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新聞記事2016年07月14日 08時41分35秒

昨日は「見せねーよ」と言ったんですが、イラストにしてみたのでどーぞ見てください(・ω・)ノ


古墳の、竪穴式石室の中の粘土床(遺体を安置する場所。本当はここに木棺があったのだけれど長い年月で消滅)に寝そべって作業中。
後ろから撮られていました。

こんなんが新聞に載っていたなんて、昨日初めて知りました(笑)
たぶん、これ、わたし以外が見ても「わたし」だってわからないと思います。


イラストでは省略していますが、側壁が崩れてきたらいかんので、板と棒で何箇所も支えていて、その下でヘルメットをかぶって作業しています。が、崩れてきたらヘルメットじゃ役に立たんですよね(^^;)


めちゃくちゃ寒かったんですよ。下に寝袋を敷いて、その上に寝そべっています。
このときはわたしと、後方に同級生がもう一人寝そべっていますが、ふだんはさらに先輩二人が入って作業をしていた記憶が・・・・。
お二人とも考古学以外の話題が豊富でね~(笑) 楽しかったですよ♪
お二人ともいまは大学教授をしています。
それこそもう20数年お目にかかっていません。お名前だけはよく見かけるんですけどね。


いい経験をさせてもらったのに、その後の人生でまったく役立てることができず申し訳ない気持ちでいっぱいです(・ω・)ホンマか~?

萩谷さんの操偵検査写真2016年07月14日 21時08分04秒

以前一度出したのですが。

スキャンに失敗していて、左端の方がきれいに写っていませんでした。

後列左端の人がもひとつ誰かわからず、

「伊藤誠一さんだろうか?」

とそのときは書いたのですが、今回、萩谷さんのご遺族の方に別件で手紙書いたので、

「写メでいいんですが・・・・(^^;)」

と後列左端の人を撮って送ってもらえないかお願いしてみました。


そしたら写真で送ってきてくださいました。
お手数をおかけして申し訳ないです、ありがとうございました。

おかげでどなたかわかりました。

筒井富雄さん(高知、艦攻操縦)でした。
1学年時3班です。

他のメンバーは永田慶士さん(3班)、繁富悦行さん(3班)、川原与三郎さん(3班)、野村茂さん(3班)、萩谷さん(2班)、というわけで、やはり3班メンバーに2班から萩谷さんお一人が加わっている状態でした。



あと、整備兵曹だった弟さんの分と、履歴を見せていただきました。
幾久男さん、南太平洋海戦後に翔鶴を離れてから、北の守りに着くまでの足取りもわかりました。

弟さんの最期は、上の写真に写っている永田慶士さんと同じ状況のようです。比島に取り残され・・・・。


※画像はご遺族ご提供