信治さん
志村実さん
本間秀人さん
小笠原武夫さん
蒲田栄作さん
植田竹治郎さん
山下員雄さん
加藤勝正さん
西本宗方さん
井上春男さん
加村外三さん
国本力さん
上原信之さん
岸川正人さん
谷村博明さん
井野久雄さん
池本忠清さん
米盛朴さん
中名主巽さん
轟木省さん
岡田温次郎さん
大山輝一さん
鶴見堅三さん
立井義春さん
24名

ここは鎮守府関係ないみたいで、横須賀、呉、佐世保がいます。
このうち17年2月10日に編成された4空に移ったのが、志村さん、本間さん、蒲田さん、植田さん、加藤さん、岡田さん、加村さん、中名主さんではないかな?


本題に戻ります。

こうして見ると、九期留魂録に名を連ねているのが、千歳空以外の航空隊――鹿屋空、1空、元山空、高雄空――に配属になった搭乗員たちであることがわかります。

倉町先生が、汽車で一緒になった偵察員たちのことを、
『明日、佐世保海兵団へ仮入団し、一部はサイゴンへ、一部は高雄へ。そこからそれぞれ分かれて任地に征くという』
と書いていることと矛盾しないと思います。
千歳空はこの頃、南洋におるんですかね。千歳空組がいつどうやって戦地に向かったのかは把握していませんが・・・・。

『予科練外史』本文でも、訪ねて来た3人のうち古田さんと南さんのひとことは紹介しているのですが、石井三郎さんのことには触れていません。
それはかれが千歳空組で、この汽車に乗っておらず、よって九期留魂録にことばを残していなかったからでしょう。


というわけで、千歳空以外の人数を足してみると・・・・50名!

「43名」とは?

わかりません。

わたしはその汽車には50名乗っていたと思うんです。小薬さんも入れて。
もしかしたら急病などで同行できなかった人がいる可能性もありますが、みな元気だったと仮定したら、50名一緒だっただろう、と。

汽車には50名おった。
しかし、何らかの事情で7名が書かなかった。
結局、倉町先生の手元に九期留魂録として残ったのは43名分。

誰が書いていないのか。
わたしの推測ではこのとき汽車に乗っていたのは鹿屋空、1空、元山空、高雄空の中攻偵察員たち。
この中で、『予科練外史』「留魂録」で、この時点(17年4月13日)で戦死しているのに書きつけたことばが取り上げられていない偵察員はいないか?
上に書いたことと重複しますが、先生は「井上の外、ここに名を連ねた四十三人のうちだけで十人がこの日までに戦死していた」という意味のことを書いています。
その10人として挙げているのが加藤勝正さん、本間秀人さん、蒲田栄作さん、岡田温次郎さん、植田竹治郎さん、池本忠清さん、轟木省(りっしんべんに省)さん、国本力さん、大山輝一さん、岸川正人さん。
この人たち以外に、この日までに戦死している中攻偵察員(鹿屋空、1空、元山空、高雄空)はいないのか?
※植田武雄さん(17年2月2日)は千歳空なので、汽車に乗っていなかったものとして除きます。


います。
井上春男さん・・・・17年2月18日、高雄空、蘭印方面。
もともと先生が井上さんの消息を3人に尋ねたことから九期留魂録の話につながっていくのですが、肝心の井上さんが書きつけたことばに関しては紹介されていません。
志村実さん・・・・17年2月20日、4空、ニューギニア沖。
一緒に高雄空から4空に異動し同じ戦闘で戦死した本間さん、蒲田さん、加藤さん、岡田さんに関しては本文中でことばが紹介されています。志村さんだけありません。

というわけで、このお二人は留魂録にことばを残していない可能性が高いです。

あと・・・・。
「九期」と名付けているということは書かなかった7名の中に小薬さんが含まれているのか?

小薬さん、井上春男さん、志村さんが書いていないとして、残り4人。
これはまったくわかりません。
たぶん、これ以上は留魂録現物を見ないとわからないと思います。






なぜ書かなかった人がいたかはもう想像するしかありません。
寝ていた。
酔っぱらっていた。
紙とペンがまわってこなかった。
時間切れ。

まあ、ここでいろいろ考えてもわかりません。



確証がないならここに書くなって話ですが、紙に書くとどこにいったかわからんようになるんで・・・・。
間違いが判明したら訂正記事を書きます。


※画像は9期生ご遺族ご提供


九期留魂録の中攻偵察員たち22016年07月01日 08時10分08秒

16年12月30~31日、東海道車中にて
九期留魂録にことばを書いている偵察員(倉町秋次『予科練外史』4「留魂録」)。



加藤勝正さん
渺望果し無き太平洋 いざ快男児征かん
              中攻の放浪児 加藤(勝正)

高雄空→4空
17年2月20日 ニューギニア沖



蒲田栄作さん
若人の誇を失せず 国家の捨石たれ
自己の信念のまゝ 明朗快活に
                              蒲田栄作


高雄空→4空
17年2月20日 ニューギニア沖



本間秀人さん
全世界の革新と黎明を期す
太平洋の光輝ある捨石になろう
自己の信念に生きられる自己満足した人間になろう  
                             本間秀人


高雄空→4空
17年2月20日 ニューギニア沖



岡田温次郎さん
米国何スル者ゾ!!       岡田温次郎

高雄空→4空
17年2月20日 ニューギニア沖



植田竹治郎さん
体当りで行かん      植田竹治郎

高雄空→4空
17年3月21日 モレスビー攻撃 ※戦没者名簿訂正



池本忠清さん
天皇陛下萬歳    薩摩産 池本忠清

高雄空
17年3月28日 コレヒドール島



轟木省さん(りっしんべんに省)
轟沈ニ次グ轟沈此ノ意気デ     轟木省

高雄空
17年3月28日 ポートダーウィン



国本力さん
武士道とは死ぬこと。予科練魂とは勝つことと見付けたり
                                  国本 力


高雄空
17年4月2日 コレヒドール島



岸川正人さん
笑って征途に就かん        岸川正人

高雄空
17年4月4日 ポートダーウィン



大山輝一さん
のばすぞ若き翼を     大山輝一

高雄空
17年4月4日 ポートダーウィン



小笠原武夫さん
南進壮業に趣かんと勇躍発奮士気極めて旺盛なり
                            小笠原武夫


高雄空
17年6月15日 ダーウィン



鈴木俊夫さん
(前半不明)勇躍征途に就かん
                鈴木俊夫


751空
18年1月27日 ガダルカナル島



古田保雄さん
九鷲の魂こもる記念の樹
  雄飛の松は永久にゆるがじ
  出征の途上東海道の車中にて   九鷲  古田保雄

751空
18年3月6日 ニューギニア



南弘明さん
サイゴンの空へ    南 弘明

751空
18年2月4日 ニューカレドニア島北方海域
※ということになっているのですが・・・・



前川重美さん
予科練魂で体当り 死場所は南の空が本望 早く来れ
                               前川重美


751空
19年1月4日 ニューギニア方面
※カビエン?



藤原国雄さん
先輩の後につゞかん
           藤原国雄


762空攻撃708
19年10月13日 台湾東方沖



中名主巽さん
微力をば君に捧げて倒れるは
        大和男子の誉なりけり
                    中名主巽


1081空
20年3月28日 新竹→上海、行方不明



※画像は9期生ご遺族ご提供