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乙9期 加藤哲夫さん2015年02月22日 14時10分58秒

※加藤さんのことを調べられている方がいらしたら、連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com



岐阜県出身、艦攻操縦。


加藤さんは雄翔館に氏名入りの遺影がありました。




【東京行軍】

【香取神宮】

【操縦専修生集合写真】
2空時代

1空時代

【ラグビー部】


【整備実習】

【3学年班?】
松本さんと同班だったようです。


予科練卒業時の寄せ書き


「おもいで」
「入隊時同班、女のようにやさしい君だった。内心は気が強くよく勉強したね。いつも本城から、俺と仲良く作業員を指名されていたっけ。いま一度会いたい」

「ラグビー部の一番の頑張り屋。みんなを引っ張っていた。優秀な人材だったのに」

「操縦専修になってから同班の伍長だった。君の世話になったね。延長教育で同じ宇佐空で君は艦攻で頑張っていた」



【飛練・練習機】
筑波で、井原さん、後藤さんと同じペアです。

実用機は宇佐で艦攻。
成績は優秀だったようです。備考欄も白紙です。







『予科練外史』に、カビエンに到着した倉町先生と加藤さんの再会シーンが描かれています。


「翌朝黎明に出撃する者があるというので、早めに閉会することになって、私たちは庭に出た。思いもかけず九期の加藤哲夫がそこに待っていてくれた。彼は一航艦所属、母艦「瑞鳳」の艦攻操縦員で、宿舎がすぐ隣であった。
道がわからないだろうと、加藤、佐藤(生)、それに岡田が送ってくれるという。

三人とも往時のラグビーの選手であった。九期は開戦にちょうど間に合ったクラスで、激しい戦場で一年十か月も過ごして来たのに、加藤の物静かな人となりは、少しもすり減らされておらず、秀でた額、ひきしまった口許、叡智を秘めたまなざし、良家の公達のような風貌は昔のままで、何も話さなくても相対しているだけで心が通い合うものをもっていた。一度スイッチを切り換えると別人のような闘将となるのだが――」




倉町先生が、戦地巡回中(18年秋)「後輩に伝えてくれ」と託されたたよりの中に、加藤さんから贈られたことばも・・・・。

「後輩諸君
時局は、愈々喰うか喰われるかの最後の段階に到達した。我々の立つべき時が遂にやって来たのだ。一期から続いて来た予科練の伝統、倒れて已まざる頑張りの精神を発揮するのは今だ。

然し、急ぐことなど少しもない。諸君は、与えられた現在の職分に精魂を打ち込んで、来るべき日に、真先かけて飛び立てる如く、現在の勉強と鍛錬を、死にもの狂いで実践すれば良いのだ。戦地にやって来てから、今少し予科練で勉強すればよかったと思い嘆いても既に遅い。君等現在の勝利は、戦地に来ても勝利を得る負けじ魂の基となるのだ。思う存分、心と身体の鍛錬修養に精進されんことを祈る。

しょんぼりするな。いつも元気で、明朗に、その日一日を送れ。全力投球はそれを可能にする。では、くれぐれも健康で。                                 加藤哲夫」




18年11月11日  瑞鳳  ソロモン



乙9期戦没者はこちら


※画像は9期生ご遺族ご提供

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