乙9期 佐々木隆寿さん 追加修正 ― 2014年10月28日 11時38分18秒
佐々木さん、新情報があるので追加修正版書きます。
『最後の雷撃機』の大澤昇次さん(攻撃256飛行隊で一緒)から貴重な情報をいただきました。
宮城県出身、偵察。
582空(18年秋)、653空(比島沖海戦、瑞鳳発艦)
「集団の中にいても一際目立つ背の高い人です」
と書いていたのですが、大澤さんによると、
「人より少し高い方ではありましたが一際目立つという程ではありませんね」
とのこと。
予科練飛練時代の写真を見てそう思ったのですが、周りの人が小柄なだけだったのか、それとも成長期が違っていたのか(^^;)
『最後の雷撃機』の大澤昇次さん(攻撃256飛行隊で一緒)から貴重な情報をいただきました。
宮城県出身、偵察。
582空(18年秋)、653空(比島沖海戦、瑞鳳発艦)
「集団の中にいても一際目立つ背の高い人です」
と書いていたのですが、大澤さんによると、
「人より少し高い方ではありましたが一際目立つという程ではありませんね」
とのこと。
予科練飛練時代の写真を見てそう思ったのですが、周りの人が小柄なだけだったのか、それとも成長期が違っていたのか(^^;)
【東京行軍】
【大楠山慰安行軍】
【葉山自転車行軍】
【1学年15班】
【香取神宮】
【操偵適性検査】
【飛練・鈴鹿】
【飛練・博多】
おもいで
「偉丈夫。東北独特の発音が今も耳に残っている。上体を振って歩く姿も髣髪ふつと目に浮かぶ。あとほんの一寸だったのに、第一線に出てから会うこともなかったが戦後風の便りで生きていると聞いていたのに」
大澤昇次さんの『最後の雷撃機』に佐々木さんのことが出ています。
『昭和二十年三月九日だった。警戒待機もなく、夜間訓練もなかったので、佐々木隆寿飛曹長(乙飛九期)等と一緒に銚子に出かけ酒漬かりの憂さを晴らしたのだが、終わった時にはもう汽車もなく、帰れないのでそのまま旅館で寝てしまった』※乙9期生は20年3月時点では上飛曹
ところがその夜中に空襲。
飛び起きてみなで消火・防火につとめた――という話です。
『昭和二十年八月十四日、よく一緒に飲み、また銚子の旅館で一緒に消火活動をした佐々木隆寿飛曹長が千葉県飯岡沖の攻撃で戦死された。
その翌十五日に終戦となった。わずか一日の違いだった』
20年8月14日 鹿島基地 攻撃256
※大澤さん手記では終戦時香取基地
これも確認しました。
佐々木さんが出撃したのは「香取基地」。
ペアは操縦・橋本文夫中尉(兵71)、電信・上村重美上飛曹(乙15)。
大澤さんも佐々木さんのことを「偉丈夫」と言われていました。
また「美男子」とも。
「又声は低音で「風は海から吹いてくる 沖のジャンクの帆を吹く風よ・・・・」は得意中の得意でよく歌っていた様記憶しています」
ふだん「佐々木飛曹長」と呼んでいたので、名前(隆寿)の読みはわからないとのことでした。
こういうふだんの佐々木さんの一面を聞かせていただき、大澤さんには本当に感謝しています。
※画像は9期生ご遺族、雄翔館ご提供
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