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久保さんの写真の中の9期生32015年02月05日 19時09分59秒

集合写真の方は概ね見ました。
9期生が写っていないかどうか。

それ以外の写真のぼちぼち見ています。


たぶん、これ、武田清さんだと思うんですよね。
真中の人。

武田さんの左の人は水上機の青野数美さんかな?

ペンネントが見えないのですが、武田さんが10期生と写っているということは15年12月以降、土浦海軍航空隊でしょう。



予科練時代の写真を見ているとたまーにあるんですよね、こういう、
「かれらは軍人なのだ」
と強く実感する写真が。

頭ではわかっていても何とも言えん気持ちになります・・・・。


逆にすごく子どもっぽい、フツーの少年らしい顔を見せているものもあります。
酒保での写真や、倶楽部での写真なんかそうです。


軍人でもあり、フツーの10代の少年でもあり・・・・。
それが現実なんでしょうけど。

伍長2015年02月05日 23時39分09秒

乙9期や乙10期には班ごとに「伍長」という存在の人がいます。
陸軍では階級に「伍長」が存在しますが、それとはまったく別物です。

予科練の伍長というのは練習生で、その班のリーダーみたいな人です。
班員で話し合って選出するようなものではなく、どうも予科練の入隊試験の成績順に伍長が決められたような?

10期は氏名入り班写真が全部残っているという話は何度もここに書いていると思いますが、その班写真の下に班員全員の氏名が書かれています。順番は順不同でも なく、五十音順でもありません。どうも、先頭に書かれている人がその班の伍長であるのは間違いないようです。2番目に書かれている人が次席なのも確かなよ うです。それ以外の人たちが成績順かどうかはわかりませんが、たぶんそうなのでしょう。

10期の同期生会誌を読んで自分なりに想像してみたのですが、10期は240人、全部で16班あり、各班15名です。
240名の半分が分隊。240名を4つにわけたのが組です。

前の分隊――1~8班
後ろの分隊――9~16班

1組――1~4班
2組――5~8班
3組――9~12班
4組――13~16班


1班の伍長が10期の入隊試験1番の人です。
名誉なことなので書いちゃっていいですかね、水上機操縦の藤巻勘一さんです。


じゃあ2番目の人は2班の伍長か?
それはどうも違うようです。
「組長」というのもいるらしいので、組の先頭の班――1班、5班、9班、13班に、それぞれ入隊試験1番、2番、3番、4番・・・・と割り振っていったのかな?
それとも、分隊単位で、まず前の分隊の1班の伍長に1番目の人、後ろの分隊の先頭の班である9班の伍長に2番目の人、次はまた前の分隊に戻って5班の伍長に3番目の人、後ろの分隊の13班の伍長に4番目の人・・・・という感じで、前の分隊と後ろの分隊の成績のバランスが崩れないように割り振っていったか?

それは同期生会誌を読んだ限りではわかりません。


10期の伍長は全員わかります。

9期も各班に伍長がいます。
が、全員はわかりません。
「おもいで」から伍長だとわかっている人。
本城秋生さん――班不明
小林為雄さん――12班伍長
笠井繁雄さん――13班伍長で組長
石川茂さん――15班伍長
大畠久利さん――14か16班の伍長

あと、松本勝正さんが家への手紙に自分は6班の伍長だと書いています。


※本城さんに関しては「入隊時同班の伍長」と書いているのが13班の阿部健さんです。13班は笠井さんが伍長とも書かれているので・・・・どちらが本当かわかりません


「号長」と書かれている人もいます。
どんな存在かなぞです。



9期と10期は同じ試験に合格して入隊時期を5か月ずらされただけです。

どんな基準で9期生と10期生を選抜したのかいまだに不明なのですが、もしかしたら成績のバランスをとりながら選抜しているのかもしれないなと思っています。
9期と10期を13年組とすると、13年組の成績1番を9期に、2番を10期に、3番を9期に、4番を10期に・・・・。
どうかな?


ちなみに10期で恩賜の銀時計をもらったのは森田利男さん(戦闘機)だそうです。
森田さんは1学年時は班で5番目にお名前が書かれています。

努力次第でトップに立てるような人たちばかりだったんだろうなあと思います。


※画像は久保さんご提供