『大和路を訪ねて』3 ― 2013年07月25日 17時52分14秒
鈴鹿の偵察専修生たちのアルバムには、個々の写真にキャプションはありません。
「大和路を訪ねて」と書かれたページにも。
「奈良なんだなあ」
というのはわかるけど、どこかは自分で考えろ、と(^_^;)
よーし、特定してやる。
先の2枚はすぐにわかりました。
世界遺産ですからね、春日大社と興福寺。
あと2枚あります。
1枚には石碑が写っています。
「橿原神宮」と書かれた石碑。
なので、これは別に調べる必要なし。
問題はこの1枚です。
「大和路を訪ねて」と書かれたページにも。
「奈良なんだなあ」
というのはわかるけど、どこかは自分で考えろ、と(^_^;)
よーし、特定してやる。
先の2枚はすぐにわかりました。
世界遺産ですからね、春日大社と興福寺。
あと2枚あります。
1枚には石碑が写っています。
「橿原神宮」と書かれた石碑。
なので、これは別に調べる必要なし。
問題はこの1枚です。
さて、どこかな。
パッと見て、
「神社の門だろう」
とは思いました。
それも、こじんまりしたところではなく、かなり大規模なところ。
屋根が檜皮葺なのも特徴になるかな。
ネットで検索して探してみたのですが見つからず。
諦めかけていたのですが、石碑の写真を探して手持ちの橿原神宮の写真を見ていたら、これと同じ場所が写っていました。
橿原神宮の北神門です。
今日、行って、同じような角度で撮ってきました。
こんな感じでしょうか(^_^;)
ここに飛練10期偵察専修生となった乙9期生たちがわらわらっと並んでいたんだなあ。
昭和15年。
73年前。
昭和15年という年は皇紀2600年。
橿原神宮にとってもこの年は大事な年でした。大規模造営を行っています。
この北神門、造営自体は大正4年だそうですが、大正14、5年の見取り図には現在の位置になく、もしかしたら移築された可能性も。
(対応して下さった神職さんも、そこまではちょっとわかりかねます、とのことでした)
屋根の檜皮は昭和15年に葺き替えているとのことでした。
ちなみにいまは銅板葺き。
檜皮はなかなか原料が揃わないそうで、数年前に銅板に葺き替えられたそうです。
畝傍御陵前駅方面から続く参道からみた北神門。
こんな感じでしょうか(^_^;)
ここに飛練10期偵察専修生となった乙9期生たちがわらわらっと並んでいたんだなあ。
昭和15年。
73年前。
昭和15年という年は皇紀2600年。
橿原神宮にとってもこの年は大事な年でした。大規模造営を行っています。
この北神門、造営自体は大正4年だそうですが、大正14、5年の見取り図には現在の位置になく、もしかしたら移築された可能性も。
(対応して下さった神職さんも、そこまではちょっとわかりかねます、とのことでした)
屋根の檜皮は昭和15年に葺き替えているとのことでした。
ちなみにいまは銅板葺き。
檜皮はなかなか原料が揃わないそうで、数年前に銅板に葺き替えられたそうです。
畝傍御陵前駅方面から続く参道からみた北神門。
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